258話 石原裕次郎と長嶋茂雄と、なぜか三輪車 前編


 ここ1年ほどコツコツとやっていた「石原裕次郎の海外旅行」という研究テーマの基礎資料が、多少は集まった。日本人の海外旅行史の前史として、有名芸能人の海外旅行がどのようなものだったかという調査の一環だ。
 1964年の海外旅行自由化以前は、カネがいくらあっても「外国に行きたいから行く」という自由はなかったわけで、外国に出ていくのにふさわしいまとも な理由が必要だった。観光旅行というのはそもそも許されないから、書類上だけでも「業務渡航」としなければいけなかった。
 裕次郎が初めて外国に行ったのは、1959年7月だと思われる。日活が求める仕事の量や内容に裕次郎が不満を抱き、対立し、その懐柔策(ガス抜き)とし て、ヨーロッパで遊んでいて仕事にもなる企画を日活が立てた。それが、日本映画初のヨーロッパロケをした「世界を賭ける恋」と、その映画のロケ中に片手間 で撮影した旅行スケッチ「欧州駆けある記」の2作となる。2作ともお手軽映画だが、裕次郎と外国の風景が楽しめるのだから、当時はこの程度でカネがとれた のだ。
 翌60年1月、裕次郎北原三枝との結婚を日活に反対され、突然ふたりで渡米してしまった。まあ、実際の話、今と違って「突然、渡米」などできる時代で はないのだが、それはともかく、どのような裏技を使って、渡航可能な書類を作成したのかは、詳しい裏事情がわからない。集めた資料を読むと、裕次郎自身は こう語っている。

 「僕たちの場合は、僕の友人でニューヨーク在住のユダヤ人のおっさんがいて、彼がギャランティーして僕たちを招待してくれた。もちろん日活にも内緒の“逃避行”だった」 『口伝 我が人生の辞』(石原裕次郎主婦と生活社、2003)

 この本には、もう一カ所、海外旅行の話がでてくる。シゲこと、長嶋茂雄との旅行を語った個所だ。

 「シゲとアメリカへ旅行したときのことだ。
 ウチのカミさんも一緒だったから、僕が結婚してまもなくのころだったと思う。
 当時は自由渡航が認められていなくて、アメリカに住んでいる人がギャランティーレターでチケットを送ってきて、現地での引き受けを保証しなければ渡航できなかった。
 僕の友人で、金持ちのユダヤ人がニューヨークに住んでいて、彼の息子の成人式パーティーを開くという。
 『アメリカに来いよ』
 『じゃ、行くよ』
ということになった。
 僕の友人はシゲの大ファンで、日本に来ると太鼓を持って、必ずシゲの試合を僕と観戦に行った。そういうことで、僕とカミさんとシゲの三人でアメリカに飛ぶことになったわけだ」
 裕次郎自身はこう語っているのだが、事実確認のため、さらなる情報を集めると、本人の談話とはまったく違う話が見つかった。
 『POPEYE物語』(椎根和、新潮社、2008)のなかに、平凡出版(のちのマガジンハウス)の名物編集者木滑良久(きなめり・よしひさ)の活躍について書いた、こういう文章がある。
 「海外渡航が自由でなかった60年には、パンナム航空に話をつけて、裕次郎と長嶋をフロリダに連れて行き、プールの飛びこみ台の上の、水着姿の2人の肉体美が、週刊平凡のカラーグラビアを飾った」

  椎根和(しいね・やまと)は、「週刊平凡」を出していた平凡出版の元社員で、この『POPEYE物語』には、CIAの対日政策に関する記述もある。それに よれば、CIAがパンナム(パン・アメリカン航空)を使って、日本のマスコミがアメリカ取材をする便宜をはかり、日本に親米思想を広めようとしていたとい う。だから、この「パンナムに話をつけて」というのは、平凡出版がCIAの活動を利用して、高額の航空券をタダにさせたという意味だ。
 おもしろい話だが、だからこそウラをとらないといけない。「週刊平凡」が企画したという裕次郎夫妻と長嶋のアメリカ旅行について、詳しく調べてみなければいけない。
 彼らが日本を出発したのは、1962年1月4日だとわかった。だから、「60年には・・・」という記述はまちがいだ。旅行内容を知りたいので、その「週 刊平凡」(62年1月31日号ほか)を手に入れたかったのだが、見つからない。そのかわり、「週刊平凡 創刊3周年記念増刊号 カメラがとらえた3年間」 (1962年5月31日号)を、インターネット書店で手に入れた。
 この増刊号の「スターの海外旅行」という章の扉に、雪のニューヨークに到着した裕次郎と長嶋の写真が載っている。飛行機を降りてターミナルに向かって歩 く写真には、後方にノースウエスト機の尾翼が見える。この旅行のスポンサーがパンナムだとしたら、こういう写真を公開するわけはない。利用機はパンナムで はなく、実はノースウエストではないか。というわけで、引用した椎根の文章は、どうも怪しい。
 そこで、さらに調べてみると、これが解答かもしれないと思える情報が見つかった。が、残念。このあたりでちょうど1回分の行数になってきたので、もったいをつけて、次回に続く。
 ちなみに、長嶋茂雄の初めての海外旅行は、多分、1961年、フロリダのベロビーチで行なわれたジャイアンツのキャンプに参加したときだろうと思う