485話 インド風キャベツ炒め

 私はインド料理をほとんど知らない。嫌いなわけではないが、料理名などを覚えようとはしないし、日本ではあまり外食しないので、インド料理を食べる機会はあまりない。その反動なのかもしれないが、東南アジアに出ると、たまらなくインド料理を食べたくなる。マレーシアに行くと、1日1食はインド料理にしたくなる。残りの1食は中国料理で、朝飯はパンとコーヒーだから、マレーシアにいてもマレー料理を食べるチャンスは地方の小さな街に行ったときに限られる。
 クアラルンプールでよく行くインド料理店は、あらかじめ作った料理を並べて客を待っているシステムで、料理の名前など知らなくても、食べたい料理に指をさすだけで、注文が完了する。私が旅したころのインドでは、店の前に料理が入った鍋がいくつも置いてあり、いちいち鍋のふたを開けて中の料理を点検していたが、マレーシアではパットに入っていて、順次新しい料理が運ばれてきた。
 考えてみれば、変な作りの店で、店の脇に調理場がむき出しに設置されていて、客は料理人の後ろを歩いて行く。カウンターなしの、オープンキッチンだ。
 ある日のこと、調理場のすぐ脇の席に座り、料理観察をすることになった。インド系の男がガス台の前に立ち、鍋に油を注ぎ、数センチ角に切った山盛りのキャベツをザルから鍋に移した。その鍋は、片手の中華鍋、俗に北京鍋というものだ。鍋の両側に持ち手がついている(これを両耳ともいう)中華鍋は、俗に広東鍋という。だから、インド人が中華鍋を使ってインド料理を作っている風景が奇異で、マレーシアだから中国食文化の影響を強く受けていても不思議ではないが、北京鍋というのは気にかかる。東南アジアは広東や福建など中国南部からの移民が多いので、両耳の広東鍋を使っているならわかるのだが、なぜか北京鍋だった。インドでは、この両耳タイプのアルミ中華鍋に似た鍋を、炒め物に使うことがある。
 料理人は鍋を振り、塩を投入し、まるで中国料理店の料理人のようだった。しかし、ここはインド料理店なので、ターメリックが入り、たちまち黄色いインド料理に変身した。この料理は、南インドの代表的料理であるポリヤルだ。つまり、料理をしている姿は中国の料理人で、出来上がった料理はインドなのだ。この料理は簡単にいえばキャベツのカレー風味炒めでクミンシードも入れないから、日本の貧乏アパートの貧乏飯の趣があり、「インド」という感じがあまりしない。
 5年後、またその店に行くと、あのガス台はなかった。店の奥に移したらしい。その代わりに、店頭にブースが作ってあった。大きなかめの内壁に、こねた土を塗りつけて作ったタンドリ窯が置いてあった。この店にも「時代」の波が押し寄せてきたのだ。
 マレーシアのインド系住民は、鉄道建設やゴム園の労働者として南インドからやってきた移民から始まっているので、タミル語を話す人たちで、当然南インド料理を作り、食べる人たちだ。それなのに、もう10年くらい前からになるだろうか、マレーシアではインド北部でよく使われるタンドリ窯を設置する店が現れ始めた。ペナンのインド料理店の主人の話では、「タンドリ・チキンを食べたがる客が増えてきて、窯を置かないと商売にならないんだ」という流れが、私が愛用しているクアラルンプールのインド料理店にも押し寄せたというわけだ。日本でも、南インド料理店でも、北部のナンを置かないと客が満足しないという現象に似ている。あるいは、中国料理店ならば、広東料理店だろうが北京料理店だろうが、四川料理である麻婆豆腐を出さないと客が満足しないという現象に似ている。
 店頭のタンドリ窯の隣に調理台があり、中国料理で使う丸太輪切りのまな板があり、幅広の中華包丁もある。東南アジアでは、中国式のまな板と包丁はかなり前から(と言っても戦後だろうが)他の民族の台所に侵入しているようだ。