372話 香港の食堂、茶餐廰(チャーチャンテン)

 古本屋で見つけたその本の、書名にも著者にも心当たりがないが、おもしろいといいなという期待で買ってみたら「大当たり!」という嬉しい結果だったのが、『香港無印美味』(龍陽一、TOKIMEKIパブリッシング、2005)。著者は、この本の執筆時はある企業の香港駐在員だと、著者紹介にある。香港本で傑作に出会うのは、小柳淳氏の著作以来だ。
 カラー写真満載の香港の食堂とそこの料理ガイドとはちょっと違うという予感があって買ったのだが、読み始めてすぐに「よしよし」と、自分の勘が正しかったことに安心した。カラー写真とイラスト満載のこの手の本は、料理名と値段と店案内が出ているだけの内容で、そういう情報がほしい人にはいいのだろうが、実用情報を必要としない私には不要な本だ。
この本は、役に立たない情報で埋まっているという点で、いかにも前川好みの本だ。香港の食堂を茶餐廰(チャーチャンテン)というのだが、その雑学で埋まっているのがこの本だ。
 まず、店の俯瞰図から始まる。「そうそう、トイレは奥の調理場の一角にあるんだよなあ」と思い出しながら読んでいると、9ページにわたって詳細なトイレ事情の報告が続く。便座に靴の跡がついているなどという観察記録も載っていて、この本が食堂ガイドではなく、食堂をネタに香港の文化を語っているという真実がわかってくる。36~37ページでは、爪楊枝の観察をしていて、私もタイの屋台で同じように観察したことがあったなあと思いだした。実用情報が欲しい人は、「るるぶ」でもネット情報でも読めばいい。そういう情報ならいくらでもあるが、この手の雑学本は香港本でさえそれほど多くない。
 爪楊枝の次は、卓上の調味料観察。たとえば、砂糖については、こういう紹介文がある。
「砂糖:アルミの入れ物にどさっと入っている店と、紙パックのグラニュー糖が置いてある店がある。通常ホットの飲み物に入れるためである。アイスの飲み物には最初から、かなり大量に糖分が入っているので追加で入れないように気をつけたい。アイスにはシロップが別途についてくる、などというおしゃれな期待をしてはいけない」
ここまでで41ページで、料理の話に入る前に、すでに、出来のいい本だということがわかる。数日滞在して、すぐに書けるような内容ではないのだ。
 料理の話に触れるとキリがないので、ここでは94ページから始まる「飯」に関する雑話を紹介する。
 中華飯や天津飯は日本にしかないという話を枕に、カレー風味の星州炒飯(シンガポール炒飯)や、カレー風味のビーフン星州炒米(シンガポール米粉)はシンガポールにはないという話を、元シンガポール駐在員である著者は語る。そして、シンガポールの名物料理海南鶏飯(ハイナン・チキンライス)は、海南島にはないという話や、海産物入りの炒飯である福建炒飯は、福建省にはないという雑学が続く。
 この本の欠点はひとつだけ。紙が厚く硬いので、ページをめくりにくく、何度もページを開いていると、本がバラバラに崩れていく。ブックデザイナーの責任だ。