韓国も日本も、変わった 9 コーヒー1
2139話で、1984年に取材で韓国人家庭を訪問したという話をした。
取材させてもらうことへの謝礼をどうしようかという話は、編集部とはしてなかった。取材費に多少の余裕があるから「ほんのお礼」程度の額なら支払えるのですがと、通訳の女性に相談した。彼女は戦前期の神戸で女学校生活を送り、戦後韓国に渡ってきたという経歴で、私の母よりちょっと若いというくらいの年齢だったから、相談相手にふさわしい。
通訳さんは「お金は失礼でしょう」と言った。ソウル大学卒業で金融機関勤務だから、はした金を包むのはかえって失礼だから・・・ということで、モノを持って行くことにした。夫には酒。ジョニー・ウォーカーを買ったが、赤だったか黒だったかの記憶はない。妻と子供用にケーキ。ホテルでホールケーキを買った。あやふやな記憶だが、当時は街のどこにでもケーキ屋や店で焼くパン屋がある時代ではなかったと思う。取材謝礼は家庭用にもう1品、ネスカフェを1瓶。ウイスキーとコーヒーは、アメ横にあるような小さな店で買ったから、茶色の紙袋に入れただけだ。どこかの市場の売店のような店だったと思う。買い出しのおばちゃんが日本から担いできた商品かもしれない。
87年の取材では、取材を手配してくれた若者と喫茶店に行った。運ばれてきた盆に熱湯が入ったカップ、記憶か確かではないがインスタントコーヒーの瓶もあったような気がする。そして、プラスチックの容器に入った砂糖と粉末のコーヒーミルクをのせて、テーブルに運ばれてきた。ファストフード店のような、安っぽい内装の店だった。
こういう文章を書いたすぐあと、ある雑誌から依頼された食文化の原稿に使う写真を探して、過去に撮影したスライド写真を点検した。「韓国」と書いたラベルが貼ってある箱を見つけたので、数十年ぶりに箱を開けてみた。依頼された原稿と韓国は関係ないが、今こういうブログを書いているから、ちょっとした好奇心だ。
韓国の写真は、取材と関係するものはすべて出版社に渡したが、私的に撮影したものは手元にある。そのなかに、上に書いた喫茶店の写真もあった。「変なシステムだなあ」と思ったから、撮ったのだ。インスタントコーヒーの瓶がテーブルにあったかもしれないというのはフィリピンのコーヒーと混同していた。フィリピンではネスカフェ―の瓶ごとテーブルに運ばれてきたが、ソウルではカップには熱湯で溶いたインスタントコーヒーが入っていた。小さな盆に、砂糖と粉末ミルクが入っている。薄いコーヒーだった。
韓国語で、コーヒーはコピという。インドネシア語(マレー語)と同じkopiじゃないかと思った記憶がある。ちなみに、タイ語でもベトナム語でもカタカナにすれば「カフェ」の音になり、Fの音が発音できるのだが、FがPに変わるのはマレーやフィリピンだ。フィリピンは国名からして、英語で「フィリピンズ」だが、フィリピンの言葉では「ピリピナス」だ。だから、フィリピンでもコーヒーはkopiだろうと想像したが、kapeカペだ。ちなみに、フランス語caféは英語ではcafeだが、発音はカフェイ。フィリピン語では、fがpに変わるから、カペ。
韓国語のコーヒーは、どう聞いても「kopi」と聞こえるのだが、韓国人は「gabi」と書きたがるようだが、もちろんガビと発音するわけではない。しかし「GABI」という韓国映画がある。このタイトルでは内容が想像できないが、一応見てみた。韓国コーヒー黎明期という映画で、解説を読むと史実に近いという。とはいえ、19世紀末に王がコーヒーを飲んだとて、それから韓国でコーヒーが広まったわけではない。
『ソウルの練習問題』で、関川さんは韓国を含めた「東アジア、および東南アジアのコーヒーの濃さとまずさは定評のあるところだ」として、東京に住む者はここ十年ほどの間に、薄いコーヒーを好むようになっていて、関川さんも韓国でデニーズの薄いコーヒーが飲みたかったと書いている。別の本では、GDPが高くなると、コーヒーは薄くなるという考察を書いている。
関川さんは、どこでどんなコーヒーを飲んでいたのだろうか。「濃すぎる」と感じたとすれば、ホテルのコーヒールームのコーヒーだった可能性が高い。
1979年のソウルのコーヒーと喫茶店の話は、長くなるので次回に続く。