101話 新宿・鈴平


 『植草甚一コラージュ日記 (1) 東京1976』(晶文社、2003)を読んでいたら、新宿の鈴平の名が出てきた。すっかり忘れていた名前だったが、そういえばそんな名前だったことを思い出した。
 紀伊国屋本店の前に、「しゅうまいの早川亭」があり、そこの路地を入っていくと、右手に武蔵野館。そのまま南口の方に進むと、ピンク映画館があり、その隣は中古カメラの店だったか。そしてその並びに鈴平という古本屋があった。
 かつて新宿の本屋といえば、紀伊国屋書店が孤高の存在だった。1970年代の紀伊国屋では、エスカレーターを上がってすぐ右の雑誌コーナーにミニコミも 置いてあった。ガリ版刷りの旅行雑誌「オデッセイ」も、創刊間もない「本の雑誌」も、そこで発見して、以後購読することになった。
 そういう意味では画期的な書店だったが、本屋巡りが好きな私にとって、紀伊国屋以外に本屋が見つからないのが不満だった。そんな思いで新宿をぶらつき、路地の奥で見つけたのが鈴平だった。
 木造の古本屋で、品揃えに変わったところはなく、値段も安くはなかった。だから、新宿に出れば必ず立ち寄ったものの、本を買った記憶はあまりない。客の 姿はほとんどなく、いつも閑散とした店内だったが、棚の前でじっと立ち読みし、ポケットからタバコを取り出して、店内で平気でタバコを吸い、なおも立ち読 みしている邪魔な男をときどき見かけた。それが植草甚一だった。植草の顔は、「話の特集」で知っていた。
 紀伊国屋でも、棚の前でじっと動かない男がいて、「邪魔だなあ」と思ってふと見ると、植草甚一だったということがあった。神田でも、銀座のイエナでも会ったことがないのに、なぜか新宿では何度も遭遇している。
 植草甚一と話したことはないが、話を聞いたことはある。少人数の客を相手にする講演会だった。たぶん化粧品のポーラがスポンサーになって、青山で行なわ れた講演会だったと思う。新宿で見かけたころは、まだアメリカに行く前だったからスーツ姿だったが、講演会のときはそれまでとはまったく違う派手な服装に 変わっていた。アメリカ滞在の話が聞けるのだろうと期待していたのだが、河野典生の『ペインティング・ナイフの群像』の話が長引いて、ちょっと退屈した。 私は文学には興味がないからだ。
 いま思い出したのだが、雑誌「ワンダーランド」が創刊された記念イベントに行ったのだが、あのとき植草が壇上にいたかどうかという記憶がはっきりしな い。編集長なのだから、出席者であって当然なのだが、誰が何を話したかという記憶はまるでない。はっきりと覚えているのは、「創刊したばかりですが、誌名 が『宝島』と変わり、版型も小さくなります」と誰かが説明し、びっくりしたことだ。
 鈴平が変身したのは、おそらく植草が亡くなってからだろう。木造の古い家は、ペンシルビル(鉛筆のように細いビルのこと)に姿を代え、古本屋はその地下 で営業していたが、狭いうえにクズのような本ばかりで、店の一角でサルノコシカケを売るような店になり、それ以後足を運ばなくなった。いまでもそのペンシ ルビルは建っているが、地下に古本屋はない。