503話 路面電車の時代 その2

 私は鉄道マニアではなく、路面電車ファンというわけでもない。だから、ある鉄道を見るために、あるいは乗るためにわざわざ出かけるようなことはしない。ちょっと乗り物が好きという程度だろう。旅をしていてときどき迷うのは、長距離移動の場合、鉄道を使うか、バスにするかという問題だ。乗り物としては鉄道の方が好きだし車内が広いので快適だが、車窓からの眺めでは、バスの方がいい。バスは街中まで入っていくから、座っているだけで、さまざまな街の様子がわかる。各駅停車ならぬ各町停車の安いバス旅行なら、客集めのために裏道にも入って行くこともあるから、歩道の物売りや屋台も見える。飯屋のなかまで見える。看板がいくつも目の前に見える。その町の道路脇の生活が見える。旅行者である自分と旅行先の生活との距離が、バスの方がずっと近いのだ。鉄道は、広角写真だ。カレンダーの写真だ。バスは車窓からの近景を眺めるのがいい。鉄道は、鉄道が走っている遠景を眺めるのがいい。
 街中の移動なら、路面電車がいい。地下鉄は一番つまらない。好奇心はあるから一度は体験しておくが、ほかにいい交通手段があれば、地下鉄には極力乗らない。ポルトリスボンといったポルトガルの街がいつも気になり、「また行きたいなあ」とたえず思うのは、路面電車の影響も強い。しかし、私は路面電車マニアではない。そのことがはっきりとわかった。リスボンにしばらくいて、毎日路面電車に乗っていたのに、電車の写真はたった1枚しか撮っていないことに気がついたからだ。この一件でわかったのは、私は写真撮影が好きではないこと、乗り物にも強い興味もないということだ。鉄道マニアでも写真マニアでもないのだ。ライターという職業上、いたしかたなく、いやいや写真を撮ってきたのだということがよくわかった。仕事でなければ、写真など撮らない。
 「路面電車がちょっと好き」という程度の路面電車ファンなので、訪れた街に路面電車があれば乗ってみたいという程度の欲望はある。鹿児島、熊本、長崎、松山、広島、京都などの路面電車はすでに乗っているが、北海道や富山の路面電車にはまだ乗ったことがない。時代的には東京の路面電車、都電には間に合っているのだが、乗った記憶がないのだ。なぜだかその理由がわからない。現在、専用線路を走っている都電はもちろん乗っているが、車道を走っていた時代の都電に乗った記憶がないのだ。いつでも乗れると思っているうちに、消えてしまったのだ。そういえば、今思い出したのだが、大阪でトロリーバスが走っている光景も覚えているのだが、乗ったことはない。京都の市電の場合は、乗り始めたころはもう「廃止反対」の運動がおきていた時代だが、最後の路線は78年まで走っていたから、ずいぶん利用した。だから、当時の記憶は鮮明にある。
 「やや、わざわざ乗りに行った」と言えるのは、福井鉄道福武線の乗りに行ったことがある。福井県小浜市に用があったのだが、この路面電車に乗るために、福井行き夜行バスに乗って、大きく寄り道をしたのである。福井駅前駅から越前武生駅まで乗り、武生で北陸本線に乗りかえて小浜に向かったのである。この電車はユニークではあるがおもしろくはない。電車自体はJRや私鉄の同じ大型の車両で、路線の一部が道路上を走る路面電車なのだ。だから、乗ってしまえば普通の電車に乗っているのと同じ感覚だった。ロサンゼルスのLRT(Light Rail Transit 軽量軌道交通)に似ていて、普通の鉄道と路面電車の中間のようなもので、車道上と専用線路が混じった線路を走る。
 考えてみれば、私が好きなのは路面電車自体ではなく、路面電車が走っているような街だといってもいい。アメリカの好きな街が、ボストン、サンフランシスコ、シカゴ、ニューオリンズだというのも、乗り物と深い関係がありそうだ。
 乗り物というのは、おもしろそうなら乗ってみたいと思うのだが、乗ってみれば期待したほどにはおもしろくない。乗ってしまうと、いま乗っている乗り物の姿は自分では見えないからだ。台湾の阿里山鉄道にも、インド・ダージリンのヒマラヤ鉄道にも、ケニアスーダンの鉄道にも乗ったことがあり、乗っていて楽しいことは楽しのだが、手間とカネをかけて撮影した大パノラマ映像で見る方が、そのすごさがわかるような気がする。それでも、実践派の私としては、実際に乗ってみようと思うのではあるが・・・。