前回の話で、黒田勝弘氏が、ビビンパが西洋人に受け入れられるには食べ方を工夫しないといけないと書いた。西洋人はご飯をこねくり回して食べないし、スプーンで飯は食べないからだ。西洋人の食べ方に関しては、そのとおりだ。イギリスではカレーライスもナイフとフォークで食べる。
しかし、だ。我々は、食習慣など簡単に変わるものだとすでに知っている。かつて、西洋人たちは、オランダ人が愛する生ニシンを例外にすれば、生魚は決して口にしなかった。「日本人は魚を生で食べるって、ホント? ウソでしょ!」と、アメリカ人に言われた経験が私にもある。カリフォルニアで、すしが注目されるようになってもまだ日本人は、日本料理が世界に広まるとは思っていなかった。日本料理は、世界の料理の中であまりに特殊だから、けっして広く食されるとは思えなかったのだ。日本料理のうまさと繊細さと美しさが、外国人に到底理解できるわけはないと思っていたのだ。私の大嫌いなセリフに、「よくぞ日本人に生まれてきたと感動するうまさ」というのがある。あまりオツムのよろしくない芸能人が食レポ(食べ歩きレポート)をしたときにしばしば口にするセリフだ(余談だが、この表現の言いだしっぺは渡辺文雄のような気がする)。日本の食べ物を理解できるのは日本人以外にはいないという国粋思想であり、日本文化特殊論だ。日本文化は特殊だから、外国人は決して理解できない。だから崇高なのだという思想だ。その日本文化のなかに、料理も入っているのだが、今では外国人が喜んで日本料理を食べるようになった。
中国の食文化を研究する者たちは、その人物が中国人であれ日本人であれ、こんなこと言っていた。
「中国人は、生ものは一切食べない。野菜も加熱して食べる。魚も生では絶対に食べない。冷えたご飯は食べない。牛は田や畑で働いてくれる家畜だから、食べない。油を使わない料理は、口に合わない」
その中国人が、上海など都会に住む者から、すしを食べ、おでんを食べ、ビーフステーキやすき焼きを食べ、コンビニで弁当やおにぎりを買って食べるようになった。中国語の東京の食べ歩きガイドなど、何冊も出版されている。
アメリカでは、カップヌードルはフォークで食べるものだったが、店でラーメンを食べる人が増えていくと、箸で麺を食べることができる人が多くなった。アメリカの大都会では、中国料理の普及が基礎にあって、箸が使える人はもはや少数派ではない。アメリカの地方都市の大学の学食に、すしがあったという報告を何人かの日本人学生から聞いている。
もうだいぶ前に、日本に行ったことがあるオランダ人に、「なんで日本人は、お茶に砂糖を入れないんだ」と詰問されたことがあった。それが今では、少しずつではあるが、中国茶や日本茶に砂糖もミルクも入れずに、日本人や中国人のように砂糖を入れずに飲む人も現れている。
40年以上前の日本で、西洋人が、すしや、そばや、味噌汁や日本酒を愛好するようになると予言した食文化研究者はほとんどいない。外国でも、日本料理は日本人だけが好むものだと思い込んでいた。
だから、韓国料理は特殊だ、西洋人は飯をこねくり回して食べない、スプーンで飯は食べないという「現在の常識」が、これからも永遠に続くという保証など無いのだ。黒田説の危うさがそこにある。食文化を「変わることのない、あるべき姿」として見ている人にはわからないが、食文化の変容に注目していれば、「あるべき姿」など簡単に変わる事を知っている。食文化を必死になって観察しているのは学者ではなく、商売人たちである。彼らが、現実をよく知っている。
しかし、同時に、食文化には、いつまでたってもあまり変わらない物事や、なかなか国外に出ない食べ物もあるというあたりが、私のような食文化研究者には興味尽きない現実なのだ。
韓国の食文化に関するエピソードを、おまけに書いておこう。あれは、2005年頃だったと思う。日本の大学に留学している韓国人学生と、韓国の吉野家について話したことがある。韓国に進出した吉野家が、早々と撤退した理由は、カウンター席にあると彼女は言った。じつは韓国の食文化に詳しい朝倉敏夫さん(国立民族学博物館)も同じ結論を書いていたので、「どうやら、それが真実なのか」と思った記憶がある。
カウンター席がなぜいけないのかというと、韓国人はひとりでは外食をしない。仲間とわいわい言いながら食事をする習慣があるので、カウンター席に座りひとりで食事していれば、「友達のいないかわいそうな人」と思われるので、そういう店は避けたのだという。インターネット上にも、そういう話題はいくらでも出てくる。
あれから8年たって、吉野家は韓国にまだ復活してはいないが、カウンター席のある飲食店はどんどん増えている。カレー専門店やうどん屋や日本風居酒屋などにカウンター席がある、インターネットで韓国の飲食店の画像をていねいに見ていくと、カウンター席をいくらでも確認できる。
韓国人だって、食事するときにいつも友人がいるわけではない。出張や旅行などでひとりという人もいれば、仕事の関係で食事時間が他の人とずれると言う人もいれば、他人とあまり関わりたくないという人もいる。時は移り、人の感性も変わる。ひとり飯やひとり酒の韓国人も、しだいに増えているのである。
食文化だけを見ても、アジアのこの10年の変化はすさまじい。だから、「インド人は・・・・」とか「タイ人は・・・」などと軽々に言わないように自戒したほうがいい。