376話 韓国の夜間外出禁止令と断髪令

 このアジア雑語林の369〜371話で書いた「ソウルのトンカス」のなかで、安宿で出会った日本人旅行者と早朝3時半まで話していたというエピソードに触れて、「なぜ3時半までだったのか」と疑問を書いた。重要なポイントは、当時まだ存在していた夜間外出禁止令が、何時から何時までなのかわからないので、それ以上詳しく書けなかったのだ。
 偶然に、その解答がわかった。たまたま読んでいた『アン・ソンギ』(村山俊夫、岩波書店)には、夜間外出禁止令は深夜0時から4時までだったと書いてある。早朝4時で解除されるなら、宿で会った旅行者と3時半まで話し、そのあと出発の準備をするという手順がよくわかる。
アン・ソンギは韓国の国民的俳優という地位が与えられるにふさわしい人で、私が初めてその名と顔を覚えた韓国人俳優である。この本『アン・ソンギ』は、アン・ソンギという役者の人生と韓国映画の流れを追うと共に、韓国映画と韓国現代史との関わりに言及しているので、ファン向けの芸能本ではない。芸能人ファンではない私には、2011年に読んだ本のなかでベスト5に入る出来で、大いに楽しめた。
 この本に、こういう記述がある。
「七〇年代の韓国社会を覆っていた閉塞感は、日常生活の隅々にまで広がっていた軍隊式の統制がもたらしたものではなかっただろうか。(略)風俗紊乱だといって、長髪の若者を警官がバリカンを持って追いかけたり・・・・」
やはり、そうだった。1978年のソウルの路上で、警官たちに押さえつけられた若者が髪を切られていた光景が記憶に残り、しかし、いつしかそれは記憶違いのような気もしていて、現実ではなかったのかもしれないとも思えてきた。ところが、韓国映画「GO GO 70s」(ゴーゴー セブンティーズ、2008、チェ・ホ監督)を見ていたら、私が見たような光景がスクリーンに出てきて、あれは記憶違いではなく現実だったとわかった。警官が若者を押さえつけて髪を切るシーンだ。この話を、アジア雑語林のどこかに書いたかもしれないが、どこに書いたか探せないのでまた書いたのだが、『アン・ソンギ』にもこのエピソードが出てきたというわけだ。
 この本は、韓国ドラマしか見ないという人には理解不能は記述ばかりだろうが、ある程度韓国映画を見ていると、「ああ、そうだったのか」と、頭に「なるほど印」がきらめいたりする。だから、紹介されている映画をより多く見ていれば、なるほど印がより多くなるというわけだ。
 ベトナム戦争韓国映画を論じた文章で、1969年のヒット曲「ベトナム帰りの金上等兵」という金秋子(キム・チュジャ)の歌を紹介し、それがこの当時を描いた「あなたは遠いところに」(イ・ジェニク監督、2008年)で、ヒット曲のひとつとして使われているというのだが、韓国歌謡に疎い私には当然「なつかしい」という感情はないが、この映画で重要な曲として使われているCCRのデビューヒット曲「Suzie Q」(1968年)なら、私も実感として「当時」がわかる。ちなみに、「GO GO 70s」と「あなたは遠いところに」の2作は、韓国現代史や韓国音楽史を知る上でも、とても興味深い佳作だ。
1975年に、韓国の文化広報部(日本の文化庁のような機関)が、「暴力映画の製作及び輸入不許可の基準」を発表し、映画の暴力シーンを禁止したという。エロにはゆるく、暴力には厳しくという文化政策だったそうで、現在の韓国映画の暴力シーンの多さは、その反動かもしれないとも思えてくる。もちろん、素人の想像なので、実際のことは私にはわからないが。
 アン・ソンギが現役では韓国最高の映画俳優だということは、大方の賛同を受けると思うが、その偉大な俳優にしても、いま見ることができるDVDはそれほど多くない。韓国映画史の代表作と言ってもいいような作品のほとんどは、手軽に見ることはできないのだ。
 そこで、韓国政府に提案したい。もしも、芸能を武器に世界に打って出る政策を進めるなら、「韓国映画名作選 第1期 50本」を、とりあえず2000セットくらい作り、世界の図書館や資料館などに配るのである。韓国政府は映画のDVD化の手続き代行をしたり、各言語の字幕製作費補助をして、各国が購入してもいい。バラで売るなら、個人の買い手も少なくないと思う。
 アマゾンで、「韓国ドラマ」で検索すると3771件もヒットするが、「鯨とり」も「曼荼羅」は買えないのが、「韓流」の実態である。実は、韓国人は映像を保存しておこうという気があまりないようで、日本ほどにはVHSやDVDは発売されていないらしいという問題もたしかにあるのだが・・・。
 蛇足だが、『アン・ソンギ』の本で気になったのは、アン・ソンギの年齢に関連したことだ。彼は、私と同じ1952年生まれだが、1月1日生まれなので、学年でいうとひとつ上になる。つまり、私が小学校に入学したときに、韓国で彼は2年生になっているはずなのだが、どうも記述がおかしいのだ。巻末の年譜によれば、彼は1969年に高校を卒業していることになっている。私が高校を卒業したのは71年だから、彼の卒業は70年でないとおかしい。韓国と日本の学校制度は同じ6・3・3・4制だから、小学校でも中学校でも、私よりも常に1学年上でないとおかしいのだがなあと考えていて、ハタと気がついた。数え年だ。韓国ではまだ数え年で年齢を数える。日本では生まれたときはゼロ歳児だが、韓国ではもう1歳児だ。数えで、早生まれということで、1952年生まれなのに、69年に高校を卒業したわけだ。ああ、メンドクサイ。