354話  校正・校閲、あるいは編集者の仕事  1

 何回かにわたって、校正や校閲の話を書く。いつもは、「1/3」のように、全3回の1回目といった表記をするのだが、今回は次々と書きたいことが浮かんできそうだから、「掲載回数不明」のまま出発する。
 さっそく、始めるか。
 インターネット上の文章を読んでいてつくづく思うのは、誰かが書いた文章を、発表前に読む第三者がいるかどうかの違いは大きいということだ。私自身のことで言えば、この「アジア雑語林」というコラムは、以前は神田のアジア文庫のHPで公開していたので、店主の大野さんに原稿を送っていた。その原稿を大野さんが読み、単純な文字のまちがいや事実関係の確認などのメールが来て、私が返事を書き、訂正などしたあとでネット上に公開された。だから、単純な文字の間違いはほとんどなかったと思う。今は、私の手で最終作業までやるので、いつも不安で原稿をなんども読み直すことになる。
 発表前の原稿を読む第三者がいない場合、誤字脱字変換ミスがどうしても多くなりがちだ。ネット上の文章で、私がもっともよく目にする変換ミスは、「以上」と「異常」や、「以外」と「意外」だろうか。「以上のような例を考えれば・・・」という場合、「以上」が「異常」になっている例やその逆の例は多いが、「委譲」や「移乗」にならないのは、最初に変換された語を選択するからだろう。こうした例なら、その文章の筆者も読み返せば、誤りに気がつくだろうが、「絶対」と「絶体」とか、「不要」と「不用」のように、あるいは「母体」と「母胎」、「保障」と「補償」のように間違いやすい語も多く、「さて、どっちだ?」と迷うこともあるだろう。成句などを誤って記憶している場合は、当人も誤りには気がつかないわけだから、何度読み直しても誤記は発見できない。
 成句ではないが、ひとつ例をあげると、例えば「きょうは、練馬あたりはさぞ暑いだろうな」という「あたり」は、「当り」ではなく、「辺り」と書くと教えてくれたのは「旅行人」の蔵前編集長だった。そのときまで、「辺り」を「あたり」と読むとは知らなかった。それ以後、「辺り」を使うようになったかといえば逆で、読める人が少ない漢字は使わないほうがいいと思い、ひらがなにしている。ワープロを使うと、どうしても漢字が多くなりがちで、だから誤字・誤変換が多くなるわけで、なるべくひらがなを使うようにすればいいのだ。
 テレビのニュース番組やバラエティー番組に、誤字の字幕がよく出てくるのは、コンピューターの時代になって、だれでも簡単に字幕(テロップ)が書けるようになったからだろう。以前なら、ディレクターが美術に発注して、出来上がったものをまた読むという作業があったから、放送前に誤字が発見される可能性が高かった。
 誤字といえば、テロップではなく、あるドラマの公式サイトの「次回予告」に、こういう文章があって、頭をひねった。
「彼は、難なく岩を発見したのだが・・・」
 鉱山技師の話でもなければ、宝石探しの話でもない。医者モノだから・・・と推理して、「岩」は「いわ」ではなく、「がん」、つまり「癌、ガン」の変換ミスだとわかった。
 出版関係者以外はなじみがないだろうが、ここで校正と校閲についてちょっと解説しておこう。
 校正とは、誤字脱字など文字をチェックしたり、活字の大きさや太さなどデザイン面もチェックする行為だ。編集者が校正する場合、「この部分、わかりにくいので、もっと簡潔に書いてください」と依頼することもある。よくある例では、「私は今日は体調はいいので・・・・」というように、「は」が重なるので、書きかえるように依頼したり、「入口」と「入り口」や「ピザ」と「ピツァ」「ピッツァ」のように、同じものを指していながら表記が違う場合、「統一してください」と指摘することがある。編集者や校正者を長くやると、表記の不統一がかなり気になるようですね。
 校閲となると、校正よりももっと深い部分に首を突っ込むことになる。例えば、映画に関する文章なら、アメリカ映画の原題や邦題が正しいかどうか調べたり、(1983)とあるのは、アメリカでの制作年だから、「日本でこの年に公開された」という文章のなかでは「1984」とするべきではないかと指摘するような、単なる文字の間違いではなく、内容にまで踏み込んで事実関係を検証する行為だ。
 以前、知人が編集していた雑誌で、ある老作家の思い出の旅の原稿を校閲したことがある。戦前の若き日の旅を書いたもので、登場する地名や駅名も当然現在とは違い、地名の確認だけでもえらく苦労したものだ。徹底的に校閲しようとしたら、膨大な時間と手間がかかる。
 ただ、こういう行為は、ある分野の勉強をするには、絶好の方法だと思う。このアジア雑語林では、『アジア偏愛日記』(立松和平、徳間文庫、2002)を校閲した文章を載せたことがあるが(第162話 「校閲読書」)、ある地域や分野の勉強をしたければ、関連する本を校閲すると、実に勉強になる。とくに、私のように、公開する目的で調べると、いい加減な調査ではまずいので、徹底的に調べることになるので、よりいっそうの勉強になる。専門家と目される人が書いた文章でも、かなり誤記があるという話は、この雑語林で何度も触れているテーマだ。