359話 校正・校閲、あるいは編集者の仕事  6

 校閲の大変さというものを、私の校閲読書で具体的に説明してみよう。校正読書あるいは校閲読書と言うのは、本を読んでいて、疑問に思ったことを調べながら読み進めていくことで、誰かに校閲を頼まれたわけではなく、本文の内容が気になると、先に進めなくなるタチなので、ついついやってしまう我が性癖である。仕事として校閲をするわけではないので、調査は完全とは言い難いが、ある程度は調べる。
 このアジア雑語林でしばしば書いてきたような例ならいくらでもあげられるのだが、辞書事典などで簡単に解決する疑問ではなく、こういう場合は、さてどうするかという例をあげてみよう。
 アメリカの孤独な若者の旅を描いたノンフィクション『荒野へ』(ジョン・クラカワー、佐宗鈴夫訳、集英社文庫、2007)は、原題のまま「イントゥ・ザ・ワイルド」というタイトルで映画化もされているので、詳しい内容は検索して読んでください。ごく簡単に言えば、1992年にアラスカの荒野で、餓死した若者の死体が発見されたことから、この若者の旅について克明に調べていったのが、このノンフィクションだ。
裕福な家庭に育った大学生クリストファーだが、大学の卒業祝いに新車を買ってあげようという両親の提案を拒絶した。
「自分はすでにすばらしい車をもっている、というのが彼の言い分だった。一九八二年型のダットサンB210という愛車で、多少は傷はあるものの、エンジンはなんの不具合もなくて、走行距離は一二万八千マイルだった」
 私は自動車にほとんど興味はないし、だから知識もないのだが、この若者がアメリカ旅行に使ったダットサンB210という車がどんな姿をしているのか、ちょっと見てみたかった。
 姿は画像検索ですぐにわかった。日本で「サニー」として売られていた車だ。多少の情報を得ようとウィキペディア(英語版)を読むと、「北米でB210と呼ばれる車は、ニッサンサニーの第3世代(1973〜1978)である」というようなことが書いてある。ということは、1982年型のダットサンB210は存在しないということになるではないか。ウィキペディアの記事はわかりにくく、本文の文章とは違い、囲み記事ではB210系の製造期間は「1973―1983」になっている。それなら、1982年型があってもおかしくないが、なんだか釈然としない。引き続きネット情報をあさっていると、ダットサンのファンサイト”Doug’s Demonic Datsun Homepage”に詳しい情報が出ていた。
 それによれば、B210はダットサン1200の後継車として1974年に登場し、78年に製造を終了した。翌79年に登場したのが210で82年まで製造されたとある。
この記事が正しければ、1982年型のダットサンはB210ではなく、Bがつかない210ということになる。これは翻訳ミスではなく、原文通りなのだろう。とすれば、誤記なのか、あるいはこれで正しいのか、さて、わからん?
 仕事として校閲をするなら、日産自動車などに問い合わせたりと、もっと徹底的に調べなければいけないが、私の場合は趣味で調べているのだから、このあたりでやめておく。趣味・気まぐれとはいえ、ネットサーフィンだけで、1時間以上かかっている。私のようないい加減な性格の者は、とてもじゃないが校正・校閲を仕事として日夜やるなんて、ご免だ。神経を集中するから、原稿を書くよりも疲労度が高い。
 とはいえ、じつは編集者からの依頼で、ゲラの校閲をやったことが何回かある。東南アジアを舞台にした小説の校閲で、書き手が日本人と言う場合もあれば、翻訳小説という場合もあった。日本人が書いたある小説の場合、物語の軸となる事柄に事実誤認があって、そこを直すと物語が成り立たないという欠陥がみつかった。そのようにゲラに書いて、編集者に送った。そのあとどうなったか、私は知らない。小説のタイトルも覚えていない。作者名は覚えているが、礼儀上、書けないよなあ。