406話 映画「東京オリンピック」

 前回、東京オリンピックの話を書いていたら、市川崑監督の映画「東京オリンピック」(1965)の話をしたくなった。東京オリンピックが開催されたのは1964年で、その記録映画が公開されたのは翌65年である。この映画は、中学校教師に引率されて、街の映画館に連れていかれて見た。ウィキペディアによれば、当時1600万人の児童生徒が動員されたというから、そのひとりが私だったというわけだ。
 小さなテレビ(当然、白黒テレビだ。入場行進だけがカラー放送だったから、白黒テレビで見ていても不満はなかった)でオリンピックを少し見ただけの田舎の中学1年生は、映画館の大画面で、さまざまな競技の総括のような記録映画が見られるだろうと思っていた。競技名くらいは耳にしたことがあっても、どういうものなのかまったく見たことがない競技を知りたいという、ちょっとした好奇心もあった。そして、世界各国から来ている人の顔も見てみたかった。
 この記録映画に、テレビ番組の「オリンピック総集編」のようなものを期待していたのだが、なんだか変な映画を見ることになった。つまらなかったわけではない。迫力はあったが、「なんか、すごくって、変なもん、見ちゃったなあ」というのが、中学1年生の感想だった。この映画が公開されると、マスコミで話題となったのは、記録性と芸術性の問題で、この映画は「記録」に重点を置いたものではなかった。市川監督の芸術映画だ。
 芸術映画など嫌いなはずなのに、この「東京オリンピック」はずっと気になっていた。再び見る機会が訪れたのは数年前のテレビ放送のときで、意外なことに、ほとんどのシーンをほぼきちんと覚えていた。ジャボチンスキーとか、タマラ・プレスといった名前も覚えていたが、これは映画で覚えたのではなく、テレビのニュース映像で覚えたのだが。映画「東京オリンピック」を21世紀になって再び見て、はっきりと名作だと断言できる。
 1968年の冬季オリンピックの映画は、私がすでに高校生になっていたせいか、見てすぐに気に入った。「白い恋人たち グルノーブルの13日」(クロード・ルルーシェ監督 1968年)は、公開後20年以上たっても、冬になるとフランシス・レイの映画テーマ曲が、スキー場はもちろん、テレビやラジオや商店街の有線放送から流れていた。耳タコ音楽ではあるが、スケッチ風のあの映画は、悪くない。
 それ以後、オリンピックの映画というものが製作されたのだろうか。スポーツの記録映画が話題になったことが、「白い恋人たち」以降、あったのだろうか。