1251話 プラハ 風がハープを奏でるように 60回

 チェコの食文化 その4 トンカツとコロッケ

 

 私がフードコートによく行ったのは、いくつかの理由がある。まず、ひとりで気軽に食事ができることだ。フードコートの料理は基本的にひとり分を単位にしているから、普通の食堂ではひと皿では多すぎる料理でも、フードコートなら食べることができる。

 安いというのも魅力だ。日本にはラーメン屋や牛飯屋などファーストフード店が各種多数あるが、そういう店舗がないチェコのような国では、フードコートはありがたい。プラハの場合、郊外のショッピングセンターのフードコートでは、ひとり80~130コルナが相場だろうと思う。日本円にすれば、400円から650円といったところだ。一皿の量が多いから、小食の人ふたり分くらいある店もある。セルフサービスだから、チップがいらない。これ以下の金額で食事をするとなると、ピザの立ち食いだろう。ケバブだと、フードコートの安飯と金額はさほど変わらない。

 フードコートが便利な理由はまだまだある。飲み物を注文しなくても、スーパーで買った水で食事することもできる。料理がすでに並んでいるから、メニューを読んで注文する必要がない。言葉がいらないのだ。「これ」と指さすだけでいい。すいていれば、さまざまな料理をゆっくり眺めることができる。チェコ料理という範疇に入るのはどういう料理なのかが、現物で確認できる。確認できないのが、ふたがしてあるスープ類だけだ。

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 CESKEという文字から、チェコ料理だとわかる。

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 こういう写真をみれば、チェコ料理とはどういうものかが、だいたいわかる。こういう料理が、500~600円。西ヨーロッパと比べると、格段に安い。

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 食材が、キャベツ、ニンジン、ジャガイモ、ベーコン、パスタだということがわかる

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 こういう料理は好きだが、体重に悪い。

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 肉料理の一例。フォークが刺さっているのが、ブタのひざ肉のロースト。注文があれば、この肉塊を切り分ける。

 

 煮込み料理が多いのはわかっていたが、意外だったのは揚げ物も多いことだ。それも、日本でいう「フライ物」、パン粉をつけて揚げたものだ。トンカツがある。その起源はウィンナー・シュニッツェルだろう。ウィーンという名がついているが、その起源はドイツとかイタリアとかいろいろ説があるようだが、いまではウィーンの名物料理になっている子牛のカツレツだ。チェコではスマジェニー・ジーゼック(Smazeny rizek)ほか、Veprove rizekなどいくつかの名前があり、私には区別がわからない。smazenyは「揚げる」、veprovoは「ブタ肉」という意味だが、rizekがわからない。チェコでは、牛肉ではなく豚肉を使うことが多いようだ。日本でも豚肉が主流になり、トンカツになった。チェコにトンカツソースはない。しっかり塩味がついているから、レモンを絞って食べる。

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 揚げ物コーナー。手前の円形のものは何だろうと思い、注文してみた。メンチカツか、ハムカツか?

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 これを何と言えばいいか。細かく挽いたブタ肉のカツ。歯ごたえのないハンバーグカツ。キュウリのピクルスがうれしかった。

 細かいパン粉をまぶして揚げた料理は何種類かあるが、写真メニューに“krokety”というのがあって、「ははーん」とひらめいた。ポルトガルでもスペインでもイタリアでも食べているコロッケだ。食べてみた。俵型で、ジャガイモだけ。味は、多分、塩コショーだけ。日本のコロッケと比べると、柔らかい。コロッケの位置は、独立した一品料理というよりも、フライド・ポテトやマッシュド・ポテトのように、ジャガイモ料理のひとつで、メインディッシュの付け合わせのひとつだろう。

 

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 これが、コロッケ。牛肉のドゥミグラスソース煮込みが載っていた。だから、これで満腹

1250話 プラハ 風がハープを奏でるように 59回

 チェコの食文化 その3 野菜

 

 食堂でメインディッシュを注文すると、その料理にプラスしてデンプンが付く。デンプンは、客の希望に応じて、パンかクネドリーキか、ジャガイモか飯が付く。ジャガイモは揚げたり、ゆでてつぶしたりしたもので、いくつもの料理法がある。飯は、日本のような短粒種のコメを炊いたものだ。長粒種のコメもある。最近のことだろうと思うが、食堂でコメの飯に出会うことが意外に多い。イタリアのように、何も言わなくても籠に入ったパンがテーブルに運ばれてきた体験はない。高級店ではあるのだろうか。

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 クネドリーキは食べたくないので、飯に代えてもらった。

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 別の日に行ったときは、デンプンをパスタにした。やはり、クネドリーキはいやなのだ。この店は、プラハ中心部にあって、安くて有名な店だから、その様子をちょっと紹介しよう。

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 ビルとビルの間のアーケードを入っていくと、この看板がある。

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 営業時間は、10時から3時まで。Menu:の下に書いてあるのは、「スープ、メイン、デザートで109コルナ(約550円)」というセットメニューの案内。矢印に従って、階下に降りる。

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 ビールのメニュー。

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 すると、こういう公務員食堂のような、昔ながらの食堂がある。私をここに案内してくれたのはポルトガル人旅行者。「ここが安くてうまいという情報は、ユーチューブで見たんだ。有益な旅行情報は、ほとんどネットでわかるよ」

 

 メイン料理は肉料理で、牛、豚、家禽類の料理。あるいは、ソーセージやベーコンやハムなどの加工品。肉の煮込みとデンプンという組み合わせが、典型的はチェコの食事だろう。

 野菜も果物も、今ではスーパーマーケットに行くと、「何でもある」といえる。だから、写真を撮らなかった。外国で太ネギに見えるのは、たいていは葉が扁平なリーキ(ポアロネギ)なのだが、プラハのスーパーの野菜売り場で近寄ってよく見ると、緑の部分も丸かった。これはネギだろう。

 どの本だったか忘れてしまったが、共産党時代はバナナがとても高かったという記事を読んだ。30年前なら、果物や野菜の輸入品はほとんどなかったと思う。その時代、韓国でもチェコでも、バナナは高価でなかなか食べられないものだった。共産党時代は、「地産地消がすばらしい」という考えの人には、まことにすばらしい時代だっただろう。輸入品がほとんどないから、すべて国産の生鮮食品だ。物流がうまく機能していなければ、地元の食材を食べるしかない。

 バナナが栽培できない土地で、バナナが安い値段で売られるようになるのが政治と経済の開放だと、バナナが大好きな私は思う。

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 朝飯付きの宿に泊まっていないときは、いつもバナナを用意していた。バナナの値段は、日本と同じくらい。

 

 ヨーロッパの広い地域では、野菜を親の仇のようにくたくたに煮るのはなぜだろうかという疑問が浮かび、ちょっと調べたことがある。すると、ヨーロッパでは近代史のなかに、「消化の良さ」を非常に重要視した時代があり、肉も野菜も徹底的に煮たのだが、それ以前の時代でも、鍋がいつも火にかかっていれば、食材はくたくたになる。私のこの仮説をヨーロッパの食文化を研究している知り合いに話すと、「別の理由もあるんですよ」と、コメントをくれた。「歴史的には、地中海沿岸地域を除けば、ヨーロッパでは生で食べられる野菜なんてそもそもないんですよ。煮込まないと固くて食べられない野菜だから、よく煮込んだということだと思いますよ」。

 そういえば、日本のテレビで、ヨーロッパのどこかの国で日本人がトンカツを作るという番組があって、豚肉もパン粉もキャベツも簡単に手に入るのだが、キャベツが固すぎて生ではとても食べられないといったシーンがあったのを思い出した。

ということは、中世にあった野菜は、キャベツ、ニンジン、タマネギなどで、そのごだいぶ後になってジャガイモが入ってきたのだから、生野菜サラダなどごく最近登場したというわけだ。

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 フードコートのサラダコーナー。1990年代でも、こういう風景はチェコ的ではなかっただろう。

 

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 街のビルの中で見つけたサラダ専門店。ボールに山盛り一杯の生野菜を食べることにした。希望の野菜を選ぶと、なんと、すべてみじん切りにされて・・・・、

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 こういうパスタ・サラダに変身した。日本式に言えば、丼一杯のサラダだから、これで満腹する。109コルナとやや高額なのは、都会のおしゃれな若者の店という感じだからだろう。109コルナなら、先ほど紹介した地下の食堂のセットメニューと同じ金額だから。

 

 酒を飲まない私には、チェコの酒について語るべき話題がない。ビールについては参考文献がいくらでもあるから、そちらを読んでいただきたい。例えば、『ビールと古本のプラハ』(千野栄一白水社、1997)は愛すべき書物だ。こういう本があることは、チェコ人にとっても日本人にとっても、幸せなことだ。

 ビールに関するジョークも載っている。例えば、「既にあまりに有名になったアネクドート(風刺小話)」なのだがとためらいながら紹介したのが、これ。チェコは最高のビール生産国という世評が前提となっている。

 「ロシアの醸造所で、やっと会心のビールができたので、チェコに送って試飲してもらうことになった。それに対してチェコは電報を打ち、『キコクノウマハケンコウデス』」

 

 

1249話 プラハ 風がハープを奏でるように 58回

 チェコの食文化 その2 クネドリーキ

 

 何で読んだのか忘れてしまったが、国外で暮らすチェコ人が夢見る故国の食べ物はknedlikyクネドリーキだという。カタカナで「クネドリーキ」と検索しても、日本語の情報がいくらでも出てくるほど、パンやチェコに興味がある日本人の間ではかなり知られたパンらしい。そのひとつ、次のブログ「チェコの暮らしと手仕事」を読んだら、外国でこのパンを懐かしく思った有名チェコ人はドボルジャークだったとわかった。その真偽はともかく、そういう逸話を私も読んでいたらしい。

 https://mirabelka.exblog.jp/24182621/

 上記ブログでクネドリーキについて詳しく紹介されているから、私はごく簡単に書いておく。クネドリーキは蒸しパンのような外見で、多分、説明されないと固めの蒸しパンだろうと思うかもしれないが、ゆでたパンだ。ただし、最近は電子レンジで加熱する家庭もあるという。

 チェコに来たのだから、一度は食べてみようと思い食べてみたのだが、想像していたほどにはうまくない。味も香りもないのだ。何度も食べたいと思うパンではない。あるレストランの写真メニューを見たら、ワンプレート料理にはクネドリーキがついていたので、「ジャガイモに変えてほしい」と注文した。ところが、テーブルに届いたのはクネドリーキで、「おいおい、違うだろ。ジャガイモに変えてくれと言ったじゃないか」と文句をいうと、店主は平然と、「これ、ジャガイモです」と答えた。

 これは、半分言い逃れであり、半分真実だろう。現在は、クネドリーキは小麦粉を使ったものが標準だろうが、各家庭の台所事情や好みで混ぜ物が入るらしい。食べ残したパンを水でふやかして小麦粉と混ぜたり、イタリア料理のニョッキのように小麦粉にゆでたジャガイモを混ぜて作ることもあるようだ。私の想像なのだが、歴史的には「混ぜられるものは何でも混ぜて増量する」というパンだろうと思う。ジャムなどを入れた甘いものもある。ヨーロッパで、白い小麦粉が誰でもたっぷり使えるようになるのは、それほど昔のことではない。たんなる思いつきで言うが、昔は小麦粉がつなぎだったのだろうと想像している。

 このゆでたパンを、チェコの名物のように紹介している記事も多いが、前回紹介したロフリーク同様、近隣諸国に同じようなパンがある。ただ、ゆでたパンの仲間では、チェコクネドリーキがもっとも有名だろう。

 チェコの代表料理の1品と言えば、グラーシュにクネドリークを添えたものだろう。グラーシュというのは赤いシチュー状の料理で、トマト味のように見えるがパプリカを大量に投入したハンガリー起源の料理だ。こういう事情なので、「チェコ料理とは?」という話はしにくいので、「チェコの料理」を語りたいと思う。起源がどうであれ、チェコ人が日常的に食べている料理のことだが、私はプラハ以外の事情をほとんど知らないし、ホームステイもしたことがないので、「うちの味」も知らない。外食で得たわずかな知見で話をしている。

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 初めて食べたグラーシュとクネドリーキ。実は、1980年代に、日本で最初にできたハンガリーレストランでグラーシュを食べているが、味の記憶はなかった。クネドリーキは、この写真のように「焦げ目のないバゲット」のようでもあり、蒸しパンのようでもある。これと次の料理は、フードコートのもので、どちらも一皿500円ほど。

 

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 豚ヒザ肉のローストPečené vepřové kolenoというものを写真で見たが、大きな塊なので、とてもひとりでは食べられない。テレビ番組のように、残すことを前提として注文する気にはなれない。ところが、ある日、ショッピングセンターのフードコートで、一人前でも注文できることとわかり、やっと食べることができた。切り分けたので、カリカリの皮がないのが残念だが、うまい料理だった。詰め合わせは、クタクタに煮たキャベツ。2度目になるクネドリーキは、「もうこれが最後でいいや」と思った。ジャガイモにすればよかった。

 このヒザ肉のローストのレシピはこれ。ねっ、食いたくなるでしょ

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  それで、「クネドリーキをジャガイモに変えて」といって注文したのが、これ。写真ではゆでたジャガイモのようにも見えるが、これもクネドリーキ。たしかに、気泡が細かく、しっとりはしていたが、うまくはない。ここはちゃんとしたレストランだから、水を持ち込むのは遠慮した。料理と水で、1000円は越えた。

 それはそうと、食べ始めてから「あーあ、写真だ!」と気がつくのはいつものこと。食欲が第一、写真なんかどーでもいいという旅行者である。

 

1248話 プラハ 風がハープを奏でるように 57回

 チェコの食文化 その1 家庭料理

 

 宿で会った旅行者たちとの雑談で、チェコの料理が話題にのぼったことは何度もある。思い返してみれば、「ひどくまずい!」と言った者はいなかったが、「とてもうまい!」と言った者もいなかった。もし、その場にフランス人やイタリア人や中国人の「自称食通」がいたら、チェコ料理に対して悪態をつくかもしれないが、私の印象は、「まあ、可もなく不可もなく、かな?」だった。チェコの料理に対して期待がないから、失望もなかった。タイ料理のように、「こいつはうまい!」もなければ、「こんな臭い草が食えるか!」という怒りもない。

 チェコで、「可もなく不可もなく」という料理を毎日食べていてふと気がついたのは、「家庭料理って、そういうもんだよな」ということだった。母が作る料理が、「毎日、感動的にうまかった」ということはまずないし、毎食「まずくて食えない」ということもない。家庭料理はそういうもので、それでいいし、それがいい。旅行者が口にする料理も、そういう家庭料理だから、「可もなく不可もなく」でいいのだとわかってきた。

 チェコスロバキアは東西に長く、地形的に大きな変化がないので、東半分のチェコも地域的な変化はあまりないようだ。周囲を外国に囲まれた内陸国だから、周辺の国の食文化と大きな違いもない。海がない国だから、海産物はほとんど口にしなかった歴史はわかる。要するに、ポーランドハンガリーなどと大差ない食文化なのだろうと想像がつく。食文化がドイツとも近いとすれば、朝と夜は、パンとチーズとハムやソーセージを食べ、昼だけは煮込みなど暖かい料理を食べるというのが伝統的な食生活だろうと想像がつく。

 チェコのレストランの料理を写真で紹介し、簡単な解説をつけたようなガイド類はいくつもあるが、チェコの食文化を解説したものはほとんどない。「朝日百科 世界の食べもの」(朝日新聞社)が日本語では唯一の資料だが、チェコの食文化がはっきりと見えてきたわけではない。チェコの食文化を教えてくれる日本語の数少ない文献は、『プラハの春は鯉の味』(北川幸子、日本貿易振興会、1997)だろう。著者がプラハに滞在したのは1995年3月から96年11月までなので、時代が大きく変わる瞬間の生き証人だということがよくわかる。そういう点でも、すばらしい滞在記だといえる。ちなみに、この書名は、日常、魚を食べる習慣がないチェコでは、春になると鯉を食べるという食習慣による。

 この『プラハの春は鯉の味』を読むと、私の想像は正しかったようだ。改めて書くと、チェコの日々の食事は、こういうことらしい。

  学校や会社は8時から、工場は6時から始まるので、チョコ人は早起きだ。朝食は、パンにハムやチーズを添えて、コーヒーか紅茶を飲む。昼は会社や工場の食堂で、スープに肉料理とパン。肉は牛肉よりも豚肉が好まれる。料理の味は、「油濃くて塩辛い」。夕食は朝食とあまり変わらず、火を使わない食事だというのが、この本の記述だ。つまり、朝夕は、食卓にナイフが一本あればいいという食事だ。

 私はおもにプラハでごく短期間過ごしたただの旅行者だから、家庭の食生活や農山村の食生活も知らないが、どうやら食堂の料理と家庭の料理に大きな違いはないらしい。

 どんな安宿でも、「朝飯付き」はありがたい。起きてすぐにコーヒーが飲めるのがうれしい。チョコ最初の朝飯は宿のものだったが、「ああ、これが、たぶん、チェコのパンだな」と気がついたのは、rohrikロフリークだった。オーストリア生まれのクロワッサンの仲間だが、こちらはパイ生地ではない。同じようなパンがチェコ近隣に多くあるように、「これぞ、チェコ独特」という料理は、多分ない。

 ロフリークはホットドッグ用のパンほどの大きさで、角突きと言いたくなるほど湾曲していることが多いが、まっすぐなのもある。多分、味は同じだろう。皮はちょっと固いが、パン自体は固くない。パサパサというのが最大の特徴で、ネット情報をいろいろ読むと、焼いてから時間がたつとてきめんにまずくなるようだ。

 口の水分を全部奪うようなパンで、味がない。甘く、ふかふかのパンが好きではない私との相性はいいのだが、味と香りに乏しいのが難点だ。パン屋では1本2K(10円)以下で買える安いパンだ。朝食が付かない宿では、私はそれよりもちょっと高い全粒粉や雑穀入りのパンを買っていた。

f:id:maekawa_kenichi:20190306094142j:plain チェコで最初に口にした食べ物。宿の朝食。このパンが多分ロフリークだろうが、角型ではない。パンとハムとバターとコーヒー。こういう朝食が好きだから、日本の旅館の朝食が苦手だ。

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 パンがもう1種類あるので、多分ライ麦いりのパンに、6Pチーズとジャムとリンゴ(酸っぱい)と、コーヒーをもう1杯。

 

 ガイドブックや旅行記などで、「これぞ、チェコのパン」と紹介されているパンは、次回に。

 

 

1247話 プラハ 風がハープを奏でるように 56回

 乗り物の話 その10 霧の中、ひとり

 

 その日のプラハは急に寒くなり、霧に包まれた。いままで晩夏という感じだったが、急に秋になった。ちょっと遠出をしようと思ったので、早く起きて、宿の朝飯は食べずに霧の街に出た。

 天然素材で作ったせっけんやロウソクなどを製造販売しているボタニクスという会社が、プラハ郊外で観光農園のようなものをやっているらしいという情報を得た。天然素材といったものにはまったく興味がないが、プラハの郊外を見に行くきっかけとして、とりあえずの目的地に選んだというのが、この日の遠足だ。出発地は、散歩では何度も行っているマサリク駅だ。ここから西の方向に45分ほどの鉄道旅行をする。

 ボタニクスの情報は、これ。

 https://www.czechtourism.com/c/ostra-botanicus/

 2階建ての車両に、乗客はほんの数人。朝方郊外に出る人は少ないだろうとは思うが、これでは廃線確実だなと思った。自由主義経済になって30年、まだこの路線があることが奇跡かもしれない。

 

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 郊外からの通勤者を降ろし、物見遊山の私が乗る。車両の外見はちゃんとしているので何とも思わなかったが、車内は汚れていた。古くてオンボロというのではなく、掃除が行き届いていない感じだが、世界水準で言えば合格だろう。

 

 数人の客しかいない路線なら当たり前か、車内は少々汚れていた。気になるほどではないし、ローマからポンペイ方面に向かう私鉄のボロさと比べれば何倍もマシだが、「端正」という印象だったチェコで、これは意外だった。

 マサリク駅を出たら、古い低層住宅が見え、すぐに農家らしき家。車窓からの風景を楽しもうと思っていたが、霧でよく見えない。チェコ南部のチェスキー・クロムロフへの鉄道旅行をすでにしているが、その時と同じような農村風景で、特にこれと言った印象のない風景だ。一面の牧草地とか、スペインのようにどこまでも広がるオリーブ畑という特徴がない。高い山も見えない。

 45分ほどで、“Ostra”(オストラー)という車内アナウンスが聞こえて、下車。チェコ語の素人でも聞き取れる言語であり、読めるラテン文字表記に感謝だ。

 降りたのは、私ひとり。複線で、ホームが向かい合っている無人駅が霧に包まれている。何かのエンジン音は聞こえるが、人影はない。駅を出ると、道路わきに目的地の「ボタニカルガーデンまで1キロ」という看板があるが、そういう施設がありながら、人影がまったくないというのは不自然だ。いくらなんでも、客が私ひとりというのはおかしいだろう。

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 列車を降りると、畑のなかにポツンと孤立する駅だった。ホームにある黄色い機械は、自動検札機(改札機)だと思うが、無人駅だからキップはうってないのだよなあ。地下鉄のように料金均一制じゃないし。

 

 下車駅が違ったのか? 手元の資料で確認したが、Ostraで間違いない。ほかの情報を調べると、ボタニクスは5月から9月の営業で、きょうは10月に入ったところだ。「あーあ、やっちゃった」とは思ったが、プラハ行きのホームで時刻表を見れば、25分後に列車が来るから、後悔とか自己嫌悪といったものはまったくなかった。居直りでもやせ我慢でもなく、偶然生まれた時間を楽しもうと思った。幸か不幸か、たかが25分の時間つぶしだから、この無人駅から遠出ができない。駅周辺の畑を歩き、ホームで音がするので戻ると、制服姿の男女が大きなビニール袋を持って現れ、駅のゴミ箱をからにして、踏切そばに停めたバンにゴミを積んだ。どういうゴミが入っていたか、すでに調査済みだ。菓子らしきものの、空箱だ。

 列車到着まで、あと5分。おばちゃんが我がホームに現れ、私のほうを向いて“Dobry den”(こんにちは)といきなり声をかけられたので、おどおどしてしまった。

 冬が始まりそうな日の午前中に、何ということはないが、それでも楽しい郊外への旅をした。

 

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 プラハ方面行きのホームにだが、景色が変わるわけじゃない。

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 人影なし。農具のエンジン音だけが聞こえることで、「近くに人がいる」ことがわかる安心感。

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 駅の北も南も畑。これはアブラナ科らしきこの葉は、キャベツか。土壌が豊かとは思えなかった。

 

 乗り物の話は、今回でおしまい。次回からは食べ物の話を、ちょっと。

1246話 プラハ 風がハープを奏でるように 55回

 乗り物の話 その9 タトラ 国立技術博物館

 

 プラハを散歩しながら車を見る。当然シュコダが圧倒的に多く、「半分近いのかなあ」と想像したのだが、ここ数年の自動車販売台数のメーカーシャアを調べてみると、シュコダは3割ほどだとわかった。フォルクスワーゲンと現代が8パーセントほどで2位、3位となり、以下数パーセントで、Dacia(ルノー系のルーマニアの会社)、フォード、プジョー、キア、ルノーなどが続く。この統計でもわかるように、日本車は「たまに見かける」という程度だ。こういう混沌ぶりがおもしろいと思うのだが、日本の自動車マスコミは大メーカーか有名メーカーしか取り上げない。自動車関連の情報にマスコミのビジネス面は見えるが、ジャーナリズムはない。そういえば、プラハでテレビを見ていたら、だいぶ前の「トップ・ギア」(イギリスの自動車番組)を放送していたことを今思い出した。あの番組は、自動車業界との癒着度は低い。

 シュコダは現在も生産しているせいか、チョコに行く前から知っていた。画像も見ている。印象は「ローバーの、例えば200に似ているなあ」であって、フォルクスワーゲンの子会社になっているとは知らなかった。ちなみに、ローバーは今は亡きイギリスの自動車だ。

 タトラはまったく知らなかった。戦争マニア(オタク)なら当然知っているのだろうが、私はそういう方面の働く車に興味はない。初めてタトラを見たのは、プラハの国立技術博物館だった。オートバイから自動車、鉄道、飛行機まで集めた博物館だが、その方面のマニアを満足させるほどの展示数はない。初めて見た現実のタトラは3目(ライトが3つ)で、それはタトラの特徴だとわかった。自動車のデザイン史の資料としてもおもしろい。

  タトラに関するネット情報は多い。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%88%E3%83%A9_(%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A)

  それでは、国立技術博物館の展示品を見ることにしよう。展示品がまとまらずに多いので、かえってあまり撮影していない。トラムとバスなど交通博物館にあるもの以外の展示だから、手を広げすぎたか。

 

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 おっ、銀色に光るタトラがあるぞ。

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 タトラ87.資料では、"TATRA T87"と書いてあることが多い。

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 ひと目見て、「流線形」という語が頭に浮かんだ。1930年代のアールデコ時代に生まれたデザインで、自動車や鉄道車両の分野では1950年代まで、こういう「流線形」がはやる。この展示車は、1947年から50年にアフリカや南米を走った車をこの博物館に寄贈したようだ。タトラといえば、この87が有名のようで、特異なデザインと高速運転能力で、自動車ファンの間では有名らしいが、私はチェコに来るまで知らなかった。

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 インディアンはアメリカのオートバイメーカーで、この博物館はチェコ製品だけの展示ではないようだとわかり、さらに進むと・・・。

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 おお、三輪オートバイがあるではないか。うしろのポスターを見ると、LAURIN&KLEMENTI。自転車にエンジンを積んで販売した会社で、シュコダの前身だ。こういう三輪オートバイも生産していたのか。

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 このサイドカー付きバイクの身元はわからない。展示説明によれば、牧師の移動用に使っていたらしい。オーダーメイドか? 三輪の自転車やオートバイはおもしろいと思うのは、運転免許もなければ機械の知識もないし、熱烈な乗り物ファンというわけでもない私以外ほとんどいないというのが、大きな謎だ。





 

1245話 プラハ 風がハープを奏でるように 54回

 乗り物の話 その8 シュコダ

 

 オーストリア・ハンガリー帝国からチェコスロバキアとして独立する1918年以前から、現在のチェコの地は経済的に、近隣の国々とはまったく違う歩みを進めていた。その象徴がŠkodaだ。Sの上に記号があるから、スではなくシュの音になり、シュコダ。創業者の姓だが、「残念」という意味だ。チェコには、こういう変わった意味の姓があるらしい。シュコダは、日本の三菱財閥のようなものだと理解するとわかりやすい。

 1859年、ビールの産地として知られるピルゼンで生まれた会社を、エミル・シュコダが1869年に買収し、軍需品生産から巨大な兵器メーカーになり、発電所、鉱山など次々と手を広げて財閥となる。チョコの近隣諸国は貧しい農業国だったのだが、チェコは19世紀から豊かな工業国だった。その象徴がシュコダというわけだ。

 1895年、二人の男が自転車製造会社を作った。ほどなく、自転車にエンジンを付けて売り出し、オートバイメーカーとなった。まるでホンダだ。ただし、チェコのオートバイメーカーは自動車を製造するのではなく、自動車会社を買収しラウリン&クレメントという自動車会社になった。チェコスロバキア独立後も順調に自動車生産をしていたら、1924年に工場が大火災にあい、経営が困難になり、買収されることになった。買収したのが、シュコダというわけだ。シュコダ自動車は自転車とオートバイの生産をやめて、本格的な自動車会社になった。

 第二次大戦後、ソビエトの強い影響下で、工業部門は国有企業のレーニン工業会社と名称を変えられた。国有企業となったレーニン工業会社には、自動車製造部門が2社あった。高級車部門のタトラ社と、中級車シュコダを生産するシュコダプルゼニ社だ。

 1962年、NHK東欧特別取材班はチェコスロバキアを訪れて、自動車工場を見学している。『東欧を行く』(NHK特別取材班、日本放送出版協会、1963)を読むと、こんなことがわかる。

 1960年代初めのこの時代、チェコの工業機器を据え付けるために、技術者が日本に何人も行っているという。日本の製品をチェコに輸出するのではなく、日本はチェコの機械を輸入していたのだ。

 プラハを歩くと、乗用車が多いことで、「西ヨーロッパのどこかの町にいるような錯覚を起こす」と驚いている。東欧のほかの国の町では、そもそも自動車が少なく、ましてや乗用車はもっと少なく、国産車などまったくないのに、「チェコスロバキアでは・・・」という驚きだ。

 しかし、だからといって、国内にはシュコダなど国産車が多く走っているというわけではない。原材料を輸入して、自動車にして輸出するという経済システムなので、製品が国内で消費されると、外貨が出ていくばかりなので、チェコスロバキア人といえども自由にシュコダが買えるというわけではない。社会主義国チェコスロバキアの自動車購入システムはこうだ。購入希望者は、代金を銀行に預け、それぞれが所属する組合に購入希望書を提出する。組合は、その労働者の勤務評定をもとに、順次購入許可を出すということらしい。

 1988年から89年のプラハが舞台の小説『コーリャ 愛のプラハ』(ズデニェック・スヴェラーク、千野栄一訳、集英社、1997)では、初老のチェロ奏者とその友人の会話で、ワルトブルグではなくて、せめてトラバントを・・・というやり取りがある。どちらの車も東ドイツ製だ。チェコの自動車生産は、外貨を稼ぐことが主な目的で、国民のためではなかった。

 もう一冊資料を紹介しておくと、『チェコの十二ヵ月』(出久根育理論社、2017)に、こうある。以下の文章の初出は2007年だから、「数年前」は2000年代初めころか。

「数年前のチェコなら、車のイメージといえば年期が入ったロシア製のラダ、東ドイツトラバント、小さなポーランド製のフィアットポンコツトリオ。荷物をロープで屋根にくくり付け、窓を全開にして、裸の男性が暑そうに片腕を窓にかけて運転している、そんな姿でした。しかし、今やチェコでは国産車シュコダも急増していますし・・・・」

 シュコダチェコスロバキア製の車だが、国民が乗れるような大衆車ではなかったのだ。

 1989年のビロード革命で、国営企業レーニン工業会社は民営化された。高級車や軍用車を作っていたタトラ社は、1998年に乗用車生産から撤退し、路面電車部門もシュコダグループに吸収された。シュコダグループの「シュコダ」車生産部門は、民営化直後、フォルクスワーゲンが100パーセント出資する子会社シュコダ・オートとなった。

 

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  レトナ公園北の国立農業博物館は、当然ながら農機具の展示があって、もちろんシュコダもある。

 

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  共産党政権下では、東ドイツ製のこのトラバントでも、中古で買えれば幸せだった。いまでも、ごくたまに路上で見かける。

 

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 以下、街で見かけたシュコダ。当然ながら、シュコダをこれほど見かけるのはチェコの街しかない。

 

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 赤いのはシトロエン。その右がシュコダ、念のため。

 

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 このエンブレムは、発展を象徴する「羽が生えた矢」。

 

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 シュコダ博物は、交通が不便な郊外にある。日帰りはできそうだが、苦労していくほどの興味はなかった。プラハ市内にあれば、たぶん行った。