103話 間違いやすい『日米会話手帖』


 出たばかりの文庫のページを開いて、「おいおい」と突っ込みを入れてしまった。1945年の日本を書いた次の文章だ。

  灯火親しむの候の秋、九月十五日には、機を見るに敏であった誠文堂新光社から早くも刊行された『日米会話手帖』がまたたく間に三百六十万部、飛ぶような売れ行きで、日本人の変わり身の速さ、「米機撃滅」の昨日に変わるカムカムエブリボディ転進ムード高まるや・・・・
     『笑伝 林家三平』(神津友好、新潮文庫、2005年)

 黒柳徹子の『窓ぎわのトットちゃん』が出る1984年まで、日本のベストセラー記録第一位を守り続けていた『日米会話手帖』を出したのは、誠文堂新光社ではなく科学教材社である。
 この『笑伝 林家三平』は、1983年から2年あまり読売新聞の日曜版に連載された原稿がもとになっている。連載が終わったらすぐ文藝春秋から単行本と して出版された。2005年に新潮文庫に入ったのは、林家こぶ平の九代目正蔵襲名に「機を見るに敏であった」からだ。読売新聞社文藝春秋と新潮社の編集 者と校正者の目をもってしても、この誤記に気がつかなかったというのはどういうわけだ。宇宙工学の専門書とかボリビアの植物名の間違いに気がつかなかった というのならば、同情の余地はあるが、『日米会話手帖』は出版界の一大事件なのだから、誤記に気がつかなかった理由がわからない。スポーツ新聞に、長島茂 雄を「宮城県仙台市出身、法政大学卒業」と紹介してあるようなものだから、気がつかないほうがおかしい。
 じつはインターネット情報でも、『日米会話手帖』の版元を、「誠文堂新光社」としているものや、「科学教材社、のちの誠文堂新光社」というものもあった。なぜこういう混乱がおきたのかというと、ちょっと複雑な事情があるからだ。
 『日米会話手帖』の編者小川菊松は、誠文堂新光社の創業者であり当時の社長である。だから、自分の会社から出版したのだろうという混乱がおきた。科学教 材社というのは現在も活動している会社だから、誠文堂新光社の前身ではないのだが、誠文堂新光社と深い関係がある会社だ。その関係を「関連会社」とすれば いいのか「提携会社」とすればいいのか私にはよくわからないが、とにかく別会社であることは間違いない。
 かつて、この『日米会話手帖』について調べたことがあるので、この程度のことは知っていたが、念のために国会図書館の資料で検索してみようとしたら、見つからない。360万部のベストセラーが、国会図書館にも所蔵されていないのだ!!
 引き続き検索していくと、国会図書館のホームページの「常設展示品」紹介欄でこの書名が見つかった。出版史の解説だ。

  『日米会話手帖』(昭和20年9月、誠文堂新光社刊。当館未所蔵)のベストセラーを皮切りにして、英語関連の手引書が相次いで発行された。

 ああ、国会図書館よ、お前もか。もしかして、私の理解が間違っているのか? 私も国会図 書館同様この本は持っていないので、奥付で確認することができない。間違っているのは、私か、それとも読売新聞社文藝春秋・新潮社・国会図書館連合なの か。すごい勝負だ。私に勝ち目はあるのか。