441話 以前書いた話の続き   ―活字中毒患者のアジア旅行

 

 以前、このページで、インドネシアで事典を買ったという話を書いた。こんな話だ。
”Indonesia Heritage”という全10巻のテーマ別事典だ。制作・編集はインドネシアだが、発売はシンガポールという事典で、関心のない1巻を除いて9巻を買った。私は「全巻揃い」といったことに興味がないから、こういう買い方をする。本を買うこと自体が好きなのではなく、ましてや棚に飾っておくことに喜びを感じるわけでもない。私はコレクターではない。「揃える」ことに、興味はない。
大判の事典を9冊も買ってしまったら、もうジャカルタから郵送するしかない。それなら、まだ買えるわけで、気がゆるみ次々と買いこんだ。
 買った本を一度宿まで持ちかえり、箱に詰めて郵便局に行こうとしたのだが、どうせタクシーで郵便局に行くなら、空港にタクシーで行けば送料がタダになると考えたのが失敗で、えらく苦労して、山のような本を持ち帰った・
 帰国してすぐ、インドネシア関係者に旅の報告と図書情報を伝えると、「あら、私その本、シンガポールからインターネットで取り寄せましたよ」と、とんでもないことを言い、さらに悔しいことに私がジャカルタで買った値段よりも安かった。ただし、送料は知らない。
 そんな話を以前書いたのだが、あの事典を東京の古本屋で売っている光景を見たのはショックだった。店で見たのだから、インターネット書店ではない。神田神保町の古本屋ではない。早稲田大学周辺の古本屋でもない。早稲田ではないが、高田馬場付近だ。アジア専門店ではない。日本で一番有名な古本屋、ブックオフ高田馬場北店(ただし、住所は豊島区高田)だ。
 全10巻のうち、3種4冊(同じ巻が2冊ある)が店頭の外国語書籍コーナーに積んであった。値段ははっきり覚えていないが、1000円か1500円くらいだったと思う。それからひと月ほどあとに、再びこの店に立ち寄ったら、あの4冊がすべて売れていた。ブックオフだからといってあなどれないのが、高田馬場北店だ。外国語書籍も多く、品揃えが他のブックオフとはかなり違う。他店では扱わない50年前や70年前の古書も扱っているのもユニークだ。ブックオフには、少数だが個性的な店もある。
 ブックオフには、一般書店ではほとんど見かけない旅行関連の本に出会うことがある。自費出版旅行記の吹きだまりだからだ。
 次の話題も、以前書いた話の続編だ。
 テレビのチャンネルを変えて、おもしろそうな番組を探していたら、ほりの深い顔の女性がインタビューに答えていた。画面の下に、「サンタ・ラマ・ラウ」という文字が出て、「おおっ!」と声が出そうになった。インタビューを受けている場所は、ニューヨークだ。この人がまだ健在だということに驚いた。そして、日本のテレビ番組で、インタビューを受けている彼女の姿をたまたま見ていたというこの偶然にも、驚いた。
  サンタ・ラマ・ラウという名を初めて目にしたのは、1970年代の後半ごろだと思う。全20巻以上もある『世界の料理』(タイム・ライフ)の『インド』編の著者としてだった。著者紹介はなかったと思うから、どういう人物かはまったく知らなかった。次にこの名前と出会うのは、国会図書館の蔵書リストを検索していた時だ。「韓国料理」のように、書名に第三世界の国名がついている日本語の料理書のなかで、もっとも古いものはどれだろうかという調査遊びで、検索していたことがある。「インド料理」で検索して出てきたもっとも古い本が、あのタイム・ライフ社が出した「世界の料理」シリーズの『インド料理』だったというわけだ。この本が出た1974年以前に、「インド料理」という語がタイトルに入っている本はないらしいとわかった。しかし、ほかにもなにか情報があるだろうと、著者の「サンタ・ラマ・ラウ」で検索してみたら、意外にも岩波新書を書いていることを知った。
 サンタ・ラマ・ラウは南インドの生まれで、6歳から16歳までイギリスで教育を受けたあと、アメリカの大学に進んだ。父が初代駐日インド大使として赴任した1947年に、彼女も日本にやって来た。その頃の2年間の日本滞在とインドに帰国する途中に旅行した東南アジアの印象を書きしるしたのが、1953年に出した『アジアの目覚め』(サンタ・ラマ・ラウ著、蝋山芳郎訳、岩波新書)だ。西洋しか知らない娘に、西洋から独立していくアジア諸国の姿見せたいと父は考えていたらしい。父のコネとはいえ、アジア旅行に登場する人物が超大物揃いだ。中国で夕食を共にしたのが宋慶齢孫文夫人)。タイで世話役を務めたのが、のちに首相になるククリット・プラモートで、ジム・トンプソンとも会っている。インドネシアではスカルノ大統領とも会談するという旅だ。
 彼女の旅行には、アメリカ人の夫も同行している。マッカーサーの副官として日本にやってきたフォービアン・バワーズだ(『アジアの目覚め』では、ファウビオン・バウアスと表記されている)。二人とも歌舞伎が縁で日本で知り合い、結婚した。GHQが「軍国主義につながる」として歌舞伎を禁止しようとした動きに対して抵抗した人物として、バワーズの名は一部の日本人には有名だ。テレビに登場したサンタ・ラマ・ラウは、そういう人物の妻という意味でのインタビューだった。バワーズと歌舞伎の話は、『歌舞伎を救ったアメリカ人』(岡本嗣郎、集英社文庫)に詳しい。
 インド料理とアジア現代史の話は以前書いたのだが、それに歌舞伎やGHQも加わったという大河コラムでした。(2004)
 付記:Santha Rama Rauで検索すると、ウィキぺディアなどで彼女の足跡がかなりわかる。ウィキペディアでは、彼女は「インド系アメリカ人の作家」と紹介されている。
日本のテレビに彼女が登場してから5年後の2009年、亡くなっていた。
http://en.wikipedia.org/wiki/Santha_Rama_Rau
The New York Times の死亡記事は、これ。
http://www.nytimes.com/2009/04/24/arts/24ramarau.html