434話 シェムリアップにて  ―活字中毒患者のアジア旅行

 
 私は不幸の星のもとに生まれてきたらしい。
 書いていた本の発行が遅れたために、タイに来たのが暑い盛りになってしまった。今年はエルニーニョの影響とかで、ずっと暑い日が続いているらしい。雪が降っているころに日本にいて、タイに来たら、汗でパンツが濡れるほど暑い。おまけに、バーツが強くなり、加えて物価が上がり、貧乏人にはつらい日々である。
 今この原稿はカンボジアシェムリアップで書いている。すぐ近くにアンコール・ワットがあるが、行く気はない。この小冊子の編集兼発行人が、「たまには外国で原稿を書きませんか」などと言うし、ほかにも書かないといけない原稿があるので、安宿に机とスタンド・ライトを用意してもらった。この村では、タイのように喫茶店で原稿を書くようなわけにいかないのだ。
 きのうの午前中は、宿の台所で過ごした。台所そのものと、そこにある調理器具や調味料などを点検し、料理をしているところをずっと見せてもらい、食文化研究の基礎知識を得た。まったく知らない食材はなかった。
きょうはずっと市場にいた。ほとんどの野菜はタイにあるものと同じなので、目新しいものはない。それでも、市場歩きは楽しい。アンコール・ワットは、市場ほどおもしろうそうじゃない。
 今回の旅に目的などないが、どうしても食文化や音楽に関心が向かってしまう。
 カンボジア料理とはどういうものか、いつまでたってもわからない。東京のカンボジア料理店に通い、主人に話を聞いたことがあるのだが、「これがカンボジア料理」というイメージがどうしても湧いてこない。そして今回カンボジアを旅行していても、いっこうにわからないのだ。
 家庭料理は、この宿の一家が食べているものしか知らないから、情報が少なすぎる。町の飯屋には、あらかじめ作った料理をパットや洗面器に入れて置いてある。そのほとんどは、中国料理と呼んだ方がいいようなものだ。肉と野菜の炒め物、魚と野菜が入ったスープ、ちょっと手がこんだものだと、輪切りにしたニガウリのタネを取り、ひき肉を詰めた料理があったが、それは香港やタイにもある。
 別の飯屋の料理には、遠目ではタイ料理のように見えるものもあるが、まったく、あるいはほとんど、辛くない。カンボジア民族主義者が怒りそうだが、カンボジア料理は外見や味付けという意味では、ベトナムや中国の影響を強く受け、多少タイ料理風味のものもあるということか。辛い料理がないので、私は少々欲求不満だ。
 市場散歩に疲れると、市場の片隅に腰をおろし、どこからか流れてくる音楽に耳を澄ましていた。すべてカンボジア語の歌だったが、作曲もカンボジア人という歌がはたしてどれだけあるだろうか。何曲かは、聞き覚えのあるタイの歌謡曲ルークトゥンだ。台湾や香港の歌も、かなり入っているだろう。女が異常に高い声でうたう男女のデュエット曲は、おそらく元はインド映画のなかの歌だろう。
 こんな状態だから、カンボジア歌謡について語れる人は、カンボジア以外の音楽にも詳しい人でないと務まらない。日本なら、松岡環さんが最適だろう。食文化も、カンボジア料理しか知らない人は、カンボジアの食文化は語れない。
 広さと深さ。これが私の永遠の悩みである。ある地域やテーマについてとても詳しいという専門分野がある人と話をしていたい。だれでも話すような旅行印象記など聴きたくない。しかし、専門とする地域やテーマ以外のことはまったく知らないというのでは、話を続ける気にはなれない。専門バカはいやだが、特筆すべき専門的知識や関心分
野のない人は、雑談の相手としては退屈だ。               (1998)
付記:時代が変わったなあと思うことは数多いが、YouTubeで遊んでいて、偶然カンボジアのテレビの歌謡番組を数時間分も日本で見られることを知った。それも、ナツメロ大特集で、ポルポト時代に殺された歌手たちの歌を、若手が歌うといおう企画だろうと想像しながら、画面を注視した。