1555話 本の話 第39回

 

『きょうの肴なに食べよう?』(クォン・ヨソン著、丁海玉訳、KADOKAWA、2020)を読む その2

 

P13・・母は私のためににらのチヂミを作ってくれた

  日本人になじみの方言「チヂミ」ではなく、標準語の「ジョン」にして翻訳者の解説をつけるべきじゃないかなと思いつつ、作者の出身地を調べたら、「チヂミ」と呼ぶ本拠地慶尚道だとわかった。だから、日本の読者向けサービスではなく、「チヂミ」でなければいけないとわかる。

P19・・私がいまだに克服できないこと

 著者が克服できないのは、居酒屋でひとり飲む自分に注がれる冷たい視線だという。韓国社会では「ひとり酒」だけでも異様なのに、それが女だから余計に周囲の視線が冷たい。これが、ワインバーならひとりで飲んでいても、これほど冷たい視線を浴びないと書く。居酒屋の「常連である年配の男性たち」は、ワインバーの客層とは違うということだ。韓国はひとりで飲食するのは「さみしい」し「共に飲みあう友人がいないということで、恥ずかしい」という文化なので、カウンターがあるバーやラーメン屋や回転ずしなどは、西洋と日本の輸入文化だ。屋台のことも考えつつ「韓国におけるカウンターの歴史研究」は、なかなかにおもしろいはず。日本も、カウンターの歴史はそう古くはない。

  韓国で、酒場で女がひとりで飲むということに関して、すでに長い文章を書いている。このアジア雑語林846話(2016-07-27)から数回を参照。

P26・・ギョウザスープを作る時は煮干しで出汁をとる

  韓国のテレビ局が作った料理番組を見ていて驚いたのは、煮干しを多用することだった。干したイワシを甘辛く味付けしたものがあることは知っているが、不勉強にも、韓国人も煮干しで出汁を取るとは知らなかった。煮干しのだし汁は日本人だけが使うものだと思っていたから、まことにもって恥ずかしい。

 韓国人の煮干し利用が日本の影響かどうかを知る資料はネット情報では見つからない。本棚の韓国食文化資料をあたってみる。『韓国料理文化史』(李盛雨著、鄭大聲佐々木直子訳、平凡社、1999)の「スープ、ダシ、湯」の項を読むと、こうある。煮干しでダシをとるのは、「開化以後、日本から入ってきたものである」が、煮干し利用は日本でも1880年ごろからだとしている。日本人は古くからイワシは食べていたが、ほかの資料を読んでも、煮干しの生産は明治20年代からだとしている。日本の朝鮮統治が始まるのが1920年からだから、日本の大都市部を除けば、日本も朝鮮も、煮干しが家庭の出汁の元となるのは時間的な差はあまりない。

P38・・朝鮮かぼちゃ(ホバク

 注には、「未成熟のかぼちゃ。ズッキーニによく似ており、エホバクともいう」とある。韓国料理の野菜としてはかなり重要で、ホバクになじみがない日本人は、「ああ、ズッキーニか」と早合点しがちだ。ズッキーニはウリ科カボチャ属Cucurbita pepe、ホバクもウリ科カボチャ属だが学名はCucurbita moschata。この和名はニホンカボチャだが、日本人が通常食べているカボチャはセイヨウカボチャCucurbita maximaである。そして、日本人が食べているカボチャは、英語ではpumpkinではなくsquashだといったややこしい話は、ご自分でお調べください。「へ~、そうなのか」という話がわかるはずだ。

P58・・オムク麺(オムク入りの温かい汁かけ麺)

 何の解説も注もなく、いきなりオムクというものが出てくる。調べてみれば、「オデン」のことか、なーんだ。韓国の「オデン」は、日本語のおでんとは違い、第一義的には「練り物」のことであるが、形は扁平なものだけだ。遠くから見ると、油揚げのように見える。この練り物をだし汁で煮たものも「オデン」だ。日常的には「オデン」と呼んでいるのに、日本語だからという理由でマスコミは「オムク」という語で呼びたがるという黒田勝弘氏の解説はこれだ。

 

 

1554話 本の話 第38回

 

『きょうの肴なに食べよう?』(クォン・ヨソン著、丁海玉訳、KADOKAWA、2020)を読む その1

 

 韓国人が書いた食文化研究書は何冊かある。研究書ではなく、エッセイとなると、それほど多くない。この分野で次々と本を出しているのが日本語で書いている鄭銀淑(チョン・ウンスク)で、彼女の本はすべて読んでいる。そのなかで「すごいぞ、これ!」と思ったのが、『マッコルリの旅』東洋経済新報社、2007)だ。マッコルリは、日本で通常「マッコリ」と呼んでいる酒で、韓国全土を飲みまくる紀行文であると同時に、マッコリの雑学も載っている。私は酒を飲まないので知らなかったのだが、小麦粉を原料にしたマッコリもあることや、酒場で有料なのは酒だけで、酒を注文すると、肴は次々にタダで出てくるのが習慣だという話も出てくる。

 私が知らないだけだと思うのだが、韓国人が書いた食エッセイの翻訳書にはなかなか出会わなかった。韓国ドラマではユン・ドゥジュン主演の「ゴハン行こうよ」のシリーズ3本など何作もあるのだが、出版物は出会わなかった。

 先日、アマゾン遊びをしていて見つけたのが、韓国の小説家(1965年生まれ)が書いた食エッセイ『きょうの肴なに食べよう?』だ。日本なら、角田光代など、その世代の女性の小説家が書いた食エッセイもこういう感じなのだろうと想像するのだが、実はそういう食エッセイを読んだことがないので知らない世界だ。

 韓国の女性作家が書いた食エッセイを読んでいて、「やっぱり、こうなるか」と思ったことがある。例えば、亜洲奈みずほが書く台湾解説書を読んでいたら、突然かつてつきあっていた男の話になって、「おいおい、ここでその話かよ」と思ったように、この韓国人作家も昔つきあっていた男の話をしないと、食い物の話ができないのかと思った。女が書く旅行記でも、「この文章を書いていた時は、きっと恋をしていたんだろうな」と思える文章を読まされることがある。そういえば、大学講師時代に提出を求めたレポートに、「彼とベネチアを歩いていたら・・・」と、レポートのテーマとは全く関係ない文章が突然現れたことがあり、「今、それを書かずにはいられなかったのだろうな」とは思ったものの、その唐突さに驚いた。さらに、「そういえば」と思うのは、林芙美子のヨーロッパ旅行記も男に会いに行く話だった。

 女が書いた本の読者は女が多い。研究書やミステリーなどを除くと、女が書いた本に男はなかなか手を出さない。活字でもマンガでも、その傾向があるような気がする。質の問題ではなく、なじめるかどうかの問題だと思う。鄭銀淑の本を全部読んでいるのだから、「女が書いた本は初めから相手にしない」というわけではない。おもしろければ、性別に関係なく読むのだが、「歩留まりが悪い」ということはある。例えば、女が書いた紀行文で、「これは、いいぞ!」と思える作品は極めて少ない。女が自由に旅行できなかった時代の話ではなく、ここ数十年の紀行文の話だ。

 さて、本題の韓国食エッセイだ。いつものように、読んでいて傍線を引き、付箋をつけた箇所の話を書いていく。

P12・・牛肉は練炭の直火で焼いたプルコギでなければだめ

「プルコギ」を「焼肉」と翻訳する人がいるが、あれは牛肉の甘煮鍋だ。「焼肉だと思うとがっかりするが、すき焼きだと解釈すれば、甘いのは理解できる」と解説したのは森枝卓士さん。ネットで、プルコギは従来の鍋物から、最近では直火焼きが人気だという解説を読んだ。そんな調べものをやっているうちに、もう10年以上前に、プルコギについて調べたことがあったのを思い出した。本当に「焼肉」のプルコギもあるのだ。こういう時は、アジア雑語林の「検索」機能を使うと、私が書いたことはすぐわかる。書いた本人は覚えていないが、コンピューターはちゃんと記憶している。アジア雑語林の317話318話(2011―03-27&04-01)を読み直すと、プルコギが甘い煮物なのはソウル式で、直火焼きにしている地域もあるから、この小説家が子供のころ、「牛肉は練炭の直火で焼いたプルコギでなければ」食べなかったという記述も、理解できる。ソウルの事情が韓国の事情だと思い込んではいけないという教訓である。

 

 

1553話 本の話 第37回

 

『ウンコはどこから来て、どこへ行くのか』(湯澤規子、ちくま新書、2020)をめぐって その4

 

 『ウンコはどこから来て・・・・』は期待したほどおもしろくなかったので、多少は関連する本を探した。料理図鑑の話(1537話)で、こういう本の書き手は女が多いと書いた。それはトイレの本でも同様で、日本語の本はもちろん、手元にある英語の本でも、書き手はほとんど女だ。

 書名は知っていたが読んだことがなかった『トイレのない旅』(星野知子講談社文庫、1997)を読んだが、傍線を引き付箋を貼ったページはなかった。『なぜ中国人は日本のトイレの虜になるのか』(中島恵、中公新書ラクレ、2015)は、トイレに関する記述は少なく、書名に「トイレ」の語があるのは、客寄せのためのキャッチワードだろう。この新書にトイレ情報はほとんどないが、中国人の海外旅行のシステムがわかる資料になっている。中国人が外国旅行をしたいと思ったらどうするかという話だ。海外旅行史の研究者としては、興味深い記述に出会った。以下、箇条書きにする。記述内容は当然、この新書出版当時のもので、その後旅行事情は変わっているかもしれない。

●中国政府が自国民の海外団体旅行(香港・マカオを除く)を許可したのは1997年、個人旅行が許可されたのは2009年からだった。ちなみに、韓国は1989年。

武漢に住む主婦が日本への団体旅行(4泊5日 5900元、9万6000円)に参加しようと思った。2013年のことだ。パスポート代金は200元(3200円)、2週間後に受け取れた。パスポート申請に苦労したという話は書いてないが、農村戸籍の場合は簡単ではないような気がするが、詳細を知らない。

●ツアー申し込み書類。日本のビザ申請書。夫の在職証明書。銀行口座の残高が5万元以上(80万円)の銀行口座があるという証明(通帳のコピーなど)。残高によっては、口座が凍結される。国外逃亡を防ぐためだ。日本でも、1970年代には形式的ではあったが、「銀行の残高証明書」が必要だった。韓国でも、同様だった。

●中国人が個人旅行をする場合。ドイツなどヨーロッパに行く場合、ビザ取得に必要な書類は、不動産取得証明書、預金残高(5万元以上)を証明する通帳のコピーなど、在職証明書、海外運転免許証(運転する場合)、航空券の実物、日程表、宿泊ホテルの予約表など。持ち家がない場合は、個人旅行は難しいようだ。

 最後は、いままでまったくマークしていなかった本だ。

 『山でウンコをする方法』(キャサリン・メイヤー、近藤純夫訳+エッセイ、日本テレビ放送網、1995)も、著者は女性だ。内容は、タイトルどおり野外でどう用を足すのかを語るエッセイだ。どの章もおもしろいが、第6章「ブーツにおしっこをかけない方法(女性の方のみお読みください)」など、なかなかいい。あるヨット用品店に来た初老の夫婦。妻が漏斗を手にして、長いホースをつけてほしいと店員に言う。そして、夫に言う。

「あなた、これでわたしの方があなたよりながくなるわ!」

 巻末に訳者のエッセイがある。訳者がパリの大学生だった1970年代、「その頃、大学のトイレにはドアがなかった」とある。アメリカの大学寮や軍隊では、ドアがないトイレの話を読んだが、パリの大学でもそうだったか。

 企画に困っている編集者にお教えします。この本を文庫にいかがですか。売れます(と、前川が推薦すると逆効果かなあ)。

 以上で、「ウンコ」およびトイレ関連の話は終わる。

 

 

1552話 本の話 第36回

 

『ウンコはどこから来て、どこへ行くのか』(湯澤規子、ちくま新書、2020)をめぐって その3

 

 『ウンコはどこから来て・・・・』の「参考文献」として数多くの資料を挙げているが、日本以外の事情を考える上で必読の第一級の資料であり、簡単に手に入る本が抜けている。「糞尿の行方は、アジアではどうか?」という疑問がもしあれば、当然手に取るのが、アジア経済研究所の関係者たちが執筆した『アジアの厠考』(大野盛雄・小島麗逸編著、勁草書房、1994)だ。この本を読めば、アジアのトイレや、糞尿処理の例もわかる。湯澤氏は、西洋との比較は少しやったが、日本以外のアジアは完全に無視したのだ。

 『アジア厠考』はウチにあるはずなのに見つからず、アマゾンで買い、内容を再確認して今この文章を書き、本を棚に入れようとしたら、あらら、あるじゃないか、ちゃんと。今なら、名著が格安で買えるから、お勧めします。156円だよ。 

 歴史や農業のド素人の感想だが、こういうことかもしれない。日本でも西洋でも下肥を使ってはいたが、西洋では家畜の糞尿がたやすく手に入るので、下肥の比重が日本ほど高くなかった。湿潤な熱帯アジアでは、山野草がいくらでも手に入るので、肥料を使って野菜栽培をしようという発想がなかったのかもしれない。水稲は、肥料がなくても育つからだ。近代に入り、西洋では化学肥料と水洗便所の発達により、ヒトの糞尿はより処理すべきものになったということではないか。

 さて、話の方向を少し変える。この新書の66ページに、こういう文章がある。

 「糞尿は西欧社会において『隠す』ものであり、『廃棄』するものであり、『危険物』にほかならなかった」

 19世紀のヨーロッパ都市生活を少しでも知っていれば、「ウソつけ!」と言いたくなるだろう。パリのような大都市では、窓からおまるの汚物を捨てるので、道路は汚物だらけだったというのは有名な話だ。「廃棄」はしても「隠す」気などないのは明らかだ。

 この新書を読み続けると、202ページに、「一九世紀パリのウンコと怪物の腸」という小項目に、「住民は生ごみ屎尿を無秩序に通りに投げ捨てるため・・・」と、路上の汚染と臭気を書いている。66ページには、日本に来た西洋人は、糞尿の耐え難い臭気の日本に悩まされていたと書いているのだから、話が違う。

 西洋には近年まで家庭にトイレというものがなかった。オマルや室内便器を使っていたのだ。邸宅なら、クローゼットに室内便器を置いておくので、そこがトイレになるのだが、狭い家なら室内にいつも糞尿が入った壺が置いてあるということだ。だから、人間と糞尿との距離は西洋の方が近いともいえる。

 

1551話 本の話 第35回

 

『ウンコはどこから来て、どこへ行くのか』(湯澤規子、ちくま新書、2020)をめぐって その2

 

 この新書の47ページに、「『下肥』利用が日本だけに限った技術ではなく、イギリスで同様の技術と利用が存在していたことが徐々に知られるようになった」として、三俣延子氏の論文を紹介している。ナイトソイルというのは、英語で下肥のことだ。社会経済史学会の機関誌『社会経済史』(76-2 2010年8月)に掲載された次の論文だ。

 「産業革命期イングランドにおけるナイトソイルの環境経済史」(三俣延子)は、実に刺激的で興味深い論文なのだが、湯澤氏は、論文を紹介しても、もしかして読んでいないのではないかという気がしてくる。というのは、下肥、つまり人糞肥料を使うのは日本だけではなくイギリスでも使うという話をこの新書の47ページでしていながら、それ以降のページでは外国の事情に一切触れていないのだ。おにぎりを日本独特かのように書いた『おにぎりの文化史』と同じように、この新書では人糞の利用は日本だけであるかのような記述が最後まで続く。

 しかも、だ。

 三俣論文の「はじめに 課題と先行研究」に、こうある。

 「排泄物を商品として扱い、肥料としてリサイクルしてきた日本とは対照的に、ヨーロッパでは、排泄物は肥料化されることなくゴミとして処分されてきた」というのが従来の説明だった。「1585年に出版されたフロイス旅行記である通称『あべこべ物語』に記された一文は有名である」とし、その一文を注で紹介している。「われわれは糞尿を取り去る人に金を払う。日本ではそれを買い、米と金を払う」「ヨーロッパでは馬の糞を菜園に投じ、人糞を塵芥捨場に投じる。日本では馬糞を塵芥捨場に、人糞を菜園に投じる」

 その結果、「それ以降に来日した複数の外国人によって記録され続けた同様の洞察は、現在でも国内外に広く受容されている」が、それは違う、イギリスでも人糞肥料を使ってきたのだと資料で示したのがこの論文である。「日本人は人糞を肥料にし、西洋人は家畜の糞を肥料にした」という従来の説は誤りであるというのが、この三俣論文の骨格なのだ。

 しかし、この論文を紹介している湯澤氏は、実は論文を読んではいないとしか思えないのだ。63ページに、こうある。

 「西欧の農業では、家畜の糞尿を肥料に使ってきたため、人糞尿を同様の資源と見なす発想自体がなく」と書き、あのフロイスのあの一文をはじめ、8人の記述を書き出している(出典は「一六世紀後半から一九世紀に日本を訪れた外国人が記述する日本庶民の人糞尿処理」有薗正一郎、愛知大学)。三俣論文で、フロイスに引っかかってはいけませんよと警告しているにもかかわらず、やってしまった。

 三俣論文を参考文献のひとつとして執筆された農学者の論文がある。

 「農業に於ける下肥(ナイトソイル)の利用」(久馬一剛、「肥料科学」第35号、2013)は、イングランドだけでなく、ほかの世界へも視野を広げている。この論文でも、西洋でも古くから下肥が使われてきたと解説している。

 それなのに、この新書の67ページでは、こう書いている。

 西洋で人糞尿を肥料に使わないのは、人糞尿に対する「キリスト教社会における人間と自然の関係と日本やアジアにおける人間と自然の関係の違い」にあるなどと説明している。ヨーロッパ対アジアの比較は、あまりに乱暴で、とても学者が書く論理ではない。つまり、日本以外のことに、基礎知識や興味がないのだろう。日本のある事柄を取り上げるとき、西洋との比較で語る人が多い。その時の「西洋の例」というのがお粗末・貧弱なことが少なくないし、「西洋」といっても一様ではない。「アジア」といっても一様ではない。それ以前に「日本VS西洋」という対立だけで、世界が語れるのかという疑問を持たないのもおかしい。

 以前書いた考古学研究の話(1549話)を、思い出してほしい。

 視野を広くせよ。軽々に「日本独特」という日本特殊論を展開するなという警告だったのだが。

この話の続きを、次回に少し回す。

 

 

1550話 本の話 第34回

 

『ウンコはどこから来て、どこへ行くのか』(湯澤規子、ちくま新書、2020)をめぐって その1

 

 やっとこの本のことが書ける。昨年10月に出て、すぐ読んだ。このコラムの年末年始の年またぎで「ウンコ」の話はふさわしくないかと思っている間に食べる話を一応終えて、今度は出す話にやっと入れる。

 外出を控える昨今だから、この新書もネット書店で買った。ということは、内容をよく知らずに買ったということだ。

 気になる点がいくつかあって、高い評価にはならなかった。

 まずは、このタイトルだ。「ウンコ」をタイトルにいれれば話題を呼んで注目を浴びるだろうという思惑がミエミエで、うんざりした。藤原辰史(京都大学)氏が「ちくまweb」に書評を書いている。著者と研究仲間らしいし、版元の広報ページだから、紹介と賛辞になるのだが、ただ1点難色を示したのが、この部分だ。

 「人間の排泄物を意味する幼児語を専門語のごとく頻発させ」ることに、「若干の戸惑いがなかったかと言えば、それは嘘になる」

 私の「うんざり」を理論的な面で説明すると、この本で扱うのは糞尿なのに、書名どおり「ウンコ」を連発することで、オシッコの立場はどうなるという問題だ。ウンコの本だと宣言すると、尿を除外しているようで、じつはそうではないが無理やり「ウンコ」という語を使うという、ややこしい文章になっている。芸人の世界でいえば、ややこしい設定キャラで登場すると、あとの番組進行が苦しくなるというようなもので、「コリン星」の住人は自身を笑いものにできたが、この本にそういうユーモアはない。

 実は、「ウンコ」という語が書名に入るのは、やはりちくま新書の『ウンコに学べ!』(有田正光・石村多門、2001)があるが、その後、児童書で『うんこドリル』の大ヒットを受けたからか、この『ウンコは・・』のあと、『うんちの行方』(神舘和典・西川清史、新潮新書、2021)が出た。この新潮新書も、人体を離れた糞尿がどうなるかという内容らしい。

 私は1970年代あたりから、トイレ関連書はひととおり読んでいる。糞尿処理の日本史の基礎知識はあるから、この新書は取り立てて驚くような内容ではない。トイレに関する外国の本も手に入れて、このアジア雑語林でたびたびトイレのコラムを書いてきたのは、トイレをめぐる文化が興味深いからだ。その点では食文化の研究と並行して出す文化の研究もしてきた。

 だから、私がこの本に期待したのは、「世界の糞尿と糞尿の世界」なのである。あるいは、「糞尿と農業の世界史」にも興味がある。この観点は、おにぎりに期待して裏切られたという過去(『おにぎりの文化史』)がある。さて、この新書ではどうか。イングランドにおける人糞肥料の研究論文にも触れているのだから、きっと「世界」を視野に入れているのだろうと思ったのだが・・・。

 

1549話 本の話 第33回

 

 考古学の本から その4

 

 佐原さんが存命中に作った最後の本、『考古学今昔物語』(坪井清足金関恕・佐原真、企画・編集:むきばんだやよい塾実行委員会、発行:文化財サービス、2003)を手に入れた。この本は、著者3人が講演し鼎談して作った本で、日本における考古学の歴史がテーマだ。佐原さんは、この本の著者校正中に亡くなった。佐原さんの「モースの功績」という講演で、考古学は開発と宿命的に結びついていると語っている。モースが大森で貝塚を発見したのは、桜木町と新橋間の鉄道工事があったから見つけられたのであり、佐賀の吉野ヶ里団地の建設工事中に見つかったという話をしている。

 この部分を読んで、またしても松井章さんとの考古学雑談を思い出した。

 「考古学に限った話じゃないけど、大学で考古学を学んでも、その知識を生かした仕事なんて、大学教授と博物館研究員以外まずないですよね」と私が言うと、「とんでもない!」と松井さんがやや大きな声で言った。

 「日本全土で工事をやっているでしょ。そこで何かが発掘されると、地方自治体ではちゃんとした調査をやらないといけない。教育委員会には考古学がわかる人材が必要だし、発掘を請け負う民間業者もあります。日本が世界一発掘調査が多いのは、土木工事が多いからであり、発掘調査しなければいけないという法律がある国だからでもあるんですよ。だから、考古学を学んでも、仕事はあるんです」

 この本の鼎談のなかで、元奈良国立文化財研究所所長の坪井清足(つぼい・きよたり 1921~2016)氏が、戦争を挟んでその前後に京都大学で考古学を学んでいた時代の話をしている。京都大学で考古学教室を初めて開設した浜田耕作(1881~1938)が学生に語った考えを紹介している。戦前期か戦後まもなくという時代だが、話した内容は現在でも通じる。こういう話だ。

 君たちは、大学を卒業したあとも日本で考古学の研究をするのだから、学生時代は外国のことを勉強しなさい。だから、卒論は外国のことをテーマにせよ。

 「ところが」と坪井氏はいう。今の人は、自分の地域のことは詳しいけれど、外国にこういう例があるということは、あまり知らない。

 この話に対して佐原さんは、「それは感じますね」と受けて、外国の最新研究事情にあまり興味と知識のない若手研究者がいるという話をしている。

 別のページで、坪井氏はこういう話をしている。「日本全体の人がもう少し視野を広げた世界全体の考古学とのことと比較しながら、日本だけの特殊事情だと言わないようにするにはどうしたらいいか・・・」

 この話は、私が『おにぎりの文化史』に関して書いたことと同じだ。事は考古学に限らず、ほかの学問分野でも、狭い範囲に「自分の領域」を決め込み、その壁の外のことは「専門外だから、知りませんよ」となりがちだ。自分の専門と「分野が違う」、「地域が違う」、「時代が違う」と言って、自分が掘った井戸にこもってしまう。こういう話は、ベネディクト・アンダーソンの『ヤシ殻椀の外へ』(加藤剛訳、NTT出版、2009)を中心に、282話から4回にわたって書いている。

 この本にかかわった3人は、すでに亡くなった。日本の考古学研究の歴史を、戦前の事情から語ってくれた遺言となった。考古学の門外漢である私も、興味深く読んだ。ほかの学問分野でも、あるいは『阿部謹也自伝』や、やはり阿部謹也の『北の街にて』のような個人史でもいいから、学問の歴史の話を読みたい。

 考古学の話は、今回で終了。