298話  我田引水の文化論は、ろくでもない結果を生む 後編

 韓国人の学者が書いた『韓国人の作法』の話の続きである。
 例えば、「朝まで生テレビ」(テレビ朝日)のような討論番組を見ていると、政治家や、いわゆる文化人と呼ばれる人が、こういう話を始めることがある。
 「ほかの言語とは違って、日本語には敬語があるせいで、習得するには世界で一番難しい言葉である」(だから、そういう日本語を使っている日本人は頭がいい、と言いたいらしい)。
 敬語とは、尊敬語、謙譲語、丁寧語のことを指すので、公用語になるくらいの話者がいる言語では、ていねいな表現はあるはずだ。もちろん、英語にだって、ある。外国の事情をまったく知らずに、比較したふりをして、このように唯我独尊の論を展開するヤカラが少なくない。かつて全盛を極めた「日本論」「日本人論」ブームのころは、こういった説を展開するトンデモ本が多数あったように思う。
 『韓国人の作法』を読みながら感じたことは、このことだ。だから、この本で韓国人だけの欠点を指摘したわけではない。著者は、干支を論じた項目で、「干支となった動物の生態的な特徴を人々の性格運命に結びつけ占う韓国人の独特な干支文化は・・・」と書く。ネズミ年の人はネズミを連想させる性格で、ウマ年の人はウマのようにという発想が、「韓国人の独特な干支文化」であるとしているが、日本人や中国人なら、「なに? 韓国人だけの発想だと?」と思うだろう。
 韓国人だけでなく、日本人も中国人も、ほかの民族も、同じようなミスをしでかしやすいということに、気がついていた方がいい。お国自慢の人物には、科学的考察力はない。日本について言えば、いままで「日本人特有」だの「日本人独特の」といった表現を何度耳に、あるいは目にしてきたことか。「日本人特有」の語のあとに続く文章を点検することなく、日本文化特殊論を展開してきた文化人は少なくない。あるいは、「いまどき、〇〇をしている国なんて、世界で日本だけです」といった論法もしばしば耳にするが、その発言者が世界を知っているわけではなく、誰かの受け売りを自説のごとく語っているだけだ。
  したがって、韓国人が書いたこの本は、「他山の石とする」と言っては失礼だろうから、「他人のふり見て、わがふり直せ」としておこうか。
とはいえ、やはり残念なのは、この本の著者が政治家でも小説家でもなく、文化人類学を専攻する学者だということだ。学者が自分の専攻とは違う分野に関して、思いつきで、あたかも事実であるかのように語るということはよくあるが、この本が扱うテーマは、著者のフィールドからあまり外れていないだろう。韓国人は、誕生日にはワカメスープを飲むと習慣があるという話は、韓国文化を紹介した本には必ずと言っていいほど出ている毎度おなじみの話題で、この本にも当然出てくるのだが、文化人類学者が書いた本なら、韓国人がいつから自分の誕生日を祝うようになったかという点も、きちんと書いておかないといけない。素人考えだが、一般人が、個々人の誕生日を祝うという行為は、それほど古くからある習慣ではないような気がするのだ。このあたりのことをご存じの方は、ご教授ください。
 はっきり言えば、専門家が、よくもこれほどひどい本を書くものだとは思うが、じつは、これまた日本でも珍しいことではない。韓国人学者が書いた本を笑えるほど、日本人学者が書いた本がどれも立派だなどと、とても言えないのだ。
 日本の大学教授が書いた本でひどい内容の本はいくらでもあるし、専門分野の研究会での発言でも、「トンデモない」ことを言い出す教授もまた、決して珍しくないらしい。不思議なのは、研究会の場で、正面切って反論や批判が出ることはあまりない。和を重んじる教授たちからの反論はあまりないから、しかたなく、和など考えていないど素人の私が立ち上がることになるのだ。ついでに余談をしておくと、年齢的にはベテラン教師であるはずなのに、人前でまともに話せない教授の発表を聞かされたことがある。この教授の授業を受けなくてはならない学生は、なんとも気の毒だ。言語不明瞭で、何と言っているのかさっぱり聞きとれないのだ。前振り・雑談40分、本論10分で、時間切れ終了というブザマな発表もあった。教師経験30年でも、時間配分ができないらしい。
 あやしい健康情報やエセ科学とメディアとの関係を批判的に論じた名著『メディア・バイアス』(松永和紀光文社新書、2007)や、やはりインチキ健康法を批判した『「食べもの神話」の落とし穴』(高橋久仁子、講談社ブルーバックス、2003)などを読んでみると、 世の動きを批判的に見ている学者は少なく、正論はなかなかマスコミでは取り上げられないことがわかる。
マスコミは、学者が書いた論文の一部だけ切り取り、新たな話をでっち上げ、「〇〇大学の△△教授の論文によれば」と大学の権威を利用して、「やせる」「血圧がさがる」「血がきれいになる」などとセンセーショナルにあおって商売をする。そういうインチキを正面からきちんと批判する学者が少ないこともよくわかる。基本的に、学者は素人の発言など相手にしない。専門家の発言に対しては、陰で罵詈雑言を浴びせていようが、表向きは同業者批判をあまりしないのだということは、以前に書いた『ヤシガラ椀の外へ」にも書いてあったことだ。たいていの学者は、波風立てずに、小さな世界で平穏に生きていければいいのだ。
 日本人も韓国人も、西洋、とりわけアメリカの威を借りて、権威付けをしたがるというのは共通だから、この点に関しても、韓国人を笑うことはできない。
 食文化関連では、テレビドラマ版の「食客」や、韓国KBS放送の韓国食文化ルポ「韓食探検記」が、「西洋人にほめてもらいたい」「西洋人に認められれば世界一流」という韓国人の感情を表す好例なのだが、その話は、機会があれば、いつかまとめて書くことにしよう。