215話 補記 ジプシーとピラニアの話など


 いままでこの雑語林に書いた文章の、追加情報を書いておこう。
 この雑語林の150号で、朝日新聞記者伊藤千尋氏が大学時代に、サンケイ・アドベンチャー・プランという企画に応募して合格したという話を書いた。朝日新聞に就職が決まっていたが、入社を辞退してジプシーを訪ねる旅に出た。翌年、再び試験を受けて、同じ朝日新聞に就職したという話だ。
 先日、古本屋の棚に『「ジプシー」の幌馬車を追った』(伊藤千尋、大村書店、1994年)があるのに気がついて、買ってみた。1994年に出た新聞記者 の本だが、文章は1960年代の若者の文章だ。60年代の若者の海外旅行記を昔から読んできた私には、なつかしい文体でもある。
 植村直己の本でも、あるいはほかの若者の本でも、「ああ、外国に行きたい。日本とは違う世界が見てみたい」という憧れと、「日本で決まりきった生活なん ざいやだ」という、日本脱出の気分がよく伝わってくる。たぶん、新聞記者になる前に書いた昔の原稿を、のちに再構成したのだろう。
 サンケイ・アドベンチャー・プランに応募した伊藤氏の「ジプシー調査探検隊」計画は見事合格し、ヨーロッパに旅立ったという話は150号で書いたとおりなのだが、こういうエピソードもあった。
 「合格したのは私たちのほかにもう一つあり、インカ帝国のあとをたどってカヌーでアマゾンの源流調査をするという企画だ。立案者は関野吉晴氏」。関野氏は、当時一橋大学の探検部員だったはずだ。
 というわけで、調査資金の1000万円は両者で折半した。

 さて次は、173号に書いた、タイのピラニアの話だ。
 バンコクで、久しぶりにプリチャー・ムシカシートンさんに会った。カセサート大学の魚類学者だが、古くからタイに興味を持っている人には、彼の姓が気にかかるだろう。『タイの花鳥風月』(めこん)を書いたレヌカー・ムシカシートンさんのご子息だ。
 プリチャーさんに会って、「タイのピラニア」の話をした。バンコク在住の友人が、市場でピラニアを見つけたというのだが、本当にピラニアなんだろうかという疑問だ。
 じつは、プリチャーさんに会う数週間前に、ペナンで会った香港の大学教授から、中国では現在ピラニアを養殖しているという話も聞いたので、ぜひとも専門家の話を聞いてみたかったのだ。
 「ああ、あれは、ピラニアじゃありませんよ。似ていますが、歯がピラニアほど鋭くないので、すぐにわかります」
 あの、ピラニアに似た魚というのは、私が調べて書いているように、ブラジルでの通称がタンバキ、あるいは学名からコロソマと呼ばれている魚だとわかった。タンバキについては、ネット上にも詳しい情報が出ているから、興味のある人は各自調べてください。
 というわけで、簡単に問題解決。さすが専門家だ。

 次は、207号に書いた「日本最古のタイ料理店」に関する話題。
 昔のタイ料理店について知っている方は連絡をくださいと書いたところ、森枝卓士氏からメールをいただいた。
 1970年代なかごろに、大学生時代だから1978年以前ということになるが、武蔵小金井のマンションの1階にタイ料理店があったのを覚えていますが、店名など詳しいことはすっかり忘れました、とのことだ。
 日比谷の「チェンマイ」が1979年開店だから、それよりも古いことになる。やはり、1970年代に福岡にタイ料理も出す中華料理店があったという話も、当時その店に通っていた人物から聞いている。
 というわけで、タイ料理あるいはアジア料理の古い店をご存知の方は、アジア文庫までお知らせいただければ、ありがたい。「黎明期アジア料理店年表」なんて、おもしろそうでしょ。