374話 阿佐谷の古本屋

  17日に旅行人の会があって、久しぶりに阿佐谷に行った。前回来たのは、何の用があったのか思い出せないが、5年ほど前だと思う。1970年代後半によく出没した阿佐谷北口はすっかり変貌していて、昔の面影はほとんどないことをその時に知った。80年代に入って南口は何度か来たが、北口はほとんど来ていない。駅前で、変な姿をした人たちが踊っていたのを覚えているが、あとで考えれば、あれはオウム真理教のデモンストレーションだったのだろう。
  阿佐谷は私が知っている阿佐谷ではもはやないが、かつて入り浸った安アパートはどうなったのか探してみた。しかし、あまりに変わっていて、正確な場所が思い出せない。風景が変わってしまったことよりも、場所を正確に思い出せないことにたじろいだ。あれほど通った場所を、思い出せない自分が情けなくなった。30年以上前だからなあ。
「あのころ」の阿佐ヶ谷をいまも残しているのが、北口アーケードの古本屋、千章堂書店だ。かつてはナムコランド阿佐ヶ谷などというものはなく、静かなアーケードがあったのだが、この北口アーケードはグーグルの地図からも抹殺されている。
 中央線沿線の古本屋は、かつてはよく覗いたものだが、もっともカネを使ったのはこの千章堂書店だ。阿佐ヶ谷によく来たからという単純な理由からではなく、私が欲しがるような本が多くあったからだ。旅と食文化の本が多いのだから、当然多くの本を買うことになった。
 この店も、いかにも中央線沿線の古本屋らしく、比較的早くからインド物・精神世界物が多くあった。私の趣味ではないので買わなかったが、ラジニーシの『存在の詩』を見かけたのもこの本屋だった。インド物かと手にしたが、私向きではないので、買わなかった。買った本ではっきり覚えているのは、のちに芥川賞をとることになる青野總の第一作『天地報道』(烏書房、1972)だ。文学趣味で買ったのではなく、1960年代の世界旅行のことが書いてありそうで買ったのだ。晶文社の本も多くあった。『ヤシ酒のみ』(エイモス・チュツオーラ、1970)を買おうかどうか考えたが、「アフリカは、まだいいか」と思って、そのまま現在まで読まずにきた。
 さて、時代は現在に戻り、17日(土曜)の午後、久しぶりにこの古本屋入ったが、すべてが昔のままだった。さっと眺めて、欲しい本が10冊くらいあったが、そんなに持ち歩く気はないので、3冊に絞った。
 『発明マニア』(米原万里、文春文庫、2010)
 『働くインド人』(流水りんこ朝日新聞出版、2009)
 『心は転がる石のように』(四方田犬彦ランダムハウス講談社、2004)
 以上3冊を買って、合計金額は、新刊の文庫本くらいだから、安い。
 買った本をバッグに入れて、南口に向かい、ブックオフに。本の数は多いが、買いたくない本ばかりだ。でも、ごくたまに「これ、もう105円?」と言う本もあるから、時々は近所のブックオフの在庫を点検している。もう5年くらいになるだろうか、左手に携帯電話を持った客が目につくようになったのは。携帯電話はメモか、アマゾンなどの相場を見ているかわからないが、彼らは古本屋だ。古本屋が古本屋で本を買う行為をセドリというのを教えてくれたのは、『せどり男爵数奇譚』(梶山季之)だ。この本は、中央線の本屋ではなく、神田の新刊書店で買ったはずだ。
 ブックオフに欲しい本はなく、ちょっと早いが楽屋代わりに決めたドトールに行くと、カウンターに蔵前さんの姿が見えた。まだ、4時。会の開演は7時半だから、たっぷり雑談ができる。続々と懐かしい顔が登場し、よしよしと、今回は珍しく身辺雑記風に。