295話 今はもうまぼろしの、日比谷野音コンサート 

 キャロルのステージを見たことがあるのに、すっかり忘れていたという話はこのアジア雑語林の151話で書いたが、先日、もうひとつ、有名だがまぼろしのバンドのステージを見たことを思い出した。
 1970年代前半のある日の夜、ちょっとした知り合いから電話があった。
「あのさあ、仕事を頼みたいんだよね。明日ヒマだったら、日比谷の野音(野外音楽堂)に来てくれないかなあ。コンサートの開演前の観客整理の仕事で、仕事っていったって、日当も出ないし、交通費も出ないけど、コンサートが始まればもう仕事はないから、タダで見られる。だから、日当がコンサートのチケットということで、やってもらえるとありがたいんだけど・・・」
 翌日はヒマだから、行った。コンサートの詳しい内容は聞いていない。あるバンドや歌手の単独コンサートではなく、いくつものバンドが出るフェスティバル形式のコンサートだったのだろうが、どういうフェスティバルなのかまったく覚えていない。出演者も覚えていないのだが、ただひとつ、客の反応がもっとも激しかったバンドのことは覚えている。
 そのバンドの名は、PYG(ピッグ)と言った。わたしのこのサイトを読む人に若者はいないだろうから、PYGの説明をあえてしなくてもよく知っているだろうが、一応、簡単に触れておこう。
沢田研二(元タイガース) ボーカル
萩原健一(元テンプターズ)ボーカル
大野克夫(元スパーダース)オルガン
井上堯之(元スパーダース)ギター
岸部修三(元タイガース) ベース
大口広司(元テンプターズ)ドラムス (71年9月から、元ミッキー・カーチス&サムライの原田裕臣
 蛇足の註をつければ、まず、PYGはGSの寄せ集めバンドで、71年2月デビュー。だから、ロックファンには評判がすこぶる悪かった。ロックは反逆の音楽というイメージがあるなか、PYGは「ザ・芸能界」という臭気が充満していた。有線放送大賞だのレコード大賞を受賞するのだから、「体制側」そのものに見えた。
 岸部修三(本名しゅうぞう、芸名おさみ)は、75年に芸名を改めて一徳となる。現在の怪優岸部一徳である。大口広司も、のちに俳優となり、岸部とともに「向田邦子の恋文」(04年)に出演。「いい俳優になったなあ」と感心したのだが、09年に亡くなる。
 PYGは、71年3月に京大講堂のコンサートの後、東京では71年4月の第1回と7月の第2回の日比谷ロックフェスティバル(日比谷野音)に出演している。私が見たのが、4月か7月かのどちらかだろうと思ったのだが、よく考えてみれば、コンサート前夜に電話をかけてきて、「仕事」に誘ったあの男と知り合うのは72年以降のことなのだ。しかもPYGは72年11月のラストシングル以後、自然消滅となったバンドなので、私が見たのは72年ということになる。ところが、ネット上では、72年にPYGが日比谷野音に出演したという記録が見つからない。
 PYGは、スケジュールの問題などで、沢田・萩原のツインボーカルにならないときは、「萩原健一+PYG」か、「沢田研二井上堯之バンド」といった名前で出演していたらしいので、私が見たのはフルメンバーのPYGではないかもしれない。わずかな記録と記憶を総合すると、私が見たステージは、どうやら1971年7月のものらしい。
 かすかとはいえ、私がPYGのステージを覚えていたのは、もう恒例になっていたらしい「帰れ!」コールが場内で湧きあがったからだ。71年の京都でも、そして日比谷でも、「帰れ!」コールに包まれたそうだが、私が見たときも、やはり、会場から「帰れ!」コールが沸きあがった。アジっている連中の気持ちを想像すれば、「アイドルバンドのメンバーを寄せ集めて、チャラっと演奏すれば大金を稼げるなんて、考えてるんじゃねえよ」という主張だろう。コアなロックファンからすれば、「芸能人が、チャラチャラしてんじゃねえよ!」ということだろう。
 この日、もうひとつの出来事があった。「帰れ!」コールのなかで1曲目の演奏を終えると、71年の京大講堂と同じように、内田裕也がステージに姿を見せた。このバンドのプロデューサー格だろう。
「おーい、みんな一生懸命に演奏してんだからよー、ちゃんと聴いてやってくれよ。なあ、たのむよ」と、えらく低姿勢で訴えた。「シェゲナベイビー」ではないユーヤ氏を見て驚いたので、きょうまで覚えているのだろう。
 私が見たPYGのコンサートが、何月何日かということはどうでもいいが、ほかの出演者の名前を知りたい。その日、私はステージでいったい誰を見たのだろうか。
 それにしても、1970年代や80年代の読書体験なら、書名や著者名がすぐ思い出せなくても、読んだかどうかという記憶はかなりはっきりしているのだが、こういうコンサートの記憶があいまいだ。その理由は、ひとつにはタダだったからだろう。この機会に、タダのコンサート体験をちょっと引きずり出すと、やはり1970年代の前半だろうが、新宿西口の更地でフリーコンサートがあったことを思い出した。西口にはまだ京王プラザホテルしかなく、その近所の、おそらく新宿センタービル野村不動産ビルができるあたりの建設用地で開催されたコンサートだった。このコンサートのことは、私の腕ではネットでは探せなかったが、記憶に残る出演者は、吉田拓郎六文銭頭脳警察と、たぶん、泉谷しげるほか多数だが、その「ほか多数」が思い出せないが、まあいいか。思い出しても、どうということはないし。
 ★2019年3月30日の追記PYGの萩原、井上、大口と内田の4氏がすでにこの世にいない。あの日のコンサートには、ゴールデン・カップスモップス、ハッピー・エンドなども出ていたらしいが、好みの音楽ではないということもあってか、はっきりとは覚えていない。とにかく、1971年は、たしかに大昔だ。