435話 古書と古本屋歩き  ―活字中毒患者のアジア旅行

 

 先日、東南アジア文学の原稿を書いていて気がついたのだが、タイ文学の名作『東北タイの子』も『蝶と花』も、すでに品切れになっていた。この手の本の場合、「品切れ・再版未定」というのは、「絶版」とほとんど同じ意味だ。「この手の本」というのは、増刷したところで、売れないことがわかっているような本のことだ。
 この2冊とも名作だが、だからといって「こんな名作を品切れにしたままにするとは、出版社の良識を疑う」などといきどおっても始まらない。本を売りたくない出版社などない。売れると思えば出す。売れないと思うから、増刷しないのだ。絶版になった本でも、他社から文庫で出たりすれば大ヒットになることもあるが、タイ小説では普通は文庫になどならない。
 出版社の不幸は、ときとして読者の喜びにつながることもある。本が売れない時代に入り、とりわけアジアの本が入れないと、古本屋でも安い値段がついていることがある。「5000円じゃあ、高いなあ」と思っていた新刊が、古本屋で「2800円」だと、ちょっと手が伸びて、考える。その本に「1000円」の値段がついていると、「よし、やった!」と喜んで買ってしまうことがあるが、「“安い”というだけで手を出してしまった本は、たいていおもしろくない」という法則がある。本の値段と内容は、決して連動などしない。
 古本屋歩きの楽しさは、時間を超えて未知の本と出会えることだ。ちょっと前に買った『ジャバの生活文化』(H・W・ボンダー著、矢吹勝二訳、龍吟社、1942)は、「服装と乗り物」や「王宮、質屋、囚人」などといったテーマで書いたエッセイが詰まっていて、かなり楽しんだ。この本は、古本屋の棚でたまたま見つけたので、それまでこの本のことはまったく知らなかった。この本には著者のことも、原書のことも何も書いてない。その不親切さの原因は、著者の了解を得ていない海賊版だからではないかと想像している。
 つい先日、ジャカルタで本屋遊びをやっていて、この本の原書を見つけた。“Java Pageant ― Impressions of the 1930s “ (H.W. Ponder)というタイトルで、1934年にロンドンで出版された本だ。私がジャカルタで見つけたのはこの原書ではなく、オックスフォード大学出版局が発行した復刻版だ。ついでに、その続編である”Javanese Panorama More impressions of the 1930sも買った。
 ついでだから、私が好きなインドネシア関係の古書を紹介すると、『南洋の生活記録』(岡野繁蔵、錦城出版社、1943)や、『東印度の土俗』(三吉朋十、日本公論社、1943)などがある。このレベルを超える本が、今日に至るまで1冊も出ていない。おもしろい古本を、ていねいに探せば1000円前後で買えることがあるのだから、熱心に新刊書を追いかける気にはなれない。
 インドネシア関連の新刊だが、珍しくけっこう気に入っているのが、『ボゴール植物園』(茂木静夫、日本図書刊行会発行、1998)だ。インドネシアのボゴール植物園を、オールカラーで紹介した本だ。著者は植物学の専門家だから詳しく、そしてありがたいことに文章が読みやすい。私の手元には、戦前、戦中に出版された熱帯植物の本がすでに何冊もあるのだが、やはり図鑑はカラーがいい。この図鑑を読んでいて、市場で気になっていた木の実がグネモン(Gnetum gnemon グネツム科。グネモンノキともいう)だとわかった。グネモンはドングリくらいの実で、粉末にして、揚げ煎餅にする。
 今週の古本屋歩きで買ったのが、古本屋の特価品カゴに入っていた『遥かなるラオス』(久保田初江、時事通信社、1977)は、「ラオスの本は珍しい」「破格に安い」という2点が理由で、内容もあまり確かめずに買った。海外青年協力隊員が書いた本なので、普通の滞在記レベルを予想していたのだが(つまり、期待していないという意味だ)、いい意味で予想を裏切った。著者がライスに滞在した69〜71年と74〜76年の2度滞在しているときに出会ったラオス人の物語になっているのがいい。ラオス人民民主共和国が成立した1975年前後の事情もわかった。
 新刊書にあまり触手が伸びないのは、魅力的な新刊がないからだ。書き手不足、アイデア不足というなら、いっそのこと旧刊を新刊として復刊させたらどうか。このアイデアは、オックスフォード大学出版局やタイの出版社ホワイト・ロータス社がやっているビジネスだ。英語の出版物だから出来るが、日本語ではマーケットが狭くてダメということはあると思うが、工夫でなんとかなる部分もあるのではないか。
 そういえば、かつて中公文庫はその手の復刊文庫が揃っていて、私もだいぶ買ったのだが、ここ10年ほどはまったく買っていないなあ。 (1999)
 付記:上の文章を発表した99年は、まだインターネットで簡単に情報が手に入る時代ではなかったから、著者のことも本のことも簡単に調べるすべがなかった。今では“H.W.Ponder”で検索すると、著者略歴は出てこないが、著作リストがすぐ出てくる。三吉朋十(みよし・ともかず)の本はおもしろかったので、古本屋をだいぶ歩いて彼の本を探したが、あらたに1冊見つかっただけだ。それがいまは、ネット古書店で著作リストがすぐでてきて(アマゾンは、こういう古書はあまり得意ではない)、初めて知った本があったので注文してしまった。『南方の衣食住』(朝日新聞社、1942)だ。かつてはひと月かかってもできなかった本探しが、いまは数分でできて、数日後にはその本が自宅に届く。
 ポンダーの本を訳した矢吹勝二の経歴も、インターネットですぐにわかった。戦前・戦後とも本業はJTBの社員にして、作家・翻訳家だった。
 ジャカルタで本屋巡りをやっていたこの時期、アジア通貨危機の影響で、インドネシア・ルピアが大暴落していた。本の値段はそのままで、ルピアだけが安くなったので、新定価をつけていない輸入書を中心に、調子に乗って次々に買ってしまった。札が財布に入るような量ではないので、ショルダーバッグから札束を出して買っていた。城南電機社長の気分。