397話 韓国のタバコの吸い方

 韓国文化の本を読んでいたら、参考文献として使っている本がおもしろうそうなので、ネット古書店に注文することにした。『韓国の風俗 ―いまは昔―』(趙豊衍著、統一日報・尹大辰訳、南雲堂、1995)という本だ。1914年にソウルで生まれた著者が書いたエッセイが翻訳されて、日本の「統一日報」に連載され、それを単行本として編集しなおしたのがこの本だ。昔の韓国の思い出話を読みたくて買うことにしたのである。
 アマゾンですぐに見つかったが、高い。それよりも気になったのは、いまでは「風俗」という語は、まともな意味では使われなくなったことだ。罪人は多分、「ほとんど病気」の山本晋也ではないかと思う。私は中学時代から、風俗研究者になりたいと思っていたが、いまではそういう表現は誤解を生む。風俗が「フーゾク」となって、性産業などの意味で使われるようになってしまったから、『韓国の風俗』がどういう本なのか細部を知りたくて検索しても、ロクな情報は出てこない。内容がわからない本に、高いカネを支払う気はない。
 ネット古書店をていねいに調べていくと、アマゾンには出品していない古書店で比較的安い店が見つかり、買うことにした。私は名著『ソウル城下に漢江は流れる ―朝鮮風俗史夜話』(林鍾国著、朴海錫・姜徳相訳、平凡社、1987年)レベルを期待していたのだが、届いた本を読んでみれば、残念ながらそれほどではなかった。それはそうと、いま著者名などを確認しようと書棚から『ソウル城下に・・・』を取り出して、付箋が付いているページをちょっと読んだら、そのまま読んでしまいそうなほどおもしろい。もちろん、すでに読んでいる本で、だから多くの付箋がつき傍線が引いてあるのだが、25年も前の話だ。忘れている話も多い。近いうちに再読することにしよう。
 さて、『韓国の風俗』に、ちょっとおもしろい話が載っていた。韓国の喫煙習慣のことだ。韓国では目上の人の前で酒を飲むときは、正面を向いて飲むのは失礼にあたるというので、顔をそむけて飲む習慣はあるものの、目上の人の前で酒を飲むこと自体を禁じているわけではない。しかし、タバコの場合は、目上の人の前で吸うのは礼を失する行為だとされる。それはなぜかという話が書いてある。その内容は、多くの学者が同意する意見というよりも著者の考えであるのかもしれないが、ちょっと紹介してみよう。
 その昔、朝鮮のキセルは長いもので、自分で火をつけることはできない。キセルの口(吸い口)をくわえたままで手を伸ばしても、タバコを詰めた火皿まで手が届かないほど長いので、タバコを吸うには他人の手を借りる優雅なものだった。だから、若輩者が火をつける者を従えて目上の人に向き合うなどという行為は、あまりに失礼というのだ。時代が下って短いキセルを使うようになり、紙巻きタバコの時代になっても、若輩者は目上の人の前ではタバコは吸わないという習慣が続いているというのだ。
 考えてみれば、日本でもヤクザや運動部や古い芸能界などでは、目上の人の前でも適度に酒を飲むことは勧められる。飲まないという態度は、逆に許されないと思うが、タバコとなると、若輩者は目上の人の前では吸わないという常識があるような気がする。私は上下関係の世界とは遠く離れて暮らしてきたので、実際の話はまるで知らないので想像で書いているだけだが、どうもそういう気がする。目上の人の前でも、強い酒を一気に飲み干すというのは「よし!」とプラス評価だろうが、タバコの煙をプカーでは、「なんだ、あいつ、生意気だ」となるのではないか。
 もう10年も前の本だが、『現代韓国を知るキーワード77』(チョウ・ヒチョル、大修館書店、2002)には、「韓国のもろもろの男女差別のなかで、いちばん露骨で厳しいのはたばこの文化だろう」とある。女性が人前で酒を飲むのは認められても、喫煙はタブーだというのだ。だから「韓国では、若い女性の喫煙には女性解放の象徴といったイメージが依然として残っている」そうだ。
 とはいえ、先日、韓国のテレビドラマの裏側を特集した番組を見ていたら、30歳前半くらいに見える女性脚本家が、その父親ほどの年の監督と打ち合わせをしているときに、脚本家が「プカーッ」とタバコを吸いながら話していた。「韓国では・・・」なんて、簡単に言ってはいけないのだ。礼儀やマナーなどが、最近、急速に変わっている。