262話 マドロスの基礎研究ノート その1



 日本人の海外旅行史を調べていて、いつも気になりつつ、まったく手をつけていないのが 「マドロス」だ。歌謡曲に「マドロス物」というジャンルがあるほど、文化史研究には大きなテーマだ。マドロスは、なぜそんなに大きなジャンルになったのだ ろう。日本人はなにを求めてマドロスの世界に憧れたのだろうか。マドロス物はどう生まれ、どうのように発展して、いつごろ消えていったのか。消えていった 理由はなんだろうか。
 そういったことが知りたくて、ノートをとってみた。カネの取れる原稿にするには、多くの映画を見たり、昔の音楽を数多く聞いたりして、時代の感覚を体に しみ込ませないといけない。そういう原稿を書くかどうかわからないが、とりあえず、基礎を調べてみたくなった。いつもは、こういう下調べをしつつ、方向を 定めて原稿の構成を考えるのだが、今回はメモを公開してみよう。ただし、いつものようなメモのままだと、箇条書きだったり、切り抜きだったりして断片的な ので、今回は読みやすくするために原稿風に書いてみる。
 中高年の日本人は、マドロスとは「船員」だと理解している。語源は、オランダ語で船員、海員、水夫を意味する「matroos」(マトロス)だ。オランダ語で船舶関連の語ということなら、たぶん幕末に入ってきた言葉だろう。
 1855年、海軍士官を養成する長崎海軍伝習所の設立に協力したのは、オランダ商館長のヤン・ドンケル・クルティウスで、オランダ人教師たちが航海術などを教えた。ここで練習船として使われたのが、オランダから輸入した咸臨丸だ。
 というわけで、「オランダ語」、「船」という連想から、幕末から一部で「マトロス」、あるいは濁音化して「マドロス」という語が使われていたような気がするが、まだ確証はない。
 国会図書館所蔵の本で、書名に「マドロス」が入っているものでいちばん古いのは、1918年(大正7年)の『マドロス悲哀』である。著者は、米窪太刀雄。明治・大正期をあわせて、書名に「マドロス」の語が入っている本は、国会図書館にはこの1冊だけしかない。
 さて、この著者、私はまったく知らなかったが(まあ、無知はいつもだ)、とんでもない大物だった。米窪太刀雄は筆名で、本名は米窪満亮(よねくぼ・みつ すけ)、1881年、長野県の生まれ。海のない地で育ったからと、船乗りになろうと商船学校(現在の東京海洋大学)に入学。練習船大成丸で世界一周の訓練 航海に出たときの航海日記が新聞に連載され、それを絶賛した夏目漱石の序文がついて、『海のロマンス』という書名で1914年(大正3年)に出版されて、 かなり売れたらしい。
 卒業後は日本郵船に入社し、あこがれの船員になるが、航海中の船員に対する待遇のあまりの悪さに憤り、雑誌「海と人」に内部告発の記事を発表した。この文章をまとめたのが、国会図書館の所蔵リストで見つけた『マドロス哀愁』である。
 内部告発をした米窪は、日本郵船をクビになり、ほかの船会社にも就職できず、労働運動に身を投じる。そして、のちにはILOの日本代表として国際会議に出席するほど、本格的な労働運動家になる。
 戦前から国会議員をつとめ、戦後は日本社会党の結成に参加し、片山内閣では初代の労働大臣になっている。1951年没。うん、こういう人物であったか。
 1918年に出版された『マドロス哀愁』を読んではいないが、『蟹工船』や『女工哀史』のような本だろう。だから、多分、のちの「マドロス物」が持っている異国情緒たっぷりのかっこよさはない。「マドロス」は、単に船員という意味しかない。

この項、続く。