1375話 最近読んだ本の話 その8

 日本の中国人と中国料理

 

 古本屋で格安だったので、『中国人は見ている。』(中島恵、日経プレミアシリーズ、2019)を買った。食文化の話が60ページほどあるからだ。

 来日した中国人はすき焼きの生タマゴが食べられないという話から始まる。この本は表面だけさらっとさらっただけで、内容に深みがないから多少は売れるのだろうが、私にとってはまったく物足りない。歴史を踏まえないと、話題がおもしろくならない。

 20年ほど前、まだ中国人観光客はほとんどいなかった時代、台湾人や香港人や、中国系アジア人が日本にやって来ると、食事は基本的に中国料理だった。「せっかく日本に来たのだから日本料理を試したい」というのなら、天ぷらや松阪牛やアワビなどの鉄板焼きを出した。刺身など生魚は無論ダメだが、観光中の昼飯に弁当を出すのもご法度だった。冷めた飯を嫌がるからだ。

 しかし、その中国人がすっかり変わった。すしを食べるために日本に来るというのも、もはや珍しくない。中国人が、すし(生魚と冷えた飯)を喜んで食べる時代になったのだ。20年ほど前、クアラルンプールの書店で、中国語版の築地食べ歩きガイドを見つけてびっくりした記憶がある。次々に日本料理を食べて行くようになった中国人(中国語人)にとって、日本の食文化の最後の砦が生タマゴなのだ。

 日本観光をする中国人団体に同行するというテレビ番組を見た。ある日の夕食はすき焼きだ。もちろん、小鉢に生タマゴがある。画面を注視していると、20代、30代の旅行者は日本人と同じように平気で肉を生タマゴにつけて口に運んでいるのだが、中高年になると、初めからタマゴに手をつけないか、タマゴを鍋に投入して加熱する人もいた。

 ここで重要なことは、日本でこういう旅行をしているのは、大都会に住む比較的裕福な人たちで、異文化に対する適応力や好奇心も強い。そもそも海外旅行などできない貧民層なら、すしもほかの日本料理も喜ばないだろう。

 著者はそういうことはわかっていて、あえて深い話をしないのだろうと思う。というのは、香港では生タマゴをつけて食べる鍋料理があるとはっきり書いているからだ。その鍋料理に私も驚いた。寄せ鍋をすき焼きのように食べさせる路上の店だった。地域性や階層を無視して、「中国人は・・・」とか「中国では・・・」と書いてはいけないと、著者はよくわかっている。内容が薄いのは、読者の要求レベルに合わせたということだろう。

 日本在住中国人が苦手な中国料理のひとつが、片栗粉を使ってとろみをつけた料理だという。中国でもやる料理法なのだが、日本人はとろみをつけすぎるというのだ。この本のすぐあとに読んだ『中国料理と近現代日本 食と嗜好の文化交流史』(岩間一弘編著、慶應義塾大学出版会、2019)収載の論文、「日本における中国料理の受容:歴史篇」(草野美保)でも、1930年に日本人向けに出版された中国人が書いた料理書に、日本の中国料理はとろみをつけすぎると注意している。考えてみると、日本ではとろみをつけない中国料理は野菜炒めなど少数か。

 このことと、ねっとりしたカレーが好きということと関連があるのだろうかなどと、ふと思う。

 

 

1374話 最近読んだ本の話 その7

 続・食文化の本を書く

 

 食文化でも音楽でも同じなのだが、ある国の調査をするなら、さまざまなテーマで考えないといけない。歴史や地域差、都市と農山村、宗教や社会階層やジェンダーや年齢などを物差しに、例えば食文化を考えることが必要だ。インドの食文化なら、当然、「宗教と食」が重要だ。菜食主義者といってもいろいろあり、貧しいゆえに肉など縁がない経済的菜食者もいる。

 ここに書き出したようなテーマをどれだけ取り上げるかは、著者と編集者が相談して決めることだが、例え文章にしなくても著者は基礎知識として、一応頭に入れておく必要がある。その上で、どの程度詳しく書くか決めればいい。

 ラジオで、インド人の団体日本旅行をアレンジしている日本人の話を取り上げていた。中高年はインドから持参したレトルトパックなどインド料理しか口にしないが、若い世代は「すし屋に案内してほしい」など、日本料理にも興味を示しているという内容の話で、インドでもここ10年くらいで大都市に住む若者の食文化は大きく変わっている。中国人旅行者も、同じような経緯で日本料理になじんできた。

 インドの場合は、探せば英語の本やネット情報も多いと思う。スパイスの資料も多いので、この作業はそれほど大変ではないだろうが、どれだけ好奇心を広げられるかが問題だ。例えば、穀物や油脂の種類とその利用法。砂糖だって、いろいろな種類があり、しかも料理に砂糖は使うのかというテーマも、解答を探すのは簡単ではない。すでに多く出ている食べ歩き本やレシピ本のような本と違い、調べて考えてまた調べるという工程が加わる。食文化の本を書くとなると、経済史や政治や民族問題などその守備分野は広大で、頭を整理しないといけない。

 今年、旅行人から出るというインドの食文化の本では、食材や料理法などのリストを作って、いくつかのインドの言語に英語と和名、学名などが入ったリストを索引のように作るか、あるいは本全体を「インド食文化事典」のようにするか、方法はいくつもある(どやら、料理図鑑のようにするらしい)。ちょっと前に『沖縄ぬちぐすい事典』を紹介したのは、これがすばらしい食文化事典だからだ。野菜や魚貝類の話から、塩の話も1ページ分ある。カラー写真が多いから、チデークニとかシマグワというのがどういう姿をしているのかわかる。資料的価値が高い。

 読み物にするなら、極力カタカナは使わないことにしないと、読者がついていけない。地域の話をするなら、地図を載せないといけない。

 例えば、『日本の中のインド亜大陸食紀行』に、ゴングラという植物がよく登場する。gonguraは(アオイ科)だが、ウィキペディアでは「ケナフローゼルのこと」と、よくわからない説明がついている。どっちらかなのか、どちらも、なのか、さて。あるいは、「ティンムール」(ネパール山椒)というものが紹介されているが、ローマ字表記はtimburとなっている。さあ、どっちなのかと調べると、timurとtimburの両方の表記がある。学名はZanthoxylum alatumだろうか。四川料理でよく使う花椒Z.bungeanumに近いものらしいとわかる。ちなみに、日本の山椒はZ.pipertum。

 食材や料理などカタカナ語は、索引兼用の巻末付録としてリストをつけるという方法はある。脚注にすると、その語が何度か出てくると、そのたびに注をつけなくてはいけなくなる。

 食文化の本は、苦労に見合うほどは売れない。空前絶後の大著作を書こうとすると、手間ヒマ費用ばかりかかって、在庫の山ということになる。あるいは、そもそもそういう本は出ない。大作を書いておいてくれると、私のような者が助かるのだが、世の中に知りたがり屋はそうはいない。

 多くの読者が求めているのは食べ歩きと料理のガイドだからだ。

 

 

1373話 最近読んだ本の話 その6

 食文化の本を書く 

 

 『消えた国 追われた人々』(池内紀)読了。ドイツに詳しく、ドイツ語もわかる人が平易に書く紀行文は、ややこしい歴史がテーマでも楽しく読めた。やはり、私は「行った、撮った」というだけの紀行文には、まったく魅力を感じない。

 『日本の中のインド亜大陸食紀行』(小林真樹)も読了。労作ではあるが、日本におけるインド料理とインド料理店の歴史を簡単でもいいから書いてほしかった。そして、もっとも大きな問題はカタカナ語だと思った。それは、こういうことだ。

 「この日お母さんが腕によりをかけて作っていたのはケチャップをつけて食べるムング・ワダ、ムングを発芽させスプラウト=ファンガベラ(グジャラート語)にしてサブジとして食べるムング・キ・サブジ、酸味の効いたセーウ・トマト、プーリーが一つのターリーに入っていて、別皿で甘いセーウ・キールもだしてくれた」(107ページ)

 書き出した文章の中で、普通の日本人でもわかるカタカナ語はケチャップとトマトくらいだろう。インドの食文化に関する知識がその程度の読者は無視して、インドの地理の歴史も料理もかなり理解している読者を想定したのだろうか。

 もしも、インドの食文化に関心はあるが知識はないという読者を相手にするなら、別な書き方がある。著者はインド食文化大全のような本を今年出版するというので、お節介ながら、食文化の本について考えていることをちょっと書く。

 読みやすい本にするなら、紀行文風にして、カラー写真を多用して、説明は極力省く。インスタ本のようなものだ。

 もしも、空前絶後の本格的食文化本を書こうというなら、基礎の勉強が必要だ。

 私が東南アジアの食文化の本を書こうとして、その基礎知識を得るのに5年ほどかかったのは、食材の身元調査をしていたからだ。今と違って、「レモングラス」や「パクチー」といっても資料がほとんどなく、パクチーコリアンダーのこととわかり、有用植物事典などで身元調査をしたのである。植物学の素人が、現地語名を調べて、次に英語名を調べ学名や和名を調べるのである。コメや野菜や香辛料や魚貝類や調味料の身元を調べ、場合によっては熱帯農業を調べだすと、独学だから5年くらいはすぐすぎる。とにかく、日本語の資料などほとんどない時代だったから、戦前期の熱帯農業の資料も買い集めた。そして、調理道具やコメの炊き方を調べた。

 ちなみに、1980年代前半に手に入れて読んでいた資料のいくつかをあげておく。

 本郷の植物学専門の古書店で入手したのが、この2冊。

 『熱帯植物産業写真集』(牧野宗十郎、東京開成館、1938)

 『熱帯植物写真集』(工藤彌九郎、第一教育図書、1973)

 那覇の古本屋で手に入れたのが、

 『熱帯有用植物誌』(金平亮三、南洋協会台湾支部、1926)の1977年覆刻版

 東京で買ったのが、

 『熱帯の野菜』(岩佐俊吉、養賢社、1980)だが、もっとも使ったのが次の2冊。

 『食用植物図説』(女子栄養大学出版部編、1970)

 『世界有用植物事典』(平凡社、1989)

 マレーシアで買ったのが、

 『The Illustrated Book of Food Plants』(Oxford University Press,1969)

 タイで買った英語とタイ語の両方の名前が載っている本。

 『Plants from The Markets of Thailand』(Christiane Jacquat、Editions Duang Kamol、1990)。これは便利だった。

 昔々は、こういう本を探して読んだのだが、今ではタイ語のカラー版野菜図鑑もあるし、もちろんインターネット情報もある。そういえば、「朝日百科 植物の世界」(全145冊)もあらまし買ったが、食用植物の記述は少なかったなあ。『熱帯の野菜』(吉田よし子、楽遊書房、1983)を知ったのは90年代に入ってからだったが、同著者の『熱帯の果物』同様、助けられた。

 私がタイの食文化の本『タイの日常茶飯』(弘文堂)を書こうと思ったときにまずやったのは、『タイ日辞典』(冨田竹次郎編)の2000ページを最初から読むことだった。この辞書を読むのは、それが3度目だった。ノートを広げ、食文化に関する語を書き出して、食文化辞典を作った。この辞書は動植物にはタイ語名とともに学名も入っているので、使いやすい。食べ物にまつわることわざも書き出した。

 辞書には写真がないから、わかりにくい。そこで英語の本を探すと、英語・タイ語・学名入りの本を見つけた。淡水魚に関しては、私の基礎知識がゼロだから、資料を読んでも知らない魚ばかりでかなり苦労した。

 答え合わせというわけではないが、冒頭に書き出したカタカナの文章をちょっと解説しておこう。

 ムングというのは、英語名mung bean、学名Vigna radiata、和名緑豆(リョクトウ)。日本ではモヤシの原材料として利用されている。ワダは、豆やジャガイモなどをつぶしてドーナッツ状にしたもの。スプラウトは英語sprout、モヤシのようなもの。サブジは炒め物や蒸し物などの料理名・・・といったように、いちいち解説をつけるのは大変だ。この話、長くなるので、次回に。

 

 

1372話 最近読んだ本の話 その5

 ゲルニカ

 

 本の話を書きながら、『消えた国 追われた人々』(池内紀)を読み続けている。東プロシアの司祭であり、法律を学んだ官僚であり、代議士になった男の趣味は天文学で、研究成果を発表すると世間を騒がせてしまうので、死の直前にまとめ、死後発表した。その男の名は、ニコライ・コぺルニクス。そういう話題も出てくる。

 さて、きょうはスペインの話。

 ゲルニカのことがずっと気にかかっている。スペイン北部のゲルニカという小さな町をナチス空爆して、大惨事となった。その虐殺の悲しさと悔しさを描いたピカソゲルニカが有名だ。私が興味を持っているのは絵ではなく、街の方だ。

 数年前にゲルニカに行った。そのあとで、ゲルニカ爆撃に関する資料を探して読んだのだが、「なぜ、ゲルニカを?」という疑問に対する回答は見つからなかった。

 原田マハの『暗幕のゲルニカ』(新潮社)に何かヒントが書いてあるかと思い、本屋でチェックしたが、この本は絵の方のゲルニカのことで、爆撃のいきさつを詳しく書いてあるわけではなさそうだ。

 スペインの人民政府に対して、フランコ率いる反乱軍が蜂起したのが1936年から始まるスペイン内戦だ。反乱軍にはドイツとイタリアが支援し、人民政府側には義勇軍がついた。反乱軍を支援するナチスバスク地方空爆した。そのうちのひとつが、ゲルニカという街だった。

 先日、神保町の古本屋のワゴンセールで、『ゲルニカ物語』(荒井信一、岩波新書、1991)が置いてあったので、すぐに買った。またスペイン内戦の復習をする。

 ドイツが反乱軍を支援した理由は、反共産主義といった政治的理由もあるのだが、鉱山の方が重要だろう。バスク地方の銅や鉄の鉱山はイギリス資本で、イギリスに送られていた。これらの鉱物をドイツが奪えば、イギリスに損害を与えるとともに、ドイツに利益をもたらす。鉱物の集積地は、バスク地方の中心地ビルバオである。ドイツはビルバオが欲しかったのに、ゲルニカを爆撃した。ゲルニカ軍事産業の中心地でもなければ、大都市でもない。爆撃する理由がないのだ。この岩波新書でも、すでに私が知っている事以上の事実は書いてなかった。残された文書によれば、ゲルニカ爆撃の目的は、郊外の道路と橋を空爆して交通を遮断すると書いてあるのだが、実際には道路も橋も爆撃されなかった。なぜか、ゲルニカの街が爆撃されたのだ。私はその理由をずっと探している。

 そういう話は、このアジア雑語林の911話(2017-01-21)にすでに書いている。今回も、それ以上の資料はなかったということだ。

 バルトの旅で、歴史を学んでいるスペイン人大学院生と話をした。歴史は彼の専門だから、もちろんよく知っていて解説をしてくれるのだが、「でも、なぜ、ドイツはゲルニカを爆撃したのか?」と質問すると、彼は絶句してしまった。

 長らく疑問に思っていることは、「なぜ、ゲルニカに」であると同時に、「『なぜ、ゲルニカに?』と疑問に感じる人がなぜ少ないのか」という疑問だ。

 

1371話 最近読んだ本の話 その4

 デジタル旅行者

 

 スマホを持っていない。理由は簡単だ。使わない物に、毎月高いカネを支払う必要はないからだ。自宅にパソコンがあるから、調べ物も、メールも、パソコンでやればいい。わざわざ電車の中で映画を見たりゲ―ムをすることはない。本を読むか、寝ていればいい。

 そう思い、スマホがない生活を続けてきたから、フェイスブックやインスタグラムなどSNSに心を汚されることもない。スマホがない生活は日本では何の不自由もないのだが、外国では違う。

 チェコ南部のチェスキー・クロムロフからバスでチェスケー・ブディヨビツェに行く朝のことだ。バスターミナルの建物があるのだろうと思っていたが、ただの空き地で、バスが停まっていた。車掌からキップを買おうとしたら、「予約なしですか? 現金ですか?」とおどろかれ、「そうです」というと、「じゃあ、しばらく待っていてください」と列をはずされ、スマホを手にした中国人観光客たちが、次々に乗り込んでいく。彼らは、すでにスマホで予約し支払いも済んでいるのだ。予約していないのは、私だけだった。

 バスがチェスケー・ブディヨビツェに着いた。予約なしでバスに乗るのはどうやら危ないらしいので、バスターミナルで翌日プラハに行くバスのキップを買っておこうとしたら、発券所がないのだ。いままで旅したどこの国にも、バスターミナルには発券窓口があったが、ここにはない。ネットで購入しない私のようなものは、街の旅行社に行ってキップを買うのだ。ああ、スマホを持たない者のあわれ。

 宿も、予約をしていないと、泊れないことが多くなった。日本でいらないスマホだが、外国旅行用に買おうかと、ふと思った。そういう時代に、すでに入ってしまったのだ。有名美術館や博物館も、ネット予約をしておかないと入場できない時代なのだ。

 というわけで、あわれな旅行者は、友人に相談した。

 日本でスマホを使わないというなら、タブレットにするのは、どうでしょ。地図などは、宿でダウンロードしておけばいいんだし。

 さっそく「サルでもわかるタブレット入門」というような超基礎学習書はないかと探して、次の2冊を買った。

 『家電批評特別編集 タブレットがまるごとわかる本 2020』(普遊舎)

 『タブレット入門&使いこなしガイド』(マイナビ出版

 買って、ざっと目を通し、「ざっと目を通しただけで理解できる頭脳」を持ち合わせていない私は、「まあ、旅行に行く時に精読すればいいか」とさぼりを決め込んだ。自宅にはWi-Fi環境が整っていないので、タブレットを買っても自宅で設定できない。かといって、自宅でWi-Fiの機器を買うのも、あほらしいなというわけで、それっきりになっていた。

 年末、天下のクラマエ師に会った。

 「前川さん、スマホ買った?」

 私はタブレットの話をした。

 「やっぱり、スマホだよ。Wi-Fiが弱い宿もあるし、バスや公園や、いろんなところで調べたいことが出てくるもんだよ。そうなると、やっぱり、スマホだよ。難しくないよ。小学生だって使っているんだから」とおっしゃる。

 師がそうおっしゃるなら、スマホをまったく知らない身としては、基礎学習をするしかない。というわけで、安くもない本をまた2冊買った。

 『SIMフリー完全ガイド』(普遊舎)

 『海外旅行のスマホ術 2020最新版』(日経BP)

 こうした実用書を熟読玩味しなければいけない時代なんでしょうね。子供なら、「わーい。スマホを買ってもらえるぞ!」と喜ぶのだろうが、私にとっては悪夢だ。カネもかかるし。

 考えてみれば、格安スマホ以前に、スマホそのものがわからない。「サルの赤ん坊でもわかるスマホ超入門初級編」というような本をまず読んで勉強しなければ。というわけで、ネットで調べると、『いちばんやさしい60代からのAndroid』(増田由紀、日経BP、2018)のような本がある。近所の本屋でスマホ入門書を探したが、「60代からの・・・」は見つからず、10歳サバを読んで数点ある「50代からの・・・」を買おうとしたが、判型がやや小さい『NHK趣味どきっ! スマートフォン入門 スマホでやりたい100のこと』(宝島社)を納入。スマホ本体を買う前に、入門書でカネが出て行く。新聞の折り込み広告に、「スマホ講座 入会料5000円、1回1700円・・・」という文字が見える。

 デザリングだのMNPだのバースト転送だの、訳の分からないことばかり。

 今の世の中、右も左もスマホに見入る人ばかり、真っ暗闇じゃございませんか。

 

 

1370話 最近読んだ本の話 その3

 期待したんだけどなあ

 

 沖縄人の異文化接触体験記の本ならおもしろそうだと思ってその本を買った。書店で現物を見ていたら買わなかったが、アマゾンで見て、この出版社なら間違いないと思って注文したのだが、期待通りのおもしろさはなかった。

 『内地の歩き方 沖縄から県外に行くあなたが知っておきたい23のオキテ』(吉戸三貴、ボーダーインク、2017)はタイトル通り、沖縄人の内地(沖縄以外の日本)カルチャーショックのコラムだろうと思った。大阪人の東京生活コラム『大阪人の胸のうち』(益田ミリ、光文社知恵の森文庫、2007)のような本を予想したのだが、アパートの探し方とかヒトとの距離の取り方といったごく普通の上京アドバイスだった。「那覇のアパートと比べて東京では・・・」といった比較、私は知らないのだが敷金や礼金などに違いはあるのかとか、沖縄と東京や大阪の家賃の相場の違いいったことが書いてあるのかと思ったが、そういう話はまるでない。

 この本は、全体的に、私が期待した「沖縄らしさ」はまるでないのだ。音楽映画の話で雑談をした音楽評論家の松村洋さんは沖縄音楽の本も書いていて、沖縄をよく知る人なので、この本の話をメールで送ると、「つまり、沖縄の若者に、沖縄らしさがなくなってきたということだと思うんですよね」ということだった。「沖縄に電車がないから、終電を気にせず飲む」という話はよく聞くが、東京圏など大都市圏を除けば、「飲んで、電車で帰宅」という発想はない。「運転代行」が常識なのは、沖縄だけではないから、「終電云々」の話は、沖縄に限った話ではないということだ。

 沖縄の本で「これはいい」と思ったのは、『沖縄ぬちぐすい事典』(尚弘子監修、プロジェクト・シュリ、2002)だ。食材などがカラー写真で解説しているので、沖縄の食文化を知りたい人に役立つ。ぬちぐすいは漢字を当てると、「命の薬」。体にいい食べ物の意味。

 食文化と建築と食べられる植物の本は、専門的な内容でも読みたくなる。『飲食朝鮮 帝国の中の「食」の経済史』(林采成、名古屋大学出版会、2019)は5400円もするので、思い切って買ったのだが、隔靴掻痒。やはり、高い本は期待値が高いせいか、「当たる」率が低い。

 本屋で見た文庫に、「添乗員」という語が目に入った。『添乗員さん、気をつけて』(小前亮、ハルキ文庫、2019)という本だ。著者名にまったく心当たりあないので、著者紹介を読む。「1976年島根生まれ。東京大学大学院修士課程修了。専攻は中央アジアイスラーム史。2005年に『李世民』でデビュー。・・・・・」

 歴史や宗教の研究者が添乗員を主人公にした旅行モノ小説なら、おもしろいかもしれない。この文庫には、ウズベキスタンベリーズエチオピア、インドを舞台にした4つの物語が入っている。おもしろそうじゃないか。ウズベキスタンを舞台にした「青の都の離婚旅行」を読んで、「なんだ、これ?」。ベリーズを舞台にした「覆面作家と水晶の乙女」も、せいぜい観光案内小説で、それ以上の読ませどころなど、なにもない。そのツアーでどこに行き、何を見たかというだけの、旅行パンフレット小説だ。残りの2編は読まないと決めた。買ってすぐ、天下のクラマエ師や田中真知さんに、「きょう買ったんだけど、もしかして、おもしろいかも」などと言ってしまったが、旅行人双頭に勧められるような本じゃまるでなかった。ああ、恥ずかしい。

 これから旅行に行きたいという人向けに、旅行案内小説というジャンルがあってもいいと思う。日本の温泉地や鉄道を舞台にした小説はすでにあるが、外国が舞台で、旅行地の歴史や見どころなどが載っている旅行案内小説は、腕のある小説家が書けばおもしろくなるだろうとは思うが、腕のある小説家はハーレクイン・ロマンスのような小説は書かないだろうな。

 

 

1369話 最近読んだ本の話 その2

 お好み焼き大全

 

 世に、写真中心の食べ歩きガイドと文章によるエッセイと、レシピ本は多いのだが、食文化研究書は多くなかったのだが、最近内外の食文化概説書や研究書が多く出版されるようになった。喜ばしいことではあるが、あまり売れない研究書だから、どうしても高額になってしまう。

 そんな食文化研究書のなかで、『お好み焼き物語』(近代食文化研究会、新紀元社、2019)は異端の本だ。まず、著者だ。団体のようで実は個人のペンネームというのは劇団ひとりか。研究会という団体として始まったわけではなさそうなので、グループで始まったがひとりになったZARDやSuperflyではないようだ。

 脱サラのライターだそうだ。さまざまな資料をデジタル化して検索して、ある料理が文字資料に登場する歴史を調べ上げるという工夫で、資料の出典を明記している。つまり、俗説を資料で検証する姿勢が整っている。

 お好み焼きは東京から始まったという説は、この本以前から読んで知っていたが、詳しい資料を添えて解説している。その概要をここで書く気はないが、引用されている田辺聖子のエッセイをここで再び引用してみよう。

 「私が女学生のころは、『お好み焼き』という名称が東京からはやり、一軒の店になっていた」(「大阪のおかずほか二編」)

 「一軒の店になっていた」というのは、関西では屋台のような店だったが、ちぇんと店を構えたお好み焼き屋ができたという意味だ。

 ソース焼きそばは東京のお好み焼き屋で生まれた。お好み焼きの鉄板で焼くから、「炒めそば」ではなく、焼きそば。東京では、中華麺が容易に手に入ったので、ソース焼きそばは東京から広まったという説など、日ごろ「日本焼きそば史」に興味がある私には、刺激的な資料だった。このように、この本は通読するだけでなく、折に触れ参考記事を探す資料としても使える力作である。

昨年暮れ、インドの食器や調理道具を輸入販売しているアジアハンターの小林真樹さんに会った。『日本の中のインド亜大陸食紀行』(阿佐ヶ谷書院、2019)を出していることは知っていたが、インドの食文化本じゃないから、後回しにしようと思い、アマゾンの「ほしい物リスト」に入れっぱなしになっていたのだが、偶然出会ったのも何かの縁、すぐさま購入を決定。届いた本を眺める。早く買っておけばよかった。おもしろそうだ。しかし、まだ『消えた国 追われた人々』ほか、数冊を読みつつあるから、インド本を読むのはまだ先だ。このコラムも書き始めたし・・・。

 年が明けて、2020年に小林さんのインド食紀行本が旅行人から出ると知った。私のインドの食文化の知識は著しく劣るので、今年は少々勉強しておこう。インド料理の本はあまたあり、食文化研究書も、日本語だけでも『食から描くインド 近現代の社会変容とアイデンティティ』(井坂理恵・山根聡編、春風社、2019)など学術論文が多く出ているので、料理本が避ける歴史なども補強できるだろう。