488話 やさしいけれど、むずかしい同時代の記憶

 前回書いたように、ヒッピーが関係しそうな資料を片っ端から読んできて、日本語の本では特に参考になるものはないらしいとわかった。それでも、断片的な情報でもあるだろうと、アメリカ現代史関連書を読み漁った。そうした本を読みながらふと思ったのは、もし今の大学生が「ヒッピー」なり「カウンターカルチャー」について調べてみようと思ったら、えらく大変だろうということだ。
 それは、こういうことだ。『アメリカ「60年代」への旅』(越智道雄、朝日選書、1988)という本がある。アメリカの1960年代の出来事を、80年代になって確認しようとした旅行記であり、歴史解説書でもある。文章は非常に読みやすく、学者風を吹かす難解な理論展開もなければ、論文の引用もない。だからといって、今の大学生が読んで、簡単に理解できる内容ではない。この本に登場するおびただしい数の固有名詞が、昔の若者にはわかるが、今の若者にはほとんどわからないと思われるからだ。例えば、こういうのだ。本文に入ってすぐ、21ページにはこういう人名が出てくる(原文通りの表記)。
 ギンズバーグ、ゲアリー・スナイダー、エメット・グローガン、ローレンス・ファレンゲティ、マイケル・マクルア、ティモシー・リアリー、ジェリー・ルービン、鈴木老師、ケン・キージー。ほかのページには、マルカムXといった超有名人のほか、ヒューイ・P・ニュートン、「ケラワック」として登場するのはジャック・ケルアック、エルドリッジ・クリーバー、トム・ヘイデン、トム・ウルフノーマン・メイラー、ニール・キャサディー。
 こういう人物すべてについて、深い知識を仕入れておく必要はないが、まるでわからないと、サッカーや野球やゴルフを知らない者がスポーツ新聞を読んでいるのと同じで、退屈するだけだ。上の人物リストに、映画や音楽関連の人たちを加えたら、今の若者はもっと退屈するだろう。
 ケン・キージーは、映画「カッコーの巣の上で」の原作者だから、60年代理解のためには、この名画を見ておく必要がある。ローレンス・ファレンゲティー(ローレンス・ファーレンゲティという方が、一般的か)は詩人としてよりも、サンフランシスコの書店シティライツの主人としてのほうが有名かもしれない。ビート世代の詩集などの発行もしたアメリカの伝説的書店だ。その昔、私も本を買いに行ったことがあるが、どんな本を買ったかという記憶がない。読みたくなるような本がなかったのかもしれない。
 鈴木老師というのは、アメリカで仏教、とりわけ禅を広めた鈴木大拙(すずき・だいせつ)のこと。アメリカ人の日本趣味には、この人物の影響が強い。
 私はアメリカの歴史にも詩にも興味はないし、きちんと学んだことなどないのだが、R&Bやブルースへの興味からアメリカ黒人関連の本を読み始め、70年代前半あたりまでに出ていたマルカムXの本は全部読み、関連書もかなり読んだので、上に書きだした人名にも心当たりがある。だから、前回書いたような700ページの厚い本でも、読むのにそれほど苦労しなかったのだ。パトリシア・ハーストもチャールズ・マンソンもすでに知っているから、どんどん読み飛ばせる。
 時代の記憶というものは、同時代の人間は覚えようとしたわけでもなく覚えているのだが、後の世代の者が同じような「時代の記憶」をある程度共有したいと思ったら、それはもう大変な作業が必要になる。『アメリカ「60年代」への旅』をきちんと理解しようとしたら、いまでは大学の教養課程1年分くらいの授業が必要かもしれない。
 ついでながら、60年代関連の本を読みながら、ポツリポツリと私がやっていたことは、インターネットで「彼らのその後」を調べることだ。あの時代だから、ドラッグ漬けになった者が多いのだが、ジミ・ヘンドリックスジャニス・ジョプリンのように若くして死んだ有名人はそれほど多くないようだ。ドラッグといえばこの人という代表的人物ティモシー・リアリーなど、1996年に死んだときは75歳だった。ギンズバーグは享年70。ケン・キージーは66歳まで生きた。「長生き」とは言えないが、短命ではない。実業家として成功したジェリー・ルービンは56で死んだが、交通事故だった。「あの時代」らしい死に方をしたのは、ケルアックの『路上』の登場人物のモデルとなったニール・キャサディー。メキシコの線路の上で、裸の死体が発見された。41歳だった。