423話 お嬢さん留学・遊学記   ―活字中毒患者のアジア旅行  

『オラワン家の居候』(鶴田育子、文藝春秋)を読んで、腹が立った。よくも、まあ、こんな内容のない本が世に出たものだ。元来、女性が書いた本はあまり読みたくならない私だが、皮肉にもこの本がきっかけとなって、女性が書いた留学・遊学記をまとめて読むことになってしまった。
『中国中毒』(新井ひふみ、三修社)は、「異文化を知る一冊」という名の文庫に入っている1冊だ。異文化に興味がある読者なら、当然飛びついてよさそうな文庫なのだが、サイマルの本と同じように、どうも触手が動かない。『中国中毒』は、まあまあの出来というところだが、気の毒ながら、西倉一喜大宅賞受賞作『中国グラスルーツ』を読んだ後だと、やはりその差は歴然としている。
『ふだん着のソウル案内』(戸田郁子、晶文社)で、ちゃんとした本にやっと出会えた。よしよし、と思っていたところに、とんでもない変化球が飛び込んできた。『バージンごっこ』(阪東真澄・朴裕美、太田出版)は、ふたりの留学生が韓国を描いた本で、いままでになかった下品な内容だが、じつはおもしろい。今、ここでは、『バージン』には深入りせず、戸田さんの本の話をする。『ふだん着のソウル案内』の愛読者カードに、私は「戸田さんは才能のある方だと思うが、本書ではその才能が充分に発揮されていない」と書いた。秋になって出版された戸田さんの『チュルムニ』(早川書房)は、韓国のごく普通の人たちに、ごく普通のインタビューを試みた本で、私の期待に一歩近づいた。
 いまここで書名をあげた3冊の韓国本はおもしろいのに、タイの居候生活を書いた『オラワン家の居候』はなぜつまらないのか。その理由の大部分は著者個人の力量の違いなのだが、出版界における韓国本とタイ本の力の差でもある。韓国本は玉石混交のなか、切磋琢磨されて、うっかり間違ったことを書けば火の粉を浴びる。それに比べて、タイなど東南アジアの本はぬるま湯につかったような本でも出版され、どんな内容であれ批判されることもない。韓国本なら、到底出版されないレベルの内容でも、東南アジア本なら出てしまうのだ。
“お嬢さん留学・遊学記”は今後とも増えるだろうが、気になっていることがひとつある。それは、滞在地の歴史や社会など諸事情を、詳しく調べて伝えるという内容ではなく、「クロワッサン」的な「女の生き方紹介」になりがちだということだ。滞在地のことよりも自分が大事という人たちが書いているのが、駐在員やその妻たちの手による本だ。
 韓国ブームについて、ひとこと。読者にとって、出版界の韓国ブームは大いにけっこう。ブームのおかげで、世に出るチャンスを得た本もあるのだから。  (1988)
付記:上の原稿は、ソウルオリンピックが開催された1988年に発表されたという歴史的背景がある。あのころ、「韓国本ブーム」というのがあり、やたら点数は出た。関川夏央さんは「ブームと言っても、売れた本はない」と批判した。確かに、「出版点数が多い割に」と言えばいいか、「出版点数が多いから」と言えばいいのか、アジア文庫調べでは、この時期にブームと言えるほどよく売れた本はなかったらしい。
「韓国関連の本は総じてレベルが高い」というのはもはや過去のことで、現在はいわゆる韓流ブームのせいでどうしようもない本も多数出版されている。出版点数は多いが、どれも似たり寄ったりで、バラエティー感はない。「よくぞ、そんな問題をとりあげたなあ」と感心することもない。出版物よりも、ブログの方がよっぽどレベルが高い。