246話 わかりにくい田中清玄のタイ その2


 田中がタイに渡った頃、「日本政府が困っていたのは、戦時中に発行した軍票の処理だっ た」というのだが、いくら調べても、日本の政府や軍がタイで軍票を発行した事実は出てこない。タイ研究者でなくても、これは「タイ特別円」のことだとわか るはずだ。日本軍がタイで使うカネを円建てで借りた。戦後、その返済をどうするかという問題だ。インドネシアではスカルノらがからんだ戦後賠償問題が、タ イでは特別円問題になる。賠償であれ返済であれ、日本がカネを出す。そのカネが日本の企業や、日本や現地政府の政治家などにも回る利権の構造ができあがる わけで、タイではその黒幕として田中がいたということだ。具体的にどういう活動をして、田中の懐にいくら入ったかといった話は、当然『自伝』にも出てこな い。
 戦後賠償とタイ特別円問題に踏み込むと、現代史の魑魅魍魎たる暗黒部分に触れて、結局なにもわからずに終わるのが、この「研究業界」の常識だ。当時の経 験は表にできないことだらけで、関係者の記憶は「墓場まで持っていく」ようなものばかりで、まともな資料がないのだ。三輪自動車の輸出事情を調べていたと きに、私もその壁にあたって苦労したことがある。『日本の戦後賠償』(永野慎一郎・近藤正臣編、勁草書房、1999)などを読んでも、詳しい事情はさっぱ りわからない。
 鶴見良行が書いていたのだが、かつてアジア経済研究所は彼の友人たちから「ウサン臭い組織」だと思われていた時代があったというのだ。それは「アジア」 という語が、「亜細亜」の字で表記されていた「右翼」「軍国主義」を想像させ、そういうウサン臭い団体たと誤解されたようだ。韓国や台湾と付き合う連中 は、「反共」を大義名分に闇の裏金を稼ぐヤカラだと思われていた。1950年代までは、岸信介児玉誉士夫らが暗躍する「亜細亜」は、ウサン臭い連中が食 い物にする地域だというイメージがあったようだ。1960年代なかばあたりまで、アジアを研究する若者が少なかったのは、ウサン臭い世界に巻き込まれたく ないという拒否反応があったという。
 さて、かねがね気になっていたことは、この『自伝』に一部書いてあった。田中と深い関係を持ったピブーンは、サリットによるクーデターで失脚し、日本に 亡命するのだが、「安全に日本へ亡命する仕事は、全部私がやったんです」と語っている。日本では、「まず新宿・牛込にとりあえず家を準備し、後に都下の町 田に1億円くらいの土地付きの家を捜して住んでもらったんです」。その資金は、丸善石油日本鋼管間組が出したという。
 ピブーンが日本に亡命し、安穏と暮らしていられた背後には、超法規的権力が作用していることはわかっていたが、それが田中だったというがこれでわかった。
 わからないのが、1億円の住宅だ。時代は1960年前後だろう。手元に、マイクロフィルムをコピーした1964年の朝日新聞があり、不動産広告を見てみると、こうなる。

四谷3丁目 坪16万円
牛込柳町 坪16万円
武蔵境 徒歩12分 坪3万3000円
横浜市上大岡 徒歩10分 坪1万9000円

 こういう数字を見れば、「町田で1億円の住宅」というのは、マユツバに思えてならない。坪3万円だとして、1000坪買っても3000万だ。デパートや旅館を開業するんじゃないんだから、3000坪の土地なんかいらない。投資目的で、広大な土地を買っておいたのか。
 さて、サリットの時代になっても田中はまだタイに行き、ドンムアン空港で200人の陸軍兵士に取り囲まれて、機関銃を突きつけられた。ピブーンを亡命さ せた罪を糾弾されたというのだ。中心人物である「司令官のブンチュウ」というのは、空軍参謀長のブンチュー・チャンタルベークサーだろうが、なぜそこに 「陸軍兵士」がいるのかわからない。空港は空軍の管理下にあるはずだ。空港から田中を救い出したのは、「戒厳司令部のククリットという大将」で、「クク リットは日本の陸大を出て、民族派だ」。この人物が、ブンチュウを怒鳴りつけて、田中をホテルまで送ってくれたという。そして、その理由がよく理解できな いのだが、「こういうことがあってからは、タイ国内ではどこへ行っても英雄扱いでした」という。こういう自慢がいたるところに出てくるので、読後感はよく ない。
 さて、タイでククリットといえば、元首相であり作家でもあったククリット・プラモートの名がすぐに浮かぶが、彼は軍人ではない。では、このククリットは、誰だ。
 まず、陸軍大学校の卒業生名簿を調べてみたが、「ククリット」という名はない。それどころか、カタカナの名前はまったくないのだ。手元のタイ関連の資料 に当たっても、ククリットという大将が見つからない。空軍参謀長を罵倒できる人物といえば、陸軍司令官で国軍最高司令官であるサリット・タナラットという ことになるが、田中の親友であるピブーンを追いやった人物だから、田中を擁護するのは変だし、そもそもサリットは陸大の卒業生ではない。「陸大出身のクク リット大将」は、はたして実在したのだろうか。タイの軍隊に詳しい方なら、すぐ正解がでるのだろうか。
 というわけで、わずか10ページのタイ関連部分だけでも、疑問に思う個所が次々と出てくる。浅学である私には、個々の事実関係の確認ができないので、「この自伝は間違いだらけだ」と指摘する自信はないが、疑問点が数多くあることは確かだ。