145話 まず、日本語を(2)

 電話セールス


 午前中の電話はセールスだと、ほぼわかっている。わかってはいても、電話にでないわけにもいかず、しかたなく受話器をとる。電話に対して、昔は「はい、前川です」と礼儀正しく接していたのだが、セールス電話が増えるにつれて名乗らなくなった。
 受話器をとると、猫なで声が聞こえてくる。テレビのワイドショーのアナウンサーのような気味の悪い声で、ていねいだがウサン臭い話が始まる。かつては一応相手の話は聞いていたが、毎日のことなので、しだいにこちらも凶暴になって、無言で受話器を置く。
 向こうだって、こう言ってきたら、こう言い返すというマニュアルがあるのだから、「カネがない」とかグダグダ言っても、「いや、今なら割安で…」とかな んとか、話を続けようとする。そんな話につきあうのは面倒だと思ったら、セールス電話だとわかった時点で、すぐさま受話器を置いたほうがいい。セールス電 話は人の性格を悪くする。現在もっともうるさいのが、NTTの代理店だというセールス電話だ。光ファイバーのセールスらしい。
 もう、10年くらいまえになるだろうか。受話器をとったら、例の猫なで声で、「お住まいのシロアリ駆除のご案内でございます。シロアリの被害は…」とい うセールストークが始まったので、すぐさま受話器を置いた。目が机の本に戻ったら、また電話の呼び出し音がなった。無言で受話器をとったら、怒鳴り声が聞 こえた。
 「てめー、黙って電話を切るんじゃねえよ。バカヤロー。いらねーならいらねーって、はっきりと言えよ」ガシャン!!
 なにかと問題の多いシロアリ駆除業者だから、私の行為で化けの皮がはがれたというわけだ。あの会社の名前は覚えていない。そもそも覚える気などないが。
 つい先日の電話には、びっくりした。ついに電話の世界にまで侵食してきたのだ。
 呼び出し音
「ハイ…」(受話器をとる)
「あの〜(若い女の声だ。これだけで、セールスかどうかわからない)、そちらは、前川健一さんのお宅でよろしかったでしょうか?」
「ハイ」(編集プロダクションのアルバイト社員ということもある。まだ、正体はわからない)
「こちら、アメリカン……」保険会社の名前をいったので、すぐさま受話器を置いた。
 私はあまり外食はしないし、ましてやファミリーレストランのようなところでは食事はしないのだが、それでも、店員が料理をテーブルに運んできて「こち ら、Bランチでよろしかったでしょうか」とか、「スパゲティーボンゴレになります」という奇妙な日本語を耳にしたことがある。
 テレビも出版界も「日本語ブーム」だといっているが、あれはばかげている。顰蹙だの、粛々だの、赤口だの、急遽だのといった漢字や、当て字の動植物名や 外国の地名などが読めるかどうかのバラエティ番組だが、日本での生活に本当に必要なのは、「コーヒーになります」とか「ラーメンでよろしかったでしょう か」という言い方がおかしいとわかる知識と感覚なのだ。
 民間テレビは教育機関ではなく娯楽だとはわかっているが、どうも根本を忘れているような気がする。それは、食べ物番組が多いが、箸の持ち方など気にしていないことと似ている。
 まずは日本語だ。小学校で英語を教える必要はない。アメリカ人のような発音を身につけさせる必要はない。英語を教える時間的余裕が小学校にあるなら、日 本語を教えなさい。日本語で自分の意見を人前で話せるような訓練をするべきだ。難易度の高い漢字は、つまり使用頻度が極端に低いのだから、そういう字を覚 えさせる前に、基礎的な日本語を徹底的に教えればいい。外国語を学ぶのはそのあとでいい。