365話 神田神保町古本市 2011

 今年も、神田神保町の古本市に行った。大混雑に耐えてでも、わざわざ古本市にでかけるだけの価値があるとは思えなくなって、もう十数年たつ。かつて、この時期になると、ついつい神田に足が向かったのは、古本市のころが、私が神田に行くその年最後になり、数日後に日本を出て、翌年の春までは帰国しない習慣になっていたからだ。だから、私にとっては、これがいつもの、その年最後の行事であった。
 出品された古本に、特別の珍品も格安もなく、大収穫が期待できないことがわかっていながら神田に行った最大の理由は、アジア文庫に立ち寄って、いつものように閑散とした店内で、コーヒーを飲みながら、店主とその年を振り返って世間話をするという楽しみがあった。店主の大野さんが亡くなってからは、墓参りに行くような、そんな気分で神田を歩いている。亡くなったのは1月だが、私にとっては。入院する直前に会った古本市の日が、なんだか命日のような気がする。墓参りなど嫌いだから、石に向かうより、神田の古本屋巡りをしているほうが、「命日」の行事にふさわしいと思えるのだ。
去年も同じようなことを書いたから、まず雑語林287話を読んで、そのあと、ここに戻っていただきたい。
 毎年ちょっと楽しみなのは、新刊書がだいぶ安い「本の得々市」だ。かつて、すずらん通りで開催されたこの得々市のワゴンセールで、ロンリー・プラネットの創業者、トニー・ウィーラーが書いた三輪自転車の本を手に入れたという話を、この雑語林11話で書いた。
 ロンリー・プラネットの日本発売元は、たぶん毎年ここに出店していると思うが、行く気がない地域のガイドブックは、いくら安くても買う気がしないので、ずーっと素通りしてきた。
 今年は、足をとめた。「All ¥100」という値札が見えたからだ。よく見ると、100円均一ではなく、本によっては高いものもあるようだが、私が注目した本は、全部100円だった。ロンリー・プラネットの傑作シリーズに“World Food”がある。文庫本よりちょっと大きいサイズで、オールカラー。紙が厚いから重いのが難点だが、内容は文句なくいい。例えばタイの食文化に関して、レシピを集めただけの、いわゆる「お料理本」は、バンコクの書店で見かける英語の本だけで、数十種はあると思う。しかし、食文化に注目した本は、英語のものではこのシリーズの“World Food Thailand”以外ない思う。かなり充実したタイ語・英語食文化用語事典もついている。世界でもあまりない種類の本で、しかもこの前川が「いいぞ!」という本だから、世界の世間の皆さまは無視しているようで、2003年を最後に刊行が止まっている。”Korea”や”Taiwan”や"India”などが出るのを楽しみにしていたのだが、たぶん出版されないだろう。天下のロンリー・プラネットをもってしても、レシピとガイドのない食文化本は売れないのだ。参考までに、以下にリストを載せておく。
2000年の出版が、”Vietnam”,”Morocco”,”France”,”New Orieans”,”Italy”,”Ireland”,
”Mexico”,”Spain”,”Thailand”,”Turkey”,”
2001年には、”Caribbean”,”Hongkong”,”
2002年には、“Japan”,”Greece”,”Portugal”,”Indonesia”,”
2003年には、”Malaysia and Singapore”,”California”,”
 すでに持っているのが、「ベトナム」、「タイ」、「インドネシア」、「マレーシア&シンガポール」の4冊。これらは、かなり高い値段で買っている。神田の得々市で100円で売られていたのが、「タイ」、「メキシコ」、「モロッコ」、「ニュー・オールリンズ」の4冊で、「タイ」はすでに持っているが、買った。買ったが、あげる相手がいない。こういう本を読んで、タイの食文化を語ろうというライターを知らないが、100円だと、つい買っておきたくなる。
 日本の発売元が投げ売りをするということは、不良在庫だということだろう。一般の旅行ガイドと違って、出版から5年や10年たっても内容が古臭くなるということはないが、売れなければ不良在庫であることに変わりがない。
 そういえば、数年前に「食べる指さし会話帳」のシリーズ(情報センター出版局)も、この得々市で7割引きか8割引きくらいで売っていたのを思い出した。売れないのだろうな。版元のHPでは、既刊は『Japanese Food』、『インドネシア』、『イタリア』、『フランス』、『中国』、『台湾』、『ベトナム』、『タイ』、『韓国』の9冊で、改訂版がでたのは『ベトナム』だけで、現在『イタリア』、『タイ』、『台湾』が品切れ中で、増刷する気があるのかは不明。謎なのは『ベトナム』の増刷で、2002年の初版で、2003年に改訂版が出ている。改訂版が出たのは、内容に問題があったからか、それとも奇跡的に瞬時に完売したからだろうか(そんなこと、考えられないよね。クラマエ編集長)。同業者の痛みなら、黙って知らないフリをしていようか(書いちゃったけど)。