378話 ベトナムコーヒーとエスプレッソ 

 ベトナムに行った多くの人は、カフェ文化に強い印象を受けるようだ。旅行記にもガイドブックにも、エッセイにも、ベトナムのコーヒーが登場する。旅行者がカフェのコーヒーに注目したのは、あの金属製のフィルターのせいだ。コーヒーカップの直径よりちょっと大きめのふたつきアルミ缶(ステンレスもあり)で、底に小さな穴があいている。
 この缶にコーヒー粉を入れて、カップにのせて、上から熱湯を注ぐ。冷めないようにフタをして、ポタポタとコーヒー液が落ちるのを眺めながらしばらく待つのが、優雅なベトナム流のコーヒーだ。この缶フィルターが元はフランスのものだという話はたいていの資料に出てくるが、少しでも突っ込んだ話を読んだことがなかった。ところが、先日、別の情報が欲しくて取り寄せた『モモレンジャー秋葉原』(鹿島茂文藝春秋、2005)に、この金属フィルターの話が出てきた。
 おそらく、フランスでは長らく煮出したコーヒーを布でこしていたのだと思うが、第二次大戦後に登場したのが、「カフェ・フィルトル」という、この金属フィルターだという。1950年代前半に制作された現代フランス映画には、登場人物がカフェでコーヒーを注文すると、このフィルターをのせたカップがテーブルに運ばれてくるシーンがあるそうだ。現在ベトナムで使われているものとまったく同じだそうだ。
 1950年代後半になると、事情が一変する。イタリアからエスプレッソ・マシーンがフランスに輸入されたからだ。フランスの作家、ミシェル・ピュトールの『心変わり』(清水徹訳、河出書房新社、のち岩波文庫、2005)には、1955年のパリのイタリア料理店を描写した文章がある。
「コーヒーについても、店のものは微笑を浮かべながら、エスプレッソコーヒーでございますと断言していたが、数分後に運ばれてきたのはフィルターコーヒーだった」
フランスがベトナムからの撤退を決定するのが1954年だから、仏領インドシナエスプレッソの時代になる前に、フランスとの関係が切れた。
 フランスのコーヒーがベトナムで変容したことはふたつある。
「コーヒー豆にキャラメルの香りが付くとか、コンデンスミルクをたっぷり入れるとかの変化である」と鹿島氏は書いている。
 さて、ここで疑問だ。砂糖や油脂を加えて煎りつけたコーヒー豆を粉にして、コンデンスミルクをたっぷり入れたコーヒーは、ベトナムに限らず、タイ、マレーシア、シンガポールなどでも同じようなコーヒーがある。シンガポールのコーヒーも、ベトナム化したフランスのコーヒーの影響を受けたものだと断言するには根拠が弱い。シンガポールとマレーシアは元イギリス領で、インド系住民が経営する店では、インド式のチャイ(紅茶)を出しているが、中国系の店では濃くて甘いコーヒーを出している。
 東南アジアのコーヒー文化は、西洋文化がきっかけで始まったものであっても、その伝播は中国人、それもおそらく海南人が経営するコーヒー店が深く関与しているように思う。
 中国人や西洋人の家庭やホテルなどで働くコックには、海南人が多かったというのが、私の説の根拠だ。しかし、東南アジアのコーヒーの大元が、ベトナムから始まったのかどうかについては、いまだ確たる証拠を見つけられない。興味深いことに、インドネシアのコーヒーはオランダ風ではなく、あえて言えばアラブ風だがごく薄い。砂糖と油脂をまぶし焦がしたコーヒー豆を使っていない。私の体験ではそうだが、インドネシアは広い。戦前からエスプレッソのような濃いコーヒーを出していた地域があっても不思議ではない。