493話 メモ 日本人の韓国旅行事情史 3/5 ツアー客用ガイドブック

 昔の韓国旅行ガイドブックから、当時の旅行事情を改めて探ってみようというのが、特集3回目となる今回の企画だ。
手元にある旅行資料で、韓国の旅行事情がわかるもっとも古いものは、『外国旅行案内』(日本交通公社)の1968年版だ。『外国旅行案内』は1952年から毎年出版してきた戦後最初の海外旅行ガイドで、毎年改版された。60年版からは手帳サイズの本4冊箱入りになり、77年に『世界旅行案内』と書名が変わり、82年まで出版された。手元にある版で確認すると、1956年版の「アジア・中近東」の章で扱っている国は以下の通り。
 ホンコン、フィリピン、インドネシアシンガポール、タイ、ビルマ、インド、セイロン、パキスタン、イラン、イラクレバノンイスラエル、エジプトがすべて。中国、台湾、韓国に関してはその項目さえない。1968年版では、東アジア諸国は、香港、マカオ中華民国中華人民共和国大韓民国を扱い、大韓民国は11ページ分の旅行情報がある。 1977年版の東アジアのページは、香港、マカオ、モンゴル、中華人民共和国大韓民国朝鮮民主主義人民共和国。モンゴルと北朝鮮が増えたが、台湾が消えている。1972年の「日中国交正常化」により、日本と台湾の国交が断絶したからだ。
 以下、1968年版の『外国旅行案内』から、韓国に関する部分をちょっと抜粋して紹介する。もう一度確認しておくが、68年度版を取り上げるのは、68年度版から「韓国」が登場したのではなく、私が持っているのがたまたま68年版だったというだけのことだ。
出入国・・・個人の査証取得には10日程度必要。第三国経由で入国し、純粋に観光のみを目的に入国する場合、滞在が72時間以内であり、かつ航空券の予約がなされていれば査証無しで入国できる。
 交通・・・航空機事情はわかっているので、船の事情を書き出してみる。下関・釜山に九州郵船が週2便就航。所要15時間。神戸から小倉経由で大韓海運のありらん丸が週1回航海。所要39時間。運賃は$60〜20.
 物価・・・韓国の物価は日本に比べると比較的低い水準で安定している。ホテル代を例にとると一流ホテルで2人部屋が、$6.30〜$11.80までで、食事は朝食$1.50以上、昼食$2.50、夕食は$3.50ぐらいである。
 さて、交通について確認する。1967年の韓国旅行記「遥か40年前の韓国旅行」がネット上に載っていて、細かい情報が詰まっていておもしろい。    http://www1.megaegg.ne.jp/~memory/kankoku.html
 この旅行記によれば、小倉・釜山の航路は大韓海運ではなく九州郵船アリラン丸で、運賃は26.6ドル(9576円)だと本文にあるのだが、その時の切符をよく見ると「下関・釜山」と書いてある。切符に船会社の名前が印刷されていないので、九州郵船で間違いないのかという確認が取れない。それは別として、興味深いのは、この旅行記の筆者は、帰路は釜山・福岡間は飛行機を利用しているのだが、その航空運賃は24ドル20セントで、船の最も安い大部屋料金よりも安かったということだ。
 ホテル代が10ドルだとすると、日本円にして3600円ということになり、これは当時の帝国ホテルのシングルルームの料金と同じで、二人部屋は4300円で、約12ドル。つまり、日韓の高級ホテルの料金はほとんど同じだとわかる。ガイドブックには「韓国の物価は比較的安い」と書いてあるが、タイなど他のアジアの国のホテル料金でも、1ドルが360円だと、外国の諸物価はかなり高いということだ。
 交通公社の『外国旅行案内』とは別の旅行ガイドも手元にある。『東南アジアの旅 香港・マカオ台北・マニラ・ソウル』(パン・ニューズ・インターナショナル、1967)だ。こちらは1967年の発売だが、情報がやや古いように思う。ということは、67年以前の旅行事情がわかるので貴重だ。このガイドには、韓国の査証について、こう書いてある。
 「10人以上の観光団にのみ発給される。大韓観光協会の推薦状が必要なので、同協会の東京宣伝事務所(港区芝公園10号)に問い合わせるか、東海航空観光などの旅行代理店へ一切の手続きを任せること。現在のところ、写真5枚、戸籍抄本1通、履歴書が必要です」
 この東海航空観光(これは当然「とうかい」ではなく「とんへ」と読ませたいのだろうが、ふりがなはない)のツアー広告が出ていて、一番安い「ソウル・板門店3泊4日」が、8万3000円だ。この当時、インターネットの旅行記の筆者は査証をとって、友人と二人旅をしているから、67年にはもう個人旅行もできたことがわかる。ツアーは嫌だ、自由に旅したい人が航空券を買うとしたら、東京・ソウルの往復航空券は4万9000円ほどだ。ということは、ツアーが高いということだ。当然ながら、当時は格安航空券などない。ちなみに、1967年の小学校教師の初任給は2万2000円ほどだから、韓国3泊4日のツアーでも若いサラリーマンの給料3~4カ月分ということになる。
 『東南アジアの旅』(パン・ニューズ・インターナショナル)の1972年版の「交通」を見てみると、東京・ソウルが往復5万1400円、福岡・ソウル往復は2万6700円、福岡・釜山は往復1万7400円。関釜フェリーは、1等8640円、2等6840円、3等5040円(片道料金。往復切符は1割引き)。この年の小学校教員の初任給は3万7000円。海外旅行が急速に身近になってきたのがわかる。
 この当時の旅行ガイドをもう1冊。『若い人の海外旅行』(紅山雪夫編、白陵社、1969)を見ると、大韓海運のアリラン丸の料金表が載っている。どうやら、「九州郵船アリラン丸」説のインターネット旅行記の方が間違いらしい。大韓海運(2011年に倒産)が、神戸・小倉・釜山を航海していて、小倉・釜山の片道運賃は、5400〜1万9800円だとわかる。この頃、アルバイトの時給は100円ほどだから、8時間働いて800円。小倉・釜山往復の船賃は14日の労働だ。深夜の肉体労働なら、もっと稼げる。大学生でも、アルバイトをして外国に行ける時代がやっと来た。