375話 人の顔の話と経営力の話

 12月17日に阿佐ヶ谷ロフトAで行われた旅行人の会の話は前回の1回で終わっているのだが、最後に余計な3行を書いたために、続編を期待させたらしい。そこで、リクエストに応えて、少し加筆してみよう。
 12月の初めだったか、蔵前さんから電話があって、「17日、ヒマだったら、ちょっと手伝ってほしいことがあるんだけど・・・」と、会の話を聞いた。私はてっきり、旅行人主催の会だと思ったので、練馬区民会館定員300名会場ででもやるんだろうと思ったのだが、ロフトでは狭すぎる。主催は旅行人ではなく、ロフトだと、のちにわかった。
 私はキャンプ大会にも行かないので、蔵前&小川ご両人以外の旅行人関係者と会うことはめったにない。ただ、田中真知さんとは、今年たまたま何度か会っているから、阿佐谷で出会ったときにすぐ、「ああ、真知さん」と声をかけたのだが、ほかの人は記憶にない。たぶん(だから、自信はないが)、さいとう夫婦のさいとう克弥さんとは会ったことはないような気がする。
 旅行人の執筆者たちに初めて会ったのは、97年か98年ごろだった。旅行人全額負担のモンゴル料理パーティーがあって、あの頃はグレゴリ画伯はまだ東京在住で、ちょっとことばを交わした。岡崎“売れっ子作家”大五氏にもそのとき初めて会い、10秒ほど言葉を交わしただけだが、それ以来15年近くたって、阿佐谷のドトールに現れた男をみて、すぐさま「おお、岡崎さん」と声をかけた。絶対に銀行強盗などできないあの怪物風貌だから、過去のたった10秒の会話でも、記憶の奥にへばりついていたようだ。
 たぶん、99年だと思うが、新宿ロフトでも旅行人の会があったが、そのとき誰と会ったのか、記憶にない。こういう記憶は、蔵前さんと違って、比較的自信があるのだが、森“大阪おばちゃん”優子さん以外、当日新宿で会った人の記憶がない。タマキング氏には、このとき会ったのかなあ。
 阿佐谷のドトールで、「あの、おっさん、どっかで会ったなあ。もしや・・」と思っていた人物は、その「もしや」通り、『天下太平洋物語』のおがわかずよし氏。おがわさんとは、島の話を結構したからか、その顔をおぼろげに記憶していた。おがわさんは小川京子さんと夫婦だと思っていたことがあり、京子さんは蔵前夫人だと知り、ということは、旅先で蔵前氏とおがわ氏が知り合い、蔵前氏はおがわ氏の妹である京子さんと結婚したのだろうといった「旅行人相関図」を描いてみたが、のちに、おがわ氏と小川京子さんにはなんの関係もないことがわかった。
 ドトールにいた、「爽やか青年風」人物は、さて、誰だったかなあとちょっと考え、会話の流れで、宮田“鼻毛おやじ・タマキング”珠己氏だと気がついて、「ああ、そうそう、文体に似ないさわやか青年だった」なあと思いだした。
真知さんに、「きょうは知らない人が多くて、例えば前原さんて今日来るらしいが、どんな人か知らないし・・・」というと、隣りの席にいた男が、「ああ、わたし、前原です・・・」と言った。
「申し訳ない。初めまして、前川です・・・」
「以前会いましたよ、モンゴル料理のパーティーのときに・・」
 何だ、会っているのか。前原利行さんは人を威圧しない風貌だから、記憶に残りにくい。失礼しました。
 ドトールからロフトに移動して、蔵前さんが持ち込んだ雑誌・書籍の運び入れを手伝った。荷物を運びながら、気になっていた人のことを蔵前さんにたずねた。
「ねえ、ドトールで真知さんの隣りに座っていたあんな美人が、旅行人の執筆者にいたの?」
「何言っているの? 真知夫人じゃないの!」
 そうか、思い出した。蔵前邸で一度会ったことがあったんだ。なんということだ。美人も忘れている。
 蔵前さんが持ち込んだ荷物が多すぎる。こんなに売れるはずがない。例えば、真知さんの本が好きな人はすでに買っている。興味のない人は、きょうも買わない。だから「旅行人」のバックナンバーがちょっと売れるだけだと思った。
「蔵前さんに、経営者の才覚がないとよくわかったよ。こんなに売れるわけないよ。きのう、荷物作りに苦労したそうだけで、徒労だよ」
 結果的にどうだったかといえば、私が予想した3倍は売れた。ということは、蔵前氏に商売の才能ありという説が成り立ちそうだが、最新の休刊号がすぐに売り切れになってしまうというのは、やはり「商才なし」といっていいのかもしれない。
 この阿佐谷の会で、私が提案したのは、遊星通信の創刊号から、例えば20号までを合冊して、旅行人HPで売ればいいというアイデアだ。著作権者がコピーをして売るのだから、法的問題はない。コピーと発送の手間だけが問題だ。「そういう要望が多ければ、やる!」と蔵前社主の発言なので、読みたい人は「欲しい」というメールを旅行人に送りましょう。蔵前さん、送料込み700円で、どう? 800円?