2004-01-01から1年間の記事一覧
噂に聞いていたとおりの若者に会った。 喫茶店のテーブルをはさんで、大学生が語り始めた。 「ぼく、自分が好きなことはなにか、よくわからないんです。だから、将来なにをやりたいのかわからないんです。考えてみれば、中学のときも、高校のとき も、そして…
ずいぶん前の選挙で、「出たい人より、出したい人を」というスローガンがあったが、最近の私の心境は、「書きたい人より、書かせたい人に」である。 現在はインターネットのせいで、文章を書きたい人はなんでも好きなだけ好きなように書くことができるが、お…
引き続き『海外旅行案内』1977年版から、当時の海外旅行事情を紹介する。 「旅費はいくらかかるか」という項目の文章をそのまま引用してみる。きっと、驚くだろう。 「各国の旅行経費を比較して最も高価な部類に属するものは米国、フランス、スイス、ドイ ツ…
古本屋の特価本コーナーで、『海外旅行案内』(日本交通公社)の1977年版を見つけた。定価は4800円で、古本屋では通常2000円から3000円くらいの値段がついている。これが100円だから、もちろん買った。 日本交通公社が戦後初めて発行した本格的海外旅行のガ…
大阪のアジア図書館の目録をチェックしたら、読みたい本が1冊 あった。何万冊もあるリストのなかでたった1冊かと思うかもしれないが、現実にアジア図書館の棚を点検しても、読みたい本はそう多くなかった。絶えず古本 屋巡りをしているし、各種文献目録で…
規制などされずに、できるだけ自由に生きていたいと思う。だから、上司も部下もおらず、勤務時間の規定も社則もない自由業を選んだのだが、日本語のことになると独裁者になりたいという欲望がメラメラと沸きあがってくる。 いま、ラジオを聞きながらこの原稿…
将来、日本人が国際社会で充分に活躍できる ように、小学校から英語を教えるべきだなどと言い出す人が少なからずいる。あるいは、小学校ではすでに遅いから、幼稚園から始めるほうがいいという人もい る。そういう人は、よほど物事を考えない人か、たんなる…
ビデオデッキを買ったばかりのころは、録画の操作にときどきミスをしていた。放送日や放送時間や、放送局のチャンネル番号を間違えてセットしたことが敗因 である。Gコード予約ができるようになってミスはかなり減ったが、それでもまだやってしまう。間違え…
インドネシア研究ではよく知られた学者が、国際交流基金アジア講座で東ティモールの話をした。 その学者は、東ティモールの苦難の歴史と独立達成の喜びを語っていたが、私は懐疑的にその話を聞いていた。かつてポルトガルの植民地だった東ティモール は、ポ…
ポルトガル北部の街ポルトの商店街を歩いていて、ある商店の看板に目が止まった。 SAPATOS どこかで目にした記憶がある。その看板を見て思い出したのは、インドネシア語のSEPATUだ。意味はどちらも「靴」だ。インドネシア語には、アラビア 語や…
1970年 インドへ行く? 高校の1年上の生徒が、アメリカに1年留学 した。AFS(アメリカン・フィールド・サービス)という制度の留学だった。彼は帰国して、私と同学年になった。外国のことに興味がありながら、その生徒 とほとんど話をしなかったの…
1960年代 テレビのなかの世界 自分が子供だったときから、子供が好きではなかった。子供向きのテレビ番組も、あまり見ていない。「隠密剣士」や「ひょっこりひょうたん島」などは見たことはあるが、熱心に見ていたわけではない。 毎週楽しみに見ていたの…
1960年代 東京オリンピック 私にとっての1960年代は、小学2年生から高校2年生までだ。 初めて地図帳を手にしたのは、多分、小学4年生だっただろうと思う。4年生の教室で地図帳を広げている自分の姿に記憶があるのだが、その地図帳が授業で 使っ…
1950年代 ラジオとともに 雑誌のインタビューや知人との雑談で、「どうしてアジアに興味を持ったんですか」と聞かれることがたまにある。 「いやあ、たまたまですよ。とくに理由なんてありません」 いつもそう答えるのは、そう答えるしかないと思うから…
なしくずし的に、テレビやラジオでは平気でかの国を「北朝鮮」と呼ぶようになったが、そこに法律や条約や規則の改訂があったわけではない。国民の反北朝鮮感情に乗じただけだろう。 朝鮮半島の北の国を北朝鮮と呼ぶなら、南も南朝鮮と呼ぶのが論理的で、おそ…
まだ20代のころだが、友人が担当している雑誌の編集を手伝ったことがある。手伝ったと いうより、おもしろがって遊んだといったほうが正確なのだが、編集の仕事とはどんなものだろうかという好奇心で、遊ばせてもらった。ほんの数回遊んだだけ だが、ライ…
もう時効だから書いてもいいと思うが、関係者の許可を得ていないので、ボカして書くことにしよう。 かなり昔の「本の雑誌」の投書欄に、某有名学者が書いた本を取り上げて、「ゴーストライターが書いたひどい本だ、編集者も出版社も恥を知れ」といった意味 …
前回、このコラムで人間の生活がわかるような年表を読みたいと いう話を書いたあと、あるジャーナリストに同じ話をした。すると、「それにやや近いものはあるよ」という。日本と東南アジアの関係史のような本で、版元を 教えてもらったので、さっそくインタ…
何度も読んだ本といえば、タイの小説である『東北タイの子』や『田舎の教師』などの名がすぐに浮かぶが、「何度も」といったところで、せいぜい3回か4回程度にすぎない。何度も手に取るという意味では、当然、辞書・事典類の使用頻度にかなうわけはない。 …
日本には世界的な家電(家庭用電気器具)メーカーがいくつもあるせいか、あるいはそれが日本人の好みなのか、家庭にはじつに多くの家電製品がある。家電製 品といっても、テレビやステレオコンポのように世界各国に普遍な製品と、自動餅つき機のようにおそら…
ちょっとした会合から帰宅して、コーヒーを飲んでいて「はっ」と声をあげそうになった。 もしテレビカメラが私の顔をとらえていたら、赤面しているなさけない表情を写しとったにちがいない。その会が終わって、別室で参加者とちょっと建築の話を したのだが…
旅の履き物はずっとサンダルだ。 なにも知らない初めての旅では、きちんと靴をはいていったが、汗で布靴がベトベトヌルヌルになるのが不快で、耐えきれず旅先でサンダルを買った。それ以 後は、日本を出るときからサンダルだ。西洋やアフリカに行ったときは…
この原稿も、東芝ルポで書いている。コンピューターは持っているが、ほとんど検索専用機 になっている。こういうライターはよほどの珍種かと思ったが、そうでもないらしい。コンピューターは持っているが、原稿は手書きとか、ワープロで打ち、フ ロッピーに…
ジャカルタから船でスマトラをめざしたのは、1974年だった。 バスと連絡船でジャワ島からスマトラ島への旅行ができることはわかっていたが、船を利用することにした。船で赤道を越えたかったからであり、「マラッカ 海峡の航海」を体験したかったからでもあ…
旅先で言葉に苦労することが多いせいか、海外を舞台にして日本人が書いた小説の会話が気にかかる。そういう小説を何冊も読めば、主人公の語学力によって、小説の内容がいくつかに分類できることがわかってきた。(1)日本語しかできない場合………団体旅行で事件…
インドネシアに長年住んでいる友人と久し振りにジャカルタで会って話していると、「あっ、そうだ!」と友人が思い出したように言った。 「この前、日本をよく知っているインドネシア人に会ったら、『インドネシアにも餅があるのを知っているか』っていきなり…
世界一小さい(面積が狭い)国とか、人口密度の多い国といったことなら世界の国々の順位は簡単にわかる。ところが、日本人にとってもっともマイナーな国、 つまり、認知度のもっとも低い国はどこかということになると、簡単には答えがでない。認知度が低いと…
タイ料理を初めて食べた人は、まずその辛さが印象に残る。そのまましばらく食べ続けていると、酸味も印象に残るだろう。タイ人が麺類に砂糖を入れているの を見て、甘さも重要な要素なんだと気がつくかもしれない。こうした体験をもとに、「タイ料理とは、辛…
アジア文庫が開店した1984年当時、日本人の海外旅行はどうだったのか。 対ドル為替レートでいえば、84年はだいたい240円台後半で推移していたのだが、85年のプラザ合意により円高が承認され、85年の末には200円、 88年には120円台まで…
1984年といえば、外国文学のファンならば、ジョージ・オーウェルの『1984』を思 い浮かべるだろうが、アジアに関心がある人なら、アジア文庫が開店した画期的な年であると記憶していてほしい。紆余曲折、切磋琢磨、孤軍奮闘、独立独歩、 千客万来を…