ポケット文春と「ある記」
文藝春秋は創立40周年記念事業として、1962年9月に新書版の「ポケット文春」をだ した。当時の社名は文藝春秋新社だ。「ポケット」というのは、当時すでに発行されていた「ハヤカワ・ポケット・ブックス」や「新潮ポケット・ライブラ リー」の流れに沿うもので、この時代は新書版サイズの本が流行していたのである。
新書版サイズであって、新書と呼ばないのは、小説もかなり含まれているからだ。ポケット文春の場合、山田風太郎、黒岩重吾、松本清張などの小説があって、古書市場ではノンフィクションよりもこうした小説のほうが重要視されている。
ポケット文春の創刊事情はわかったが、いつまで出版されたのかがよくわからない。いったい何点出版されたのかもわからない。国会図書館の蔵書からリスト を作ると、『香水のすすめ』(堅田道久、1962)から、『梶山源氏 ほへと・の巻』梶山季之、1972)まで206冊ということになるが、これが総数か どうかわからない。
ポケット文春の全貌を明らかにするのがこのコラムの目的ではなく、国会図書館で遊ぶのが目的だから、詳しいことは気にしない。
さて、小説以外で、書名から旅行や異文化事情などを扱ったと推察される本を書き出してみる。書名からの判断だから、とんだ勘違いもあるかもしれないが、まあ、いいや。
『素晴しいヨット旅行』(柏村勲、1962)
『太平洋ひとりぼっち』(堀江謙一、1962)
『世界無責任旅行』(末武正明、1962)
『エジプトないしょばなし』(田中四郎、1962)
『二人だけのアメリカ』(山川和子、1963)
『見本市船さくら丸』(小山房二、1963)
『世界けんか旅行』(富井軌一、1964)
『ヨーロッパ退屈日記』(伊丹十三、1965)
『500日世界ドライブ』(芝康亘、1966)
このシリーズで、私が初めて読んだのは『エジプトないしょばなし』だ。1960年代後 半、神保町の古本屋のワゴンで見つけたのだと思う。そのあと、『太平洋ひとりぼっち』を買った。『世界無責任旅行』は、つい先日買った。ポケット文春のノ ンフィクションでもっとも話題になったのは、この『太平洋ひとりぼっち』か『野生のエルザ』(ジェイ・アダムソン、1968)だろうか。
『ヨーロッパ退屈日記』はこのシリーズで読んだのか、あるいは文春文庫版になってから読んだのか、はっきりとは覚えていない。ポケット文春の『ヨーロッ パ退屈日記』の初版初刷時は伊丹一三名義だったが、直後に改名したので、重版では「十三」名になっている。国会図書館にあるのは重版なので、「十三」名な のである。
『ヨーロッパ退屈日記』といえば、そのなかで伊丹は「書物や記事の題名で、『なんとかひとりある記』とか『食べある記』といったたぐい」が嫌いだと書いている。そう書きたくなるほど、当時は「ある記」が多かったという記憶が私にもある。そこで、国会図書館遊びだ。
「ある記」「1980年までの出版」で検索すると、ぞろぞろと87冊出てくる。
第一号は、『駆ある記』(前橋耕圃、霜旦社執事、大正11)だ。戦後の本で、有名な書き手のものでは、こうなる。
『巴里ひとりある記』(高峰秀子、映画世界社、1953)
『世界飛びある記』(徳川夢声、桃園書房、1954)
『世界とびある記』(兼高かおる、光書房、1959)
『ぼくのヨーロッパ飛びある記』(高木彬光、日本文華社、1966)
『東京珍味たべある記』(富永一朗、柴田書店、1967)
『外国映画25年みてある記 アメリカ編』(双葉十三郎、近代映画社、1978)
以上が例外的存在で、高峰、兼高、富永の三冊はすでに読んでいる。残りはあとは自費出版 かそれに近い旅行記か、あるいは団体の旅行報告書のたぐいで、わざわざ読む価値のない本だと思われる。とはいえ、『韓国青果業界駆けある記』(大沢常太 郎、東京都青果物商業組合、1969)なんかはおもしろそうだ。1960年代の韓国の野菜事情がわかる日本語資料がほかにどれだけあるかわからないが、 ちゃんとした報告書ならおもしろいはずだが、さあて、どうかなあ。いままで、期待をかなり裏切られているからなあ。