386話 東京のインドネシア料理店のことから、鹿児島に

『戦後日本=インドネシア関係史』(倉沢愛子草思社、2011)は、資料集という意味あいが強く、物語性の弱い記述が続くから、インドネシアに興味のない人にはちょっとつらい本かもしれない。5000円近い定価の本だから、専門家を相手にした内容だが、私のようなインドネシアの素人にもなかなか興味深い記述が出てくる。
例えば、こういう文章だ。時代は、戦後間もなくだ。
「陸軍16軍の元参謀、宮元静雄元大佐らを中心に、新宿にブンガワンソロという名のレストランが設立され、毎日6000円ないし7000円あった収益はインドネシア人たちに与えられたという(駐日オランダ政府外交代表団関係文書)」
 戦前から日本に住んでいたインドネシア人の生活を助けるために、インドネシアと関係が深い軍人たちがレストランを作ったというのだ。いつなのか、詳しい年代はわからない。
 レストラン「ブンガワンソロ」といえば、新宿ではなく、六本木のはずだ。六本木の店の前に新宿時代があったということか、それともまったく別の店ということか。六本木の店は、一度だけ行ったことがある。インターネットでブンガワンソロを調べると、すでに閉店しているらしい。どうやら、2000年代初めころに閉店したらしい。
『カラーブックス172 日本で味わえる世界の味』(保育社、1969)には、ブンガワンソロを次のように説明している。もちろん、六本木の店のことだ。
「日本在住のネーリー菊池夫人は、インドネシアの国立料理大学卒業生。これを知ったインドネシア大使館の人たちが、彼女の手作りの料理をと、くどいたのがきっかけで、十三年前にこの店ができた」
 想像で言うのだが、「国立料理大学」なんて、今でもないんじゃないかなあ、そんな大学。どうも、話がマユツバだ。この本が出た「十三年前」の開店というと、1956年ということになる。ちなみに、同じく東京のインドネシア料理店である「インドネシアラヤ」は、1956年の開店らしい。
「ネーリー菊池」という人の夫は、戦時中のインドネシアで日本軍の軍属をしていた菊池輝武で、メナド出身のインドネシア人と結婚して、戦後日本に帰国し、「ブンガワンソロ」を開いた。1969年には、インドネシアに渡り、ジャカルタで日本料理店「菊川」を開いたと、ネット情報で確認できる。
『東京エスニック料理読本』(冬樹社、1984)の、「ブンガワンソロ」の項。「この店のオープンは古く、今から23年前。オーナーの奥さんがインドネシア大使館に勤めていたことから始めたという」とある。ということは、1961年の開店ということになる。
いろいろ資料を探っても、「新宿のブンガワンソロ」のことがさっぱりわからない。まあ、気長にさぐってみよう。
 店のことがわからないから、経営者のひとり宮元静雄について調べてみたくなった。インドネシアとの関係史では、有名人だということは知っていて、多少の知識はある。インドネシア料理店との関係などを、インターネットで探ったがわからない。やはり、その方面の記述はないだろうが、彼の著作を読むしかないか。
 宮元の著作を調べていたら、古本屋とは別に興味深いサイトがヒットした。宮元の出身中学(旧制)の同窓会のサイトで、卒業生の手による出版物をリストにしてある。この中学は戦後新制高校となって、その名を鹿児島県立鶴丸高校学校と変える。卒業生の著作には、私も読んだことがある書き手の名が載っている。
 第25回卒業生 蔵前仁一
 第31回卒業生 柳田理科雄
 第42回卒業生 小屋一平
 こういう偶然も、ある。