1208話 プラハ 風がハープを奏でるように 第17回

 チェコ語 前編

 

 チェコ語の文法はややこしいということはすでにわかっているから、チェコに行くからといって、チェコ語を学ぶことはハナから考えていなかった。私は言葉に興味があるが、その言葉を地道に学ぶまじめさがないのだ。言葉が通じなくて困れば、その現地で学べばいいやという泥縄式学習者が私である。

 考えてみればどこの国でも同じだったが、すぐに覚えるのはドアの「引く」と「押す」の表記だ。毎日ドアに手をつけるから、「tam」(押す)、「sem」(引く)というのは、すぐに覚えた。出口、入り口という表記も同様によく目にするのだが、チェコ語の場合は「vchod」(入り口)、「východ」(出口)だから、間違いやすい。

 まず記号の話をしておこう。チェコ語ではフランス語のアクセント記号のような記号が3種ある。例えば、zavazadlo(荷物)とzáchod(トイレ)のように、zaのaに記号があるかどうかの違いは、「ザバザドゥロ」と「ザーホッド」のように、aの上に記号がつくとaaと長母音化するとわかる。こういう規則はいろいろあるが、ここでは解説しないし、今後このブログでチェコ語を出しても、打つのが面倒だから記号は無視する。記号が面倒と思うのはフランス語やドイツ語などにつく記号に慣れていない外国人だけかと思っていたのだが、ある日、チェコ人も記号を無視することを知った。買い物をした時にもらったレシートを読み返し、私が買った物をチェコ語ではどういうのかチェックをしていて、気がついた。レシートのチェコ語には記号がまったくないのだ。チェコ人なら、記号がなくても前後の関係から意味を理解できるから省略しているのだろう。ドイツの研究者と話をしていたら、最近ドイツでも記号を省略することがあるらしい。そのほうがコンピューターでは便利なのだ。

 チェコ語は読むのはちょっと面倒だが、発音は日本人にはやさしい。しかし、日本人を含め多くの外国人にとって難しい発音は、記号付きのRだ。例えば、これ。

 Antonín Leopold Dvořák 

 日本では「ドボルザーク」と呼んでいる作曲家の名前だが、チェコ語では「アントニーン・レオポルド・ドボザーク」となる。記号がつかないrはそのままrだが、Dvořákのように、記号がついたřzに近い音になるから、そのままローマ字読みはできない。

 チェコ語のカタカナ表記は、このブログでは「ヴ」(出版用語では「ウ濁点」という)は使わないという私の規則で行なう。「ヴァイオリン」と表記したがる人だって、日本語の会話では実際にはそうは発音していないだろうし、「エレベーター」やオーブン」を、「エレヴェーター」とか「オーヴン」などと表記をしないし発音もしないだろう。それなのにときどき「ヴ」を使いたがるのは、その方が格好いいだろうという西洋かぶれに過ぎない。私は昔からヴは使わない。「高輪ゲートウェイ」という駅名を、「英語だ、かっこいい!」と思う感覚も、こういう西洋かぶれなのだ。

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 記号付きのこういうチェコ語をにらむと、「renovace・・・、ああ、リノベーションか。日本語ならリフォームか」と、不動産看板を見て、想像がつくこともある。

 チェコでもっとも有名な川は「モルダウ」だろうが、これはドイツ語だ。かつてドイツ語が支配言語だったから、ドイツ語表記の方が外国に広まったのだ。この川を、チェコ語ではVltavaという。言語学者であり翻訳者であり、チェコ語研究の第一人者である千野栄一はその著書『プラハの古本屋』ではヴは一切使わず、「ブルタバ」とカタカナ表記している(しかし、なぜか同著者の『ビールと古本のプラハ』ではヴが登場する)。

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 日本人にはモルダウとして知られるブルタバ川。寒いのは嫌いだが、雪の日の景色もきれいだろうなと思う。

 チェコ語の解説書などを読んでみると、チェコ人の名前の話がおもしろい。スペイン語やイタリア語を少し撫でたので、Mariaのようにaで終われば女性の名、Marioのようにoで終われば男性の名といったことは知っていた。だから、日本人の恭子とか景子だと、語尾がoで終わっているから、スペイン人は男の名だというイメージがわくという話も聞いたことがある。

 チェコ語の場合は姓が男女で変わるのだという。『チェコ語のしくみ』(金指久美子、ルナテック、2007)から,その例を書き出すとこうなる。

 Novak(ノバーク)氏の妻の姓はNovakではなく、Novakovaというように女性形に変えないといけない。外国人から見ると、変則的夫婦同姓なのだ。それは外国人でも同様で、日本人男性の青木氏と結婚したチェコ人女性は、夫の姓のAokiになるのではなく、Aokiovaと女性形にしなければいけなかった。2004年のEU加盟によって、夫の姓をそのまま使えるようになったものの、雑誌の記事などでは外国の芸能人女性の姓も、女性形に改変して記事を書くことがあるそうだ。男の姓の女性というのは、チェコ人は落ち着かないらしい。

 こういう法則はチェコ語だけの特徴ではないだろう。チェコ語を勉強をする気はないが、こういうエッセイを読むのは好きだから、けっこう買い集めている。

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  ブルタバ川にかかるこの鉄橋をみて、「ああ、あそこだな」と察しがつくようになるのにひと月はかかる。

 

 

1207話 プラハ 風がハープを奏でるように 第16回

 チェコの英語

 

 1918年、チェコスロバキア共和国が誕生した。それまでのドイツ語支配の状況から、チェコ語スロバキア語の世界に変わっていくのだが、ドイツ系住民が多かったこともあり、ドイツ語は依然として強い力を持っていた。1939年にナチス・ドイツの支配を受けるようになって、ドイツ語はまた力を持った。

 1945年に世界大戦が終わり、ドイツの支配を離れたが、今度はソビエトの強い影響力を受けるようになり、ロシア語が義務教育に加わる。1989年のビロード革命以降、ロシア語教育の時代は終わり、外国語教育はまたドイツ語が力を持ったが、若者の関心はドイツ語から英語に変わっている。 

 チェコの英語事情が、私の個人的体験ではどうだったのか。ひと月ほどの短い滞在中に、おそらく100人以上のチェコ人に話しかけた。日々の疑問をそのままにすると欲求不満がたまるので、「おばちゃん」のようになって、どんどん口にするようになった。わからないことは、道を聞くということも含めて、誰かに聞くという行為が、歳とともにだんだんためらいがなくなった。日本語ではまだ無理だが、外国語なら「雨が降りそうだね」とか「暑いねえ、まったく」などと天気の話もできる大人になった。

 100人以上のチェコ人に英語で話しかけて、無視されたことは2例しかない。プラハ本駅の窓口では、英語の質問にチェコ語で対応されるということはあった。それ以外は、英語の会話が成立した。単語を並べるだけの片言の対応ということもわずかにあったが、ほとんどはちゃんとした会話だった。日本の大学生のレベルよりも、はるかに上だった。インテリに見える20 代30代だと、まるでイギリスに留学したことがあるというような英語をしゃべった。通常、私が英語で話しかける場合は、「人を外見で判断して、話しかける」ようにしているので、英語が通じる可能性が高いのだ。

 高齢者や農村部に住んでいる人はこれほど英語をしゃべらないだろうし、チェコ人だと思った人が近隣諸国から来た居住者であるということもある。そういうことを割り引いたとしても、日本とは比べ物にならないくらい英語が通じる。

 日本人がチェコを旅していて、英語が通じることはありがたいのだが、英語の表示がほとんどないのは困る。日本や韓国やカンボジアやタイだと、現地の言語がラテン文字表記されていないとよそ者には不便なのだが、チェコ語ラテン文字を使うから、地名や道路名がチェコ語のままでも困らないのだが、その上を望むと困ることがある。

 ちなみに、ラテン文字、あるいはローマ字を「英語」とか「アルファベット」などと説明する日本人が少なくない。例えば、「私の名前を英語で書くと・・・」という人がいたが、それはローマ字だ。あるいは、「あいうえお・・・」というのは「日本語のアルファベット」なのだから、ローマ字(ラテン文字)を「アルファベット表記」というのは間違いだ。

 ラテン文字を使えば外国人にはわかりやすくなると考えた役人が日本にいる。「Yuubinkyoku」という表記をすれば、外国人の誰もが郵便局だとわかると考えたのだ。道路の表記はテレビニュースにもなった。例えば、「国会前」という道路の看板は、「Kokkai」だった。こうすれば外国人が理解できると考えるのが、日本の役人の浅はかさだ。それがまずいと指摘されて、「The National Diet」と変更したのは、たしか2018年だった。2020年の東京オリンピック対策で、初めて気がついたらしい。来日外国人を、ガイドに案内される団体観光客と労働力としかとらえていない役人と自民&公明議員のオツムがわかる。

http://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000105760.pdf

 チェコでも案内板などがチェコ語のままなのだ。「muzeum」はmuseumから類推で、博物館だとわかるというのは例外的存在で、道路の案内矢印のほとんどは、何を示しているのかわからない。だから、表示が博物館を示していることはわかっても、どの博物館かはわからないのだ。ガイドに案内される団体旅行者たちは困らないだろうが、個人旅行者はこれでは困るのだ。地図もチェコ語表記だし。

 ただし、博物館内部の説明では、チェコ語と英語の両方の説明文がついていることもあり、かなり助かる。はたして、日本の博物館や美術館などの説明文は外国語のものがどれだけあるのだろうか。

 「英語の表記がもっとあったら便利なんだけどね」というようなことを宿で旅行者たちとしゃべっていたら、「ドイツだって、チェコと変わらないよ」とドイツ人がいい、「ほかの国だって、大抵は同じようなものさ」ということになった。フランスはどうなんだろう。マレーシアやシンガポールのように、もともとイギリスの植民地だったところは別として、タイでは英語の表示がかなり増えたし、数年前からバンコクのチャイナタウンのバス停には英語の案内板が設置された。アジアでは、そういう国もあるのだ。

 

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 チェコ南部のチェスケー・ブディェビッツェからバスでプラハに向かっているときに、に車窓からこういう煙突が見え、原発だとすぐにわかった。

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 プラハのある日、路上でチェコ現代史写真展をやっていて、ふたたびあの煙突に出会った。英語の説明もあるのがありがたい。 

1206話 プラハ 風がハープを奏でるように 第15回

 散歩のガイドブック

 

 いままで、中2日という更新間隔でやって来たが、まだ公開していない下書きだけで3万字くらいあり、それでも構想している全体の半分にもならない。このままでは来年春になってもまだ終わらないかもしれない。買い集めた資料はほとんど読み終えたので、そろそろ更新間隔を中1日にしようかと思う。肩を痛めそうになったら、ちょっと休めばいいのだ。というところで、今回はこういう話を。

 

 どこの国に着いてもまずすることは、両替をしたら地図を手に入れることだ。私はスマホタブレットも持っていないので、印刷した地図が必要なのだ。宿や観光案内所に簡単な市内地図があるので、とりあえずその地図を手に入れて眺め、わが宿の場所に印をつける。その地図を手に適当に歩き、本屋を見つけたら、詳しい地図を探す。大きな一枚地図は全体を眺めるにはいいが、扱いにくいので、区分地図を探す。

プラハの本屋ではいくつかの大きさの区分地図を見つけたが、英語の説明入りのものは見つからなかった。道路名などはもちろんチェコ語でいいのだが、施設名などには英語の表記も欲しかったのだが、それは無理らしい。

 “PRAHA  plan mesta 1:20000”という区分地図を買った。これで、プラハ全域の地図と地下鉄・トラム(路面電車)、そしてバスの路線もわかるから使い勝手がいい。散歩者である私には、ガイドブックに載っているような観光客密集地域だけの地図ではなく、プラハ市全域の地図がないと困るのだ。プラハ市がどういう姿をしているのか確認したいのだ。価格は149コロナ、日本円にして約750円ほどなのだが、インターネットでこの地図に関して調べていたら、日本のアマゾンがヒットして、13,164円で売っていることがわかったが、何だよこの値段。同じものか?

 日本から持って行った本でもっとも役に立ったのは、『プラハを歩く』(田中充子、岩波新書、2001)だった。プラハに留学経験のある建築史家が書いた「建築から見るプラハ」ガイドなので、実におもしろい。旅行前に一度目を通したのだが、現場で読むと、より一層臨場感が増して、理解が深まる。建築史や建築技術の説明もある。石の建造物を建てるには、足場を含めて大量の木材が必要なのだという話は、「なるほどなあ」と理解できた。石がなくても木の家は建つが、木がなくては石の家は建たないのだ。大きく重い石を引き上げるには、頑丈な足場が必要なのだ。屋根も床も木が必要だ。石の家は暖房効率が悪いのに石を使い続けたことから、石と木の文化の違いに言及するが、プラハの建築ガイドというこの新書の性格上、深い考察はない。その方面の情報は、同著者による『プラハ 建築の森』(学芸出版社、1999)などを読む必要がある。

 プラハは、建築見物が楽しいと思うのは多くの旅行者の共通認識のようで、建築物の写真を集めた本はいくらでもある。いくつもの雑誌がプラハを取り上げているが、「芸術新潮」(1999年11月号)が「麗しのプラハ」という特集をしている。これは、この時期に東京世田谷美術館が「煌めくプラハ 19世紀末からアールデコ」展と連動したものだ。「ああ、プラハに行きたいなあ・・・」と思わせるには効果的な誌面だ。

散歩の実用ガイドとしてもっとも役に立ったのは、プラハの本屋で手に入れたこの本だ。ロンドン、パリ、ベルリンなどの建築ガイドを出しているドイツの出版社の本だ。

”PRAGUE  The Architecture Guide”(Chris van Uffelen, Markus Golser、Braun Publishing AG, 2013)

 399コロナは約2000円。オールカラーのプラハ建築カタログ。地図・索引付きだから、至れり尽くせり。数多く出版されている「古き良き時代のプラハの建築」だけを扱っている本と違い、10世紀末のロマネスク様式から、この本の出版当時の最新の建物まで扱っているから、私のような建築散歩者には絶好だ。

 この本をバッグに入れてプラハを歩いた。夜はこの本をチェックして散歩計画を立てて、翌日出かけた。それでわかったことは、この本は素晴らしく良くできた本ではあるが、この本でも触れていない建造物がいくらでもあることだ。散歩をしていて、「おや、これは、いったいなんだ?」と気になる建物に出会い、その正体をこの本で調べても載っていないことが多い。プラハは「百塔の街」と呼ばれている。塔のある建物などいくらでもあるのだ。ほかの街なら、ガイドブックである程度の行数で紹介されるに違いない建造物が、プラハでは地区予選さえ通過しないのだ。

 ちなみに、帰国後、この本はアマゾンでも手に入ることがわかった。3235円だ。

https://www.amazon.co.jp/Berlin-Architecture-Guide-Guides/dp/3037680830/ref=sr_1_fkmr0_4?s=english-books&ie=UTF8&qid=1542601336&sr=1-4-fkmr0&keywords=plague+the+architecture+guide+braun

 本屋に行くと、チェコの建築の本はいくらでもあり、欲しくなる本が多いのだが、高くて重い。「見れば終わりだから、買うのはなあ」とためらっていたら、プラハ市立博物館の児童学習室のようなところに、「写真で見るプラハ今昔」といった感じの写真集が2冊置いてあって、じっくり読ませてもらった。今昔といっても、同じ街角が100年前と看板が違うだけでまったく同じというのがプラハだとわかる。

 

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 市立博物館の一室で見つけた本を眺めて午後を過ごす。上の写真はバーツラフ広場から国立博物館を見た風景。

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 こちらは旧市庁舎。左はまだ旧市庁舎があったころ。ナチス・ドイツによって破壊され、そのあとは再建されず、そのままになっているのが、現在の右の写真。

 

 プラハの建築の話は、いずれゆっくりする。

 

 

 

1205話 プラハ 風がハープを奏でるように 第14回

此頃都ニハヤル物 その6

 

 プラハでよく見かけるもの、第5位は、これ。

5、すし

 1995年から96年にプラハで生活した日本人は、チェコ人にとっての魚をこう書いている。

 「内陸国チェコの人たちは、昔から海の幸にはなじみがないため、魚介類を見るとき、まるでエイリアンでも観察するかのような、恐怖まじりの怪訝な目つきをします。魚といえば、焼いた川魚を食べる程度。生で食べるなんて想像外です」(『プラハの春は鯉の味』北川幸子、日本貿易振興会、1997)

 チェコ人にとって魚料理とは、クリスマスに食べる鯉くらいのものだった。著者がプラハに住んでいた1996年当時、日本料理店は3店あったというが、その後すし事情は大きく変わった。チェコ人が海の魚を生で食べるようになったのだ。

 チェコのすしは、ふたつの意味で意外だった。プラハの郊外を散歩していて一戸建ての中国料理店、その見かけからすれば日本の「ラーメン屋」という感じなのだが、店頭に張り出した料理写真を見ていたら、右半分がすしだった。その店から数十メートルいったところにベトナム料理店があり、そこでもメニューの半分がすしだった。すしを食べさせる店が多くあったことに驚き、それが中国料理店やベトナム料理店のメニューに組み込まれ散るという点でも驚いた。ピザ屋とケバブ屋は兼業することも少なくないが、アジア料理店がすしも出している例が数多い。

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 近所に中国料理店を見つけ・・、

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 料理写真を見ていると・・・、

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 料理の半分はすしだとわかった。

 プラハ散歩を続けていると、スーパーマーケットにもすし弁当があることに驚いた。そのスーパーが入っているショッピングセンター全館探検をして、もっと驚いた。すしが3店舗で扱っているのだ。1階の通路に店を開いているのが、”sushi time”というすし弁当屋。キュウリやカニカマの海苔巻きにサーモンやマグロの握りが詰め合わせてあって、一人前くらいの量がある。これで150コルナくらいだから、日本円で750円。食堂で割合高い料理が食べられる金額だ。

 ショッピングセンターの2階に上がると、”running sushi”という回転ずしチェーン店があった。チェコ語と英語のチラシがあるので、料金を確認する。基本的には食べ放題で、月~木の11時から17時まで338コルナ、17時から22時までは418コルナ。金~日は昼は368コルナ、夜は 438コルナ。食べ放題のほか、丼物など1品料理もある。私の観察では、プラハ市民の外食は最低クラスで100コルナ(500円)程度なので、4倍だからこれは高い。飲み物代も加わるから、支払い総額はもっと高くなる。回転している料理を見てみると、意外にすしは少なく、煮物など日本の居酒屋メニューのほかケーキ類も多い。客がけっこういるが、チェコ人がどれだけいるかわからない。

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 ショッピングセンターの通路にすしの売店を見つけて、階下に行く。

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 弁当とすしだ。ちょっと高い。

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 再び上の階に行くと、回転すしの店があった。

 回転ずし店を見た後、フードコートになっている店内の食堂をチェックしていたらタイ料理店があり、料理人の会話に耳を澄ますとタイ語だ。タイ人が料理していることがわかる。日本で「ガパオライス」という名で知名度が上がっている「カーオ・パット・バイカプラオ」もあるが、高い。基本的に、私はタイ国外でタイ料理は食べないことにしている。高くて、まずい可能性があるからだが、それでも一応この店のメニューを左上から点検していたら、右側がすしだった。ああ、アジア料理店にはすしがつきものらしい。

 私は食文化研究者としてはまだまだ素人だとつくづく思うのは、プラハのすしを試食していないことだ。高くてまずいに違いないと思い、食指が動かなかったのだ。しかし、一度は食べてみる好奇心が必要だったと反省している。はたして酢飯にしているのか、酢は臭くないか、砂糖がたっぷり入っていないかなど、チェックしないといけないことが多いのに、研究心よりも食欲が勝ち、食べたいものを食べてしまった。食べたくもないものを無理して食べるようにならないと、立派な食文化研究者にはなれないのだ。

 日本人が握っているすし屋もあるだろうが、海のないチェコでうまいすしを食べようとしたら、とんでもない金額になることだろう。ベトナム料理店やタイ料理店にすしはあるが、注文があれば料理人が巻いたり握ったりするのかも、確かめていない。卸業者から仕入れているのだろうか。ただし、フードコートのベトナム料理&すしの店では、厨房の半分ですしを作っている光景は見ている。

 プラハで見かけるもの第6位はカジノだが、関心も資料もないので、書きたいことはほとんどない。007シリーズの「カジノロワイヤル」でモンテネグロのカジノということになっているのが、チェコの西端カルロビ・バリだというくらいの情報しかない。

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 上の写真とは別のスーパーですしを見つける。約1000円は高い。

 

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 また別のスーパーで弁当とおにぎりを見つける。49コルナは250円か。弁当の方が得だろうなと思いつつ、棚の下を見ると・・・、

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 サラダやすしがあった。このスーパーのすしとおにぎりの値段があまり変わらないことに日本人は「なんだかな・・」と思うものの、結局買わないでチェコ料理店に行った。

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 ショッピングセンターのなかにもカジノがある。ラスベガスでも、カジノといえば、なぜかエジプトなんだよなあ。

 

 

1204話 プラハ 風がハープを奏でるように 第13回

 此頃都ニハヤル物 その5

 

 プラハでよく見かけるものの第4位は、これだ。

 4、中国語人観光客

 いまさら、なのだが、プラハにも当然中国人、正確には中国語人観光客が多くいる。中国語人というのは、中国語でしゃべっている人たちという意味で、中国、台湾、香港などの人たちの総称だ。中国系のマレーシア人やシンガポール人なども含める場合もある。

 もちろん団体客もいるが、夫婦や友人たちと旅行をしている人たちも多い。中国語人旅行者といえども、個人旅行者がかなり多いと思われる。プラハは人が多いのでわかりにくいので、オーストリアとの国境近くの小さな街、チェスキー・クロムロフの数日間、旅行者の話し声に耳をすませば、観光客の60パーセントは中国語人だと思われる。韓国人は3パーセント、日本人は1パーセントいるかどうかというくらいだろうか。アジアから来た旅行者がしゃべっている言葉をすべて聞いたわけではないから、「まあ、そんなものか」という程度の想像だ。

 とにかく中国語人が多いから、細い道を歩いていると、目の前に数十人の中国語人がいる風景に出会うと、雲南かどこかにいるような気になってくる。

 私にとって、中国語人旅行者の最大の謎は、トランクを引きずって観光地巡りをしていることで、大阪でも多かった。でかいトランクを引きずってカウンターだけの店に入って来るから、中の客は店から出られなくなるし、入れなくなる。だから大阪で、「トランクの人、お断り」という表示を見たが、日本語だけではあまり効果はない。

 プラハの石畳の道でも、派手な騒音をたてながら、トランクを引きずっている。これがプラハの騒音であり、ベネチアの騒音でもある。世界の観光地の騒音である。ホテルをチェックアウトして、飛行機や列車やバスが出るまでの間、荷物を持って観光しているのだろうが、世界遺産のような観光地にまでトランクを引きずっていくのは中国語人だけだと思う。日本在住中国人に、「ホテルに預かってもらうか、駅にロッカーを使えばいいのに、なぜ?」と聞いたら、「ホテルには戻りたくない。駅のロッカーは小さいから、中国人の巨大な荷物は収容できないからです」という回答だった。有人の荷物預り所がある国もあるし(私はバンコクなどの空港で使ったことがあるし、モロッコのバスターミナルで使ったこともある)、駅には大きなロッカーもある。そういう事実を考えてみると、中国語人はそういう事実を知らないのか、ホテルが遠い郊外にあるからか、それとも保管料を払うのが嫌なのか、さて。

 性格が悪い私は、ごろごろ・ガラガラ・ガシャガシャとトランクを引く騒音にうんざりし、しかも歩道や店内でジャマなので、いっそすべて壊われてしまえばおもしろいのにと夢想することがある。ある日ユーチューブ遊びをしていたら、それは私の単なる夢想ではないとわかった。現実だったのだ。日本での話だが、中国人が壊れたトランクを所かまわず捨てていくというゴミ公害の報告もあった。粗悪トランクに、買った物を無理やり詰め込もうとして、壊れるらしい。

https://www.youtube.com/watch?v=b3LANuFgzAI

 ある高級ホテルの従業員のグチを聞いた。中国人が泊まった部屋は、そのあと臭気を抜くために数日間、部屋が使用不可能になるのだという。臭気の原因は部屋で作るラーメンと酒盛りの臭気だという。床に座って飲むから、ラーメンの汁がジュウタンにこぼれたりと、掃除が大変なのだという。

 日本のホテルの話で聞いたのは、韓国人観光客が使った部屋はしばらく使用不可能になるという話だ。冷蔵庫に韓国から持ってきたキムチ類をいれて、毎夜部屋で酒盛りをやるからだ。キムチ臭が部屋に染み込む。

 実は、日本人も同類だと思う。会社の同僚や友人たちとの旅なら、毎夜部屋で酒盛りをやるかもしれない。ラーメンや、イカの燻製などの珍味は、西洋人には「臭くてたまらない」かもしれない。中国人観光客の狼藉の話を聞きながら、日本人としては肩身の狭い思いがした。タイ人だって、フィリピン人だって、部屋で酒盛りをするだろうし、インスタントラーメンを作って食べるだろう。だから、部屋を臭くするのは中国語人だけではない。ただ、中国語人は圧倒的に数が多いから、被害が甚大なのだ。

 

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 プラハのカレル橋。いわゆる観光地にはほとんど行かないし、行ってもほとんど写真を撮らないので、観光客の姿はわずかしか撮影していない。

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 チェコ南部のチェスケー・ブディェヨビツェのプシェミスル・オタカル広場に行くと、中国語人の撮影会が行われていた。普通の観光客に加えて、写真愛好会の撮影旅行のような光景も見た。でかい一眼レフを下げた女性も多かった。
 

1203話 プラハ 風がハープを奏でるように 第12回

此頃都ニハヤル物 その4

 

 プラハでよく見かけるものの続きを書く。

 3、ベトナム料理店

 プラハで見ていたテレビから、ヒップホップグループのプロモーション・ビデオが流れていた。撮影現場は市場のようで、ベトナム語の看板が見えるのだが、ベトナムの空気ではないことは私にもわかる。さて、そこはどこだ? という疑問をもっただけでそれっきりになっていたのだが、プラハのことを調べていたたった今、謎が解けた。プラハの南部、地下鉄C線カツェージョフ(Kacerov)駅の南にある通称「リトル・ハノイ」こと、サパ市場だった。サパ(SAPA)は私も行ったことがあるベトナム北部、中国との国境近くの街で、その名をとったベトナム市場がプラハにある。インターネットで調べていて、その事実をたった今知った。今まで知らなかったのだから、行ったことがない。すぐ近くまで行っていながら市場を知らないから行かなかったという事実に、くやしさがこみ上げる。実は、こういうことはほかにもあって、調べことをしていると、よく歩いた道路なのに、ビルの中に入らなかったことを、「ああ」と嘆いたりすることが何度もあった。あまりの悔しさに、すぐにまた行きたくなって、航空券情報を調べたりしている。プラハはそのくらい奥が深い。

https://tokuhain.arukikata.co.jp/prague/2013/07/_tttm_sapa.html

 さて、チェコベトナム人だ。チェコスロバキア時代から、同じ社会主義国ということでベトナムと深い関係にあった。留学や技術研修やおそらく単純労働者として、多くのベトナム人チェコスロバキアにやって来た。元日本大使夫人が書いた『私はチェコびいき』(大鷹節子、朝日新聞社、2002)によれば、共産党政権時代には、毎年3万人ものベトナム人労働者を受け入れていたそうだ。こういういきさつがあるから、ベトナム市場が北部の街サパの名をつけているのだろうし、通称が「リトル・サイゴン」ではなく、「リトル・ハノイ」になっているのだろうと、私は想像する。

 1989年の民主化で、ベトナム人はいったん帰国したものの、チェコでの生活に慣れていて、チェコ語ができるベトナム人チェコにとって貴重な労働力だから、ふたたびチェコに迎え入れられた。若いベトナム人が流暢なチェコ語をしゃべるのは、チェコ育ちだからだろうか。現在は2世が活躍する時代に入っているようだ。チェコ政府の統計によれば、チェコ在住ベトナム人は、1996年は3800人だったが、現在は6万人ほどいるようだ。それに対して、チェコ在住中国人は6000人弱、韓国人や日本人はそれぞれ2000人以下だ。

 旅行者にもすぐにわかるベトナムは、ベトナム料理店の存在だろう。雑貨店でも多くの東アジア風の顔つきの人によく合うが、ベトナム人か中国人かの区別がつかない。ベトナム料理店はプラハのいたるところにある。マクドナルドやKFCを探すよりも、ベトナム料理店を探すほうがよっぽど楽だ。だから、少なくともプラハに住む人たちにとって、ベトナム料理はもはや特別な食べ物ではない。中国料理店はベトナム料理店ほどではないが、やはり数多くある。統計資料ではなく、街散歩の印象で言えば、プラハでもっとも多い外国料理店はベトナム料理で、次は中国料理店だ。そして、ピザ店とケバブ店が続く。

 『屋根裏プラハ』(田中長徳)によれば、1989年のビロード革命以前のアジア料理店は、中国料理店とベトナム料理店がそれぞれ1軒あっただけで、日本料理店はまだなかったという。2017年のジェトロの資料「プラハスタイル」には、2016年現在チェコにある日本料理店は158軒、そのうちプラハに102軒あるという。「日本料理店」をどう定義しているのかわからない。ジェトロはこの30年間でこれだけ増えたとしているが、街を散歩していて、「日本料理店が多いなあ」と認識したことはない。それどころか、道路に面した日本料理店を見た記憶がほとんどない。うどんや牛丼やラーメンのチェーン店があるわけではない。ところが、ベトナム料理店は街のいたるところで見かける。とすれば、日本料理店をはるかに超える店舗数があると想像できる。

 チェコ在住日本人が書いているブログ「新チェコ生活日記2」を読むと、「ベトナム料理がプラハでブーム」という記述が出てくるのは2012年で、そのころに上に書いたSAPA市場がオープンしたようだ。

https://prahalife2.exblog.jp/12707309/

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私の想像だが、一時代前のファーストフード店のような気がする。プラハ郊外で見かけた猛獣の檻か留置所のようなピザ屋。共産党政権時代からのものだろうか。

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今や、こういう店はプラハのどこにでもある。安いのが魅力だろう。

 

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私もたまらず、フォーを注文した。トウガラシ、レモン、キムチがついていた。量がベトナムや日本基準から考えると超大盛りである。だから、割安感が増すのだろう。

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 イートインコーナーもある持ち帰り店も多い。

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前回食べたファーがイマイチだったので、別の店で注文。ここでは箸があった。テーブルにニョクマムを見つけ、丼に注ぐ。「ああ、うまい。発酵食品のうまさ」。塩とコショーだけの味付けでは、やはり物足りない。

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そんなわけで、宿に台所がついていることをいいことに、ベトナムエースコックのキムチラーメンを買ってきて、昼飯にした。感動的にうまかったという話は、のちほどゆっくりと・・・。




 

 

1202話 プラハ 風がハープを奏でるように 第11回

此頃都ニハヤル物 その3

 

 プラハでよく見かけたものの続きだ。

 2、タイ・マッサージ

 プラハでもっとも有名な広場といえば、旧市街広場とバーツラフ広場が首位争いをするだろうが、繁華街でもあるという条件を加えると、バーツラフ広場が首位に来る。そこは、正確には広場というよりも、大通りと呼んだほうがいいのかもしれないが、チェコ語でもnamesti(広場)だ。昔の写真を見ると中央を路面電車が走る大通りだったが、線路部分が広場になり、何かの催事があると車道部分が閉鎖され、長さ700メートルほどの細長い広場になる。

 高級ホテルも立ち並ぶこの広場の歩道で、タイのサムローティープを見てしまった。今でもタイの地方都市ではタクシーとして使われている三輪自転車のタクシーだ。ベロタクシーなどと呼ばれる別の姿の三輪自転車はヨーロッパにあるが、この形のサムローは1980年のサンフランシスコで観光タクシーとして使われているのを見て以来、タイ国外では見ていない。プラハでも、これで観光タクシーをやっているのだろうかと思って写真を撮ったのだが、なんだか変だ。振り返ると”THAI  MASSAGE”の看板が見えた。マッサージ屋の客寄せ広告に使っているのか。

 それがチェコで初めて見たタイ・マッサージの店だが、散歩をしていたらチェーン店もあれば、単独の店もある。とにかく多い。どこにでもあると言っていいくらいある。おかげで、プラハの古い建物に挟まれた路地で、タイ最高の歌手プムプアンの歌声を聞いた。東北タイの語り物歌謡モーラムも聞いた。客寄せのために、道路に大音響の音楽を排出しているのは、プラハではタイ・マッサージの店だけだ。そこだけがアジアだ。

 店頭の料金表を見てみる。「高い!」というのが第一印象だ。もっとも安いコースで、30分300コルナ以上する。つまり1500円だ。「なあんだ、安いじゃないか」と思うのはカネを持った観光客だ。100コルナで食事ができる国だ。歩道から店内をうかがうと、タイ語が聞こえたので、タイ人女性はいるのだろうが、全員タイ人かどうかわからない。2階や路地裏の店もあり、どの程度のマッサージかまったくわからない。

 あるタイ・マッサージ・チェーン店の前で、車のボンネットに腰を下ろし、大声で電話している男は中国語を話していた。タバコをふかしながらで、ブローカー、あるいはアウトレイジ風の物腰で、店長だろうか。おそらく中国人の経営で、タイ人が協力者として人事関連の業務を担当しているのだろうと想像した。

 前回紹介した『屋根裏プラハ』は2009年から2011年にかけて雑誌に掲載された文章を集めた本だが、そこにはタイ・マッサージ店のことはまったく出てこない。もしかすると、マッサージ店がこんなに出現したのはここ5年ほどのことかもしれない。一応、日本人旅行者のブログなどで確認すると、2005 年など2010年以前の報告もあるが、やはりここ5年くらいの報告が多い。

 以下、プラハのタイマッサージ店の現状を報告する。チェーン店が多いが、路地裏の小さな店もある。どういうものであれ、プラハでは異様な景色で、いずれ問題になるかもしれない。 

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 これもタイマッサージチェーン店。客寄せとはいえ、タイのサムロー東ドイツトラバントが並んでいるのはいかにも現代史的光景である。この女性が身につけているのはタイの腰布ではなく、どこかの布をズボン状にしたものだ。これをもって、「彼女はタイ人ではない」とは断定できない。トラバントに腰かけながら、大声で中国語でしゃべっている男。中国人はなぜか、スマホを空に向けて、スマホ下部のマイクに向かってしゃべるクセがある。画像解読をしていくと、じつに興味深い写真である。