508話 傑作2冊 『おみやげと鉄道』、『即席サイクロペディア2 世界の袋麺編』

 「これはよくできているなあ」とか「おもしろいなあ」などと思いながら本を読んだのは、2010年に出た『ナマコを歩く』(赤嶺淳)以来だろうか。
 まずは、『おみやげと鉄道』(鈴木勇一郎、講談社)だ。著者は1972年生まれの日本近代史が専門の歴史学者。内容以前に好感が持てたのは、外国の学者の名前や論文を引用して、自分を賢く見せようとするこけおどしがないことだ。最近も、あるきっかけで、若き研究者たちの論文を読む機会があったのだが、偉い学者の理論を鎧にして身を守ろうとしている文体なので、がっかりだった。この本は、そうした心配は一切ない。日本の旅行みやげ変遷史である。初版500部、定価5500円の本にしない工夫をした著者と編集担当者に拍手を送りたい。
 書名に「みやげ」という語が入っている本はあまたあるが、そのほとんどは買い物ガイドである。みやげを、研究対象とした本で書名に「みやげ」という語が入っている本は、私の乏しい読書経験ではこの本を含めて3冊しかない。1冊は読む価値の無い本で(高いカネを出して買ったんだよなあ)、『おみやげ 贈答と旅の日本文化』(神崎宣武)は基礎知識を得るという点で大いに参考になった。そして、『みやげと鉄道』では、『おみやげ』を含めて過去の著作をかみ砕いて引用し、それが知識や研究の「ひけらかし」でも「はったり」や「こけおどし」でもなく、明快に語られていくので、結局は、この1冊を読めば、日本人の旅みやげ史はだいたいわかる構成になっている。
 みやげ物が社寺のお札や七味トウガラシのようは、小さくて軽くて腐らないものから、食品に変わるためには鉄道の発達があったというのが骨子だが、それ以外の魔法の力もあったという例も語られている。
 たとえば、伊勢の赤福だ。餅のこし餡をまぶしたものだから、昔はみやげものではなく、伊勢神宮にお参りした人が現地で食べる名物として、江戸時代から地元では有名だった。その後のいきさつを年表風に書くとこうなる。
 1905(明治38)年 明治天皇が伊勢行幸時に、赤福を食べる。
 1907年 山田駅(現在の伊勢市駅)で赤福を売り出す。
 1911年 皇后から赤福の大量注文があり、黒糖から白砂糖に変えるなど品質を向上させ「ほまれの赤福」として売り出す。
 1931(昭和6)年 近鉄線が宇治山田まで開通し、伊勢詣でが気軽になった。
 こういう年表を見ればわかるように、廃仏毀釈国家神道伊勢神宮、皇室という流れと、鉄道路線発達史の両方の影響で、赤福が「伊勢みやげ」として注目され、売上げを伸ばしていったことがよくわかる。
 だから、この本は鉄道マニア向けの本ではなく、みやげ物を軸にして眺めた日本近代史なのである。
 冒頭の話に戻るが、なぜ「みやげ」の研究書が少ないのかちょっと考えてみた。理由はふたつありそうだ。基本的に、男は旅の買い物にあまり興味がない。だから、買い物ガイドの著者はほとんど女で、書き手も読者も実用ガイド以上の物は望まず、男の研究者はそもそも旅の買い物を研究しようとは思わないからだろう。もうひとつの理由は、旅行社にとって、みやげ物はKB(キック・バック、リベート)が稼げる重要なシステムなのだ。ツアー客がみやげ物店でカネを使えば使うほど、旅行社や添乗員にそのカネの一部が戻るシステムになっている。だから、旅行業界の人が書いた資料に、みやげ物に関する詳しい情報がないのだ。みやげ物だけでなく、女を売って稼ぐという旅行業者もあるわけで、そういう分野の資料は少ないのである。私の知る限り、KBの話を詳しく書いたのはDFS(Duty Free Shoppers)の創業者のひとりであるチャック・フィーニーについて書いた『無一文の億万長者』(コナー・オクレリー)が、唯一の例だろうと思う。
 もう1冊の傑作にして労作は、『即席麵サイクロペディア2 世界の袋麺』(山本利夫、社会評論社)は、世界の一部の袋麺を買い集め、試食し、分類し、記録した、膨大なデータベースだ。「世界の一部」と書いたのは、アジアやヨーロッパの袋麺を手に入れて、試食していながら、まだ世界の袋麺の一部してチェックしていないと著者がよくわかっているからだ。
 それでも、この本がいかにすごいか、以下のアマゾンに入って、「クリック なか見!検索」して、本の中をご覧あれ。これだけ徹底的に調べる苦労は(それが楽しみでもあるのだが)、よくわかる。
http://www.amazon.co.jp/%E5%8D%B3%E5%B8%AD%E9%BA%BA%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%80%882%E3%80%89%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AE%E8%A2%8B%E9%BA%BA%E7%B7%A8-%E5%B1%B1%E6%9C%AC-%E5%88%A9%E5%A4%AB/dp/4784509976/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1370138393&sr=1-1&keywords=%E5%8D%B3%E5%B8%AD%E9%BA%BA%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A22#_
 まずは、製品を集めるのが大変だ。日本内外で買ったもののほか、著者の情熱に共感して寄贈した人も少なくないようだ。写真撮影も大変だし、さまざまな言語で書いてある袋の文字を解読して、試食し、データに残していく作業は、生半可な「マニア」にはできない。かつて、私のタイの袋麺調査をやってみようかと考えたことがある。タイに住んでいるときなので、製品を買い集めるのはそれほどの苦労はない。「完全収集」などと考えなければできる。価格も安いので、それほどの金銭的負担でもない。それなのに調査を断念したのは、即席麺を毎日食べるような生活をしたくなかったからだ。街にうまいものがいくらでもあるのに、来る日も来る日も即席麺を食べ続ける食生活を続けなければいけないのかと考えたら、バカバカしくなって調査をやめた。
 こんな本が書けるほど調べると、「量は質を凌駕する」まで、あと一歩と言っていい。あと一歩というのは、資料を集めただけで、全体像についてはまだ言及していないからだ。そこで、買い集めたり、試食したりという苦労をしなかった私が、他人のふんどしで相撲をとれば、こういえ光景が見えてくるのだが、ここから先の話は長くなるので、次回ということにしよう。
 ただ、ひとつだけ注意事項を書いておく。この本は中高年にはつらい。字があまりに小さいのだ。風邪薬や目薬の箱に書いている説明文のような小さな字が、最初から最後まで全ページで続くので、1日に30分しか読まないと決めた。メガネをはずして本を近づけて読んでいると、版木を彫る棟方志功になったような気分だった。