431話 大衆文化とバンコクのパッポンの話  ―活字中毒患者のアジア旅行

 いつもの冬眠旅行を終えて帰国したところなので、日本ではまだ本の買い出しには行っていない。タイで買った本のうち何冊かを同時に読み始めたままで帰国することになったのだが、日本語の本がいくらでも手に入る日本では、このまま英語の本をコツコツ読んでいるのがつらくなる。資料として読まなければならない本なら我慢してでも読むが、「まあ、そのうちに・・」という程度の本だと、最後まで読まずに本棚に入れて、そのままになる可能性が高い。
 高校時代に「英語できない者クラス」に入れられて、そのなかでも特に英語ができなかった私が、今でもせっせと英語の本を買って読んでいるのは、タイ語インドネシア語ベトナム語の本を読めないからだ。日本語の本が英語の本と同じくらいの種類とレベルで出版されていたら、こんなに苦労して英語の本を読むわけはない。
 さて、今回は、旅先でたまたま読んだ2冊の日本語の本から話を始めようか。
 『インドネシアのポピュラーカルチャー』(松野明久編、めこん)は、インドネシア全域ではなく、「ジャカルタポップカルチャーに限定した記述」だと理解すれば、けっこう楽しめる。音楽や映画を、発信者(ミュージシャンや監督や役者)から論じるのではなく、受け手から書いているのがいい。文学紹介は、いつもならいわゆる純文学だけを扱うのだが、この本では大衆文学や中間小説にスポットを当てているのが、あたらしい視点だ。
 もう1冊は、宝島WT『バンコク悦楽読本』(宝島社)は、全体的に低調・ネタ切れ・苦しまぎれで、しかも「どっかで読んだぞ」という文章が多いのだが、星野龍夫の映画の話と、高岡正信のモーラム(タイ東北部の音楽)の話はおもしろく、レベルが高い。
 この本に限ったことではないが、売春の話になると、どうしてこうも文章のレベルが低くなるのだろう。筆者は、調査をせず、資料も読まずに書くから、印象記か感想文で終わってしまう。例えば、バンコクのパッポン通りは「ベトナム戦争当時、米兵たちの歓楽街として誕生した」といった記述を何度も目にしている。この本の「バンコク不夜城(パッポン)の表と裏」(井上和彦)でも、同じことが書いてある。しかし、これはまったくの間違いなのだ。カネを持っていない米兵たちのたまり場になっていたのは、ペップリー・タットマイ(ニュー・ペップリー)通りで、パッポン通りの方は、高級将校や航空会社などの駐在員や特派員などマスコミ関係者、国際機関の職員や各国のスパイたち(冷戦時代ですよ)がやってくる高級ナイトスポットだったという。パッポン周辺には航空会社がいくつもあるし、外国人記者クラブはデュシタニホテルのなかにある。
 そのあたりの詳しい事情は、60年代からインドシナ情勢をリポートしてきたジャーナリストが書いた“Patpong Bangkok’s Big Little Street”(Alan Dawson ,1988)でわかる。出版社名がないので、自費出版らしい。この本は、タイの一部の書店で売られ、たちまち売り切れて、そのままになっているという幻の名作だ。私は、書店で見かけてすぐ買ったが、以後、書店で1度もこの本を見ていない。
 日本語訳のある本では、『愛死』(ダン・シモンズ、嶋田洋一訳、角川文庫)でベトナム戦争時代のパッポン通りのようすがわかる。
 「二十二年前にもパッポンは存在していたが、アメリカ兵風情が寄りつけるような場所ではなかった。タイ政府と米軍は共同して(中略)、ニュー・ペップリー・ロードに、安いバーと安いホテルとマッサージパーラーを集めた赤線地帯を作った」。
 タイの政治や社会や大衆文化などを語る上でも、「ベトナム戦争時代」は非常に重要なのだが、その時代の資料を読んでから書くライターはほとんどいない。政治や経済に関する文章を書く人なら、「ベトナム戦争とタイ」といった資料にざっとでも目を通すだろう。それが、食文化や大衆文化や売春といった話題の原稿を書く人は、感想文程度でいいと考えている。調べてまで書く必要のない話題だと、自ら認めているらしい。例外は、『性の王国』(1981)を書いた佐野眞一くらいだろうか。
 竹中労は「政治は芸能に奉仕せよ」と書いた。私はそこまでは言わないが、大衆文化や衣食住など生活に関することも、すべての事柄は、政治や経済と同じレベルで語られるべきだと思う。国際政治の記事は上等で、スポーツや芸能の記事はいいかげんでいいということはない。
 今回、タイで買った本のなかで、アメリカで出版された大衆文化に関する本を1冊紹介しておく。マレーシアの章が特によかった。 “Asian Popular Culture” (edited by John A. Lent , Westview Press , 1995)                     (1996)
付記:アラン・ドーソンの「パッポン」は、その後もバンコクの書店で見たことがない。古本屋でも見たことがない。インターネットで検索しても、世界のどこの古本屋にも在庫はないらしい。私の記憶では、発売後ひと月もたたずに品切れになった。売れた本だから、増刷すれば儲かるはず。自費出版だから丸儲けのはずだが、増刷しないのは、内容に問題があると著者が判断したのか、あるいはこの本でとりあげた人物から苦情や批判が来て、増刷出来ないのか、さてその真相は、わからん。