312話 1970年の世界料理 3/4

 アメリカン・パーク館内のレストラン運営は、アメリカの大レストランチェーンであるハワード・ジョンソンが担当することになっていたのだが、経営状況を試算してみると、どう考えても赤字が確定と思われた。そこで、共同で運営しようと話を持ちかけられたのが、福岡の外食業者ロイヤルだった。共同経営に同意したロイヤル側の狙いは、アメリカ式の外食産業のノウハウを学ぶことだった。
 アメリカン・パーク館内にはレストランが4軒あった。アメリカン・カフェテラス・レストラン、ウエスタン・ステーキハウス、ハワード・ジョンソン、ケンタッキー・フライドチキンの4軒だ。ハワード・ジョンソンは、赤字を心配して撤退を考えたというのに、終わってみれば、予想をはるかに超える大成功だった。そこでロイヤルは、ハワード・ジョンソンのような、街道沿いに広い駐車場を持ったレストランの展開を考え、71 年に北九州に郊外型レストラン「ロイヤル・ホスト」をオープンした。ちなみに、ロイヤルの創業者江頭匡一(えがしら・きょういち)をモデルにしたのが、城山三郎の『外食王の飢え』だ。
 1970年の外食産業を展望すれば、万博の会場の外では、じつはこういう景色が見えていたのだった。
ダイエーが、ハンバーガー・チェーン店「ドムドム」を展開。
●東食がウィンピー(英国)と提携して、ハンバーガーショップ「ウインピー」を展開。
ヤナセが、スチューケトル(英国)と提携し、ステーキレストラン「スチューケトル」出店。
●「ドライブイン・スカイラーク」東京・国立にオープン。
●ケンタッキー・フライドチキンは、三菱商事との提携で、11月に名古屋出店。
 1971年には、4月には、「ミスタードーナッツ」1号店が大阪箕面市に開店。7月には、銀座に「マクドナルド」1号店。9月には、「ダンキンドーナツ」1号店も銀座にオープン。
 外食産業の資料、例えば『日本の食文化と外食産業』(財・外食産業総合調査研究センター、ビジネス社、1992)などはすでに読んでいるから、1970年代初めに外食産業の大きな転換期があったことはすでに知っていたのだが、「なぜ、この時期に?」という疑問は一切頭に浮かばなかった。経済問題を考える思考回路が欠落しているのだ。
今回、経済史をちょっと調べると、興味深い事実がわかった。1960年代後半から資本の自由化の波が押し寄せていたのだ。1964年の海外旅行の自由化というのは、為替の自由化という経済問題だったのだが、60年代後半には資本の自由化が迫られていたのだ。その結果、アメリカなどの外食産業が、一気に日本に入って来たというわけだ。経済の勉強をするために、経済史を勉強するのは退屈だが、ハンバーガーやドーナツのチェーン店の経済的背景を知るために、経済史を調べるのはおもしろい。そういう道楽の勉強というのは、以前に書いたDFSの創業者の話も同じことだ。勉強は、おもしろくないといけない。