92話 平凡出版と東南アジア


 『証言構成「ポパイ」の時代 ある雑誌の奇妙な航海』(赤田祐一太田出版、2002年)は、1970年代から80年代に出版文化を知る上で、貴重な資料が詰まっているというだけでなく、読み物としてもよくできている。
 この本を読んでいて、「へえ、そうだったのか」とびっくりする事実は数多くあったが、なかでも読売新聞社が出したムック「メイド・イン・USAカタログ」(1975年)に関する事実は、私にとって驚愕といえるものだった。
 もう何年も、日本人の異国憧憬の歴史を追っている。日本人のアメリカ礼賛の歴史には、カリフォルニアブームを創作した「ポパイ」という雑誌が深く関与し ていることは体験的にもわかっていた。「モノが命」という物質文明礼賛の始まりもこの雑誌だった。しかし、「ポパイ」の創刊は1976年8月だから、その 1年前に出版された「メイド・イン・・・」の方が元祖ということになる。
 私は、もともとアメリカへの関心はかなり薄く、この「メイド・イン・・・」も古本屋で何度も見かけているという程度の知識しかなかったが、異国憧憬の歴史を追ううちにこのムックが気になっていた。
 雑誌「ポパイ」創刊の前史は、「アンアン」の編集者・木滑良久が、一種の派閥争いに破れ、みずから望んで関連会社に移動してしまうところから始まる。木 滑を追って、「平凡パンチ」の編集者・石川次郎も、同じ会社に移動してきた。事実上の退職である。おもしろい雑誌を作りたくても作れない欲求不満をかかえ ていたふたりは、いくつものコネを使って他社からムックを出す。それが「メイド・イン・・・」である。このムックが大変な人気を集めたため、平凡出版に呼 び戻されて創刊したのが、「ポパイ」だったというわけだ。
 だから、「ポパイ」と「メイド・イン・・・」の間に、なんらかの関係があるだろうと踏んだ私の勘は正しかったのだが、まさか同じ編集者の仕事とは思わなかった。
 『ポパイの時代』がおもしろかったので、『平凡パンチ1964』(赤木洋一、平凡社新書、2004年)もすぐに買った。こちらは「ポパイ」の前の時代の 平凡出版を描いていておもしろいのだが、新書だから内容的には薄く物足りなかった。そこで、かねてから気になっていた本を古本屋のサイトで探してみようと 思った。
 その本は、平凡出版の創業メンバーのひとりで、編集者で社長もやった人物が書いた『二人で一人の物語 マガジンハウスの雑誌づくり』(清水達夫、出版 ニュース社、1985年)だ。さっそく取り寄せて読んだ。意欲作ではあるが、時間軸を混乱させたため失敗作になった。創刊当時の話はおもしろい。
 じつはこの本をインターネットの古本サイトで探していたときに、あらたなる疑問が生まれた。著者名である「清水達夫」で検索すると、『二人で・・・』以外に、こんな本が登場した。
 『失われた大陸 東南アジア探検記録』(清水達夫編、平凡出版、1956年)。売価は2000円と2500円の2冊。
 版元が平凡出版だから、この清水達夫はその出版社の編集者だろう。しかし、平凡出版でも、のちのマガジンハウスでも、東南アジアとの関連が見えてこな い。パリやローマの本なら出したかもしれない。1956年の出版ということを考えれば、戦争と関連する東南アジアという線も考えられる。戦争が終わってま だ11年しかたっていないのだから・・・、とも思ったが「探検」の語が引っかかる。
 というわけで、気にはなっていたが、正体がまるでわからない本に2000円も出す余裕はないので、それっきりにしていた。
 それから一カ月ほどたって、「なにかおもしろい本はないかなあ」と古本サイトをチェックしていたら、あの本が500円で売りに出ていた。「よし!」とクリックして「レジへ」。
 その本がきょう届いて、謎が解けた。『失われた大陸』というこの本は、同名のイタリアの長編記録映画の写真集だった。映画フィルムを写真にして印刷した 本だった。定価は380円だが、当時の労働者の日給くらいする高い本だ。奥付けを見てみると、驚くほど売れたことがわかる。56年5月1日の発売で、5月 15日には二刷り、9月10日に三刷り、57年3月には四刷りになっている。それ以後も増し刷りしたかどうかわからないが、けっして万人向けの実用書でも なく、安くもない本なのに驚異の売れ行きだ。巻末には、同年5月に発売予定の『カラコルム』の広告が出ている。これは本多勝一も参加した京都大学カラコル ム・ヒンズークシ学術探検隊(1955年)の記録映画の書籍版だ。こういう出版物をみると、当時の「異国憧憬」の気運がよくわかる。
 『失われた大陸』の内容は、悪名高いヤコペッティーの「世界残酷物語」ほどひどくはないのだろうが、西洋人のエキゾティズムを刺激する「南国の楽園」を 演出している。我が家の書棚には戦前から戦後まもない時代に出版されたこの手の本が何冊かあるが、どの写真にも資料的価値はない。タイの寺院と僧侶、バリ の踊り子といった写真は、いま撮影しても同じ構図の同じ写真になるだろう。街の写真や普段の人々の写真があれば、当時のようすがよくわかるのに、残念なこ とだ。素人であれプロの写真家であれ、のちのち資料として価値ある写真を残しておきたかったら、街を撮れ、人を撮れといいたい。普通の生活こそ、じつは変 わりやすい姿なのだ。
 なぜ、こういう本を出版したのかはわからない。当時の「平凡」は芸能界に近かったので、映画界との交流からこの本の出版が決まったのかもしれないと想像するしかない。
 以上のことがわかったのが、本代500円の価値である。2000円も出さないで、よかった。