515話 鈴木明が書いた台湾

 日本人が書いた台湾の本と言えば、鈴木明を語らないわけにはいかない。
 鈴木明と言えば、一般的には『「南京大虐殺」のまぼろし』の作家として知られているのだろうが、私にとっては台湾を教えてくれた人である。台湾について何も知らなかった私に、基礎知識を与えてくれた人だ。
 このアジア雑語林では、128話でサンケイ新聞社の『誰も書かなかった〇〇』のシリーズのリストを載せた。1970年代の日本人の外国への関心や知識を一気に引き上げたシリーズだった。このシリーズには素人の書き手もいて、内容のレベルは玉石混交なのだが、台湾編は私にとって文句なく「玉」だった。まずは、鈴木明の台湾関連書のリストを書き出しておく。
 『誰も書かなかった台湾 「男性天国」の名に隠された真実』(サンケイ新聞社出版局、1974)
 『高砂族に捧げる』(中央公論社、1976)
 『続・誰も書かなかった台湾 天皇が見た“旧帝国”はいま』(サンケイ出版、1977)
 『響け!アジアの鼓動 台湾・香港・韓国 国境を越えた「魂の歌」』(PHP研究所、1985)
 『ああ台湾 郭泰源たちのふるさと』(講談社、1985)
 『台湾に革命が起きる日』(リクルート出版、1990)
 これでわかるように、『誰も書かなかった台湾』は1974年の出版である。台湾は、すでにいわゆる「農協ツアー」の地として、あるいは売春旅行の地として有名ではあったが、旅行先として若者が興味を持つ場所ではなかった。興味がなければ、知識もない。私はアジア全般に興味があり、当時はアジアの本はあまり出版されていなかったので、書店で見つけたらすぐ買っていた。その1冊が、鈴木明の本だった。
 読みだしてすぐ、18ページから自動車の話に入る。空港から乗ったタクシーが、いままでなじみのブルーバードからトヨタに変わったことに気がつき、台湾の自動車工業の話に入る。その国の自動車の話からはいるルポはいまだにない。この部分で、私は新鮮味を感じた。小説家の紀行文とは全く違う全方位ルポに感動した。
 テレビ、音楽、出版の話にもペンが進んでいく。大学教授には書けない内容だ。この歌手がすごいと絶賛している鄭麗君は、この本が出版されてすぐ、「テレサ・テン」の名で日本デビューした。著者の先見性を知るのは、のちに再読して、テレサのデビュー前に台湾で注目していたことに驚いたときだ。
 そのほかの本で、台湾の歴史を知った。『高砂族に捧げる』で少数民族のことを知り、「ワールド・ミュージック」などという言葉がまだ誕生していない時代に、『響け! アジアの鼓動』で東アジアの音楽事情の知識を得た。
 1974年以降しばらく台湾の本を読んで来て、鈴木明の本に感心する。あるテーマについて詳しい本は無論あるが、縦横無尽にテーマを広げる柔軟さは、他の書き手にはない。現在多く出版されている台湾本は、鈴木明が70年代にすでにやったことを超えるどころか、並んでもいない。だから、私はもう、ほとんど台湾本を読まなくなった。読みたくなる本が、残念ながらほとんど出版されていないのだ。     
 しかたがないから、翻訳小説に手をつけるか。そういえば、『バナナボート ―台湾文学への招待』などという短編集を読んだことを思い出した。1991年の出版で、版元はJICC出版局(現宝島社)だった。宝島社になってからも、『夫殺し』(李昴)など数冊は読んでいる。小説嫌いでも、何冊かはすでに読んでいるなあ。
 前回の記事で、おもしろい本を推薦してくださいと書いたら、友人が『女神の島』(陳玉慧)という小説を紹介してくれたので、折を見て読んでみようか。