477話  クスクスに関する疑問を少し

 
 だいぶ前に買っていた『クスクスの謎』(にむら じゅんこ、平凡社新書)をやっと読んだ。2012年1月に出た本で、新聞広告で知ってすぐ買ったのだが、棚の「未読」の段に入れていてそのまま時が流れてしまった(実は、この原稿を書いたのは昨年9月で、その後次々に原稿を書いたので、ついつい掲載順がかなりずれてしまった)。
 この著者の本を読むのは、これが3冊目だ。最初が『パリで出会ったエスニック料理』(木楽舎)で、次が『パリを遊びつくせ!』(原書房)で、いずれも共著者がいる。『パリで・・・』は、パリのエスニック料理図鑑程度の期待で買ったのだが、予想をはるかに超える出来上がりで、おまけに造本もすばらしく、読み終えた直後に会った森枝卓士さんに、「おもしろい本に出会ったよ」と紹介したことを覚えている。
 女が書いた街ガイドや料理ガイドはいくらでもあり、玉石混交なのだが、玉はめったにない。彼女の肩書は「ライター、翻訳家」ということになっているようだが、その文章が「読み応えがある」と感じたのは、「パリで2週間取材して1冊書き上げました」というレベルのトラベルライターではないからだ。東大大学院で比較文化を研究し、パリに留学して美術史を学び、雑誌「ソトコト」のパリ特派員になり、10年をフランスで過ごした研究者だ。つまり、玉村豊男タイプのライターなのだ。
 『クスクスの謎』は、彼女がひとりで書いたものだ。日本語でクスクスのレシピ本は2冊出ているが、「レシピだけではクスクスの魅力を語りつくすことができない。なぜ、世界ではクスクスがこれほど多くの人々に食べられているのか、どうして国境を軽々と越えて自由に姿を変えていけるのか、『食の中の“食”』と呼ばれて特別の偏愛を受けているのか。それを明らかにしたい気持ちが、本書を書くきっかけとなった」と、「まえがき」で書いている。この雑語林でも何度か書いているが、レシピ本ばかり出版されて、食文化史と言った本を書くライターにはほとんどいないという私の不満を解消してくれるらしい宣言文だ。
 結論から先に言えば、この新書は「クスクス大全」といった本に仕上がっていて、新書ゆえにカラー写真が少ないという欠点はあるが、構成の点ではほぼ文句はないのだが、もっとも基本となる問題に答えていないという不満はある。それがどういう問題なのかという話をするためには、クスクスとはどういう料理なのかという概説をしておかないといけないのだが、これがややこしい。クスクスを知らない人はウィキペディアなどで基礎知識を仕入れたりしてください。  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%82%B9
 ここではごく簡単に説明しておくと、デュラム・セモリナ、つまり硬質小麦であるデュラム小麦のセモリナ(挽き割り)に水を含ませて、パン小麦の粉をまぶして蒸したものがクスクスであり、この粒々のパスタに煮込みなどを合わせて食べる料理もクスクスと呼ばれ、フランスや北アフリカで特によく食べられている。
 この本は、関心分野を広げたという点では高く評価したいが、不満はふたつある。
 私は食文化研究雑誌「VESTA」(味の素 食の文化センター:発行、農山漁村文化協会:発売)の86号(2012年夏号)の責任編集者となり、「世界を旅するスパゲティー」という特集を担当した。そのために、1年ほどかけてパスタの研究をしたのだが、スパゲティーの原料となるデュラム小麦(硬質小麦)に関する資料が、専門書でも日本語のものではほとんどないのだ。小麦の本は多くあり、パンや麺の話に進むのだが、パスタの本では原料の話がないのだ。「デュラム小麦の染色体数は28あって・・・」という説明は、私にはまったく用がない。図書館で資料を探したが、ネット情報以上に詳しいものは見つからず、わずかに次のようなことがわかったにすぎない。
 デュラム小麦は、パンや麺にするパン小麦と比べて乾燥した土地でも育つ。
これだけだが、イタリア南部ではデュラム小麦を原料にした乾燥パスタが発達し、イタリア北部ではパン小麦を原料にした生パスタが発達したという歴史的経緯がわかってくる。
 そこがわかっていないと、クスクスがなぜ北アフリカで盛んに食べられているかという意味がわからないのだ。『クスクスの謎』には、そういう重要な話は登場しない。
 ふたつ目の不満は、「クスクスはどういういきさつで誕生したのか」ということだ。穀物の食べ方は大きく分けて2種類あり、粒食と粉食だ。日本人が米を食べるように粒のまま食べるのが、粒食。パンや麺、チャパティーやパスタなどにして食べるのが粉食だ。米は粒のまま食べることが多く、小麦は粉にして食べることが多い。だから、このクスクスというのはやっかいなのだ。デュラム小麦を細かく割って、パン小麦の粉でコーティングして蒸すのだから、粒と粉の中間なのだ。硬質小麦だから、粒のままでは食べにくいのはわかるが、なぜこういう面倒な加工をしたのかが謎だ、そして、小さな粒にしたデュラム小麦を蒸すという加工法で加熱したのも謎だ。蒸さずに、汁に入れて雑炊のようにすることもあるが、蒸すのが主流だ。
 つまり、クスクスは、「小さな粒」を「蒸す」という2点で特異なのだ。この疑問に対して、著者に知識や意見はなく、小さな粒のまま食べるのは「アニミズム的な信仰によるものではないか」と書くだけで、詳しい説明はない。そこで、西アフリカで食べられているイネ科の植物の実を模倣しているのではないか、という学者の仮説を紹介しているにすぎない。
 クスクスの特徴といえば、「粒々」と「蒸す」の2点で、その問題に深く言及しないで、「クスクス大全」は完成しない。この新書にはそういう不満はあるのだが、それ以外の点では、目配りもよく、よくできていると本だと思う。
ついでだから、この本の内容でほかの疑問点をあげておく。
●ある料理書の記述をめぐって、「この料理書には、クスクスは『alcuzcuz』という言葉で登場する。「『al―』という接頭語は、外来語につく言葉であり、アラブ起源の言葉につくことはない」とあるが、英語のalcoholやalgebraなどはアラビア語起源なのだが?
●この本には「アラブ語」、「アラビア語」という2種類の表記が混在するのだが、使い分ける理由云々以前に、そもそも「アラブ語」と呼ぶべき言語があるのかどうかがわからない。
ベナン共和国でもクスクスはポピュラーな食べ物になっていて、「偽モノ(キャッサバの果肉粉を使ったものらしい)まで出回っているほどだという」そうだ。キャッサバは小さな実をつけるようだが、その利用法を私は知らない。実を集めて加工するくらいなら、キャッサバの根(イモ)を使ったほうがずっと安上がりだと思うのだが、いかがでしょう。
 以上、クスクスにもフランス語圏文化にもまったくの素人が抱いた疑問でした。