その昔、海外貧乏旅行の情報がほとんどなかった時代、1970年代までのヨーロッパ旅行なら、『国際ユースホステル・ハンドブック』が重要な資料だった。物価が高いヨーロッパの安宿ガイドだから、貧乏旅行者の愛読書だった。
ユースホステルはドイツで生まれた。そこで、「ドイツ人と旅」をテーマに調べ物をしたくなった。ユースホステル、ワンダーフォーゲル、遍歴職人、遍歴学 者、民族学、地理学などの資料を片っ端から読んでみた。それと同時に、日本ユースホステル協会の歴史資料を読んでいて、橋田壽賀子の名が目に入った。意外 ではない。橋田とユースホステルの関係は、すでに知っている。
2000年8月にNHK・BS2で放送された「BSスペシャル ゆっくり世界旅 真似して真似されて二人旅」を見て知ったのだ。橋田壽賀子とラサール石 井のふたりが、なぜかポーランドを旅するという番組で、奇しくも橋田壽賀子の旅の話を聞けた。橋田はなかなかの旅行者だったのだ。
橋田は大学を出てすぐ松竹に入社したものの、脚本の仕事はなかなか与えられず、1954年に退職してフリーになる。ちょうど53年にテレビ放送が始まっ たばかりで、彼女はテレビドラマの仕事を得た。仕事の合い間に旅をしたかったのだが、当時はまだ女ひとりを泊める旅館は少なく、しかたなく誰でも宿泊でき るユースホステルを利用するようになった。ここなら、女のひとり旅でも、問題なく泊まれる。
海外旅行が自由化された1年後の1965年、日本ユースホステル協会は、第一回ヨーロッパホステリングを計画した。ホステリングとはユースホステルを利 用して旅することだ。海外旅行が自由化されて、やっと業務以外の目的で渡航できるようになったことで計画された大旅行だった。
費用を安くするために、飛行機はチャーター便だ。ヨーロッパの7カ国を巡って最終訪問国のポーランドで開催される第25回国際ユースホステル会議に出席 するというスケジュールで、45日間の旅。参加者127名のうち、女性は70名。そのひとりが、橋田壽賀子だったというわけだ。このあたりの話は、『歩々 清風 金子智一伝』(佐藤嘉尚、平凡社、2003年)にやや詳しくでている。ちなみにこの本は、インドネシア関連書でもある。
参加費用は、38万円。売り出し中の脚本家にとっても、決して安くない料金だ。38万円は、ハワイ10日間のツアー料金に等しいから、それで45日間の ヨーロッパ旅行ができると考えれば、たしかに安い。しかし、1960年代なかごろの当時、若いサラリーマンの月給は数万円だから、現在の物価に換算すれ ば、400万円ほどになるだろう。
橋田のヨーロッパ貧乏旅行の話を詳しく知りたいと思い、橋田の『ひとりが、いちばん』(大和書房、2008年)を読んでみたのだが、興味深い話はなにひとつ出てこなかった。
そこで、日本ユースホステル協会の資料で紹介されている、気になるもうひとりの人物について調べてみたくなった。およそユースホステルとはなんら関係も なさそうな人物の名が、資料に載っていたのである。読売新聞大阪本社の記者だった黒田清の最初の著作が、ヨーロッパ貧乏旅行記だったというのだ。黒田と ユースホステルは、私の頭ではどうも結びつかない。黒田が、そういう貧乏旅行をしたという話は、まったく知らなかった。