520話 フィリピンの本の話から


 前回の話の続きを書きたくなった。農文協が出している「世界の食文化」シリーズ全20巻には『極北』まであるが、『フィリピン』はない。まあ、太平洋の島々も、ギリシャも東ヨーロッパもポルトガルの巻も、インド以外のインド亜大陸の国々やトルコ以外の中東の国々も除外されているから、「フィリピンの巻がないぞ、どうした!」と特筆するのは変ではあるが、無視された地域に対する憐憫の情はある。
 しかも、アマゾンで「フィリピン 食、料理」などというキーワードで検索しても、日本語の本はもう20年ほど前に出た『フィリピン家庭料理入門』(農文協)しかない。アジアのほかの国では数多く出版されている食べ歩きガイドもない。数多くのイラストやカラー写真で構成した女が書いた薄いガイドも、フィリピン版はない。レシピ満載のお料理本も、20年前に出た上記の本1冊だけだ。
 フィリピン料理が日本人にとってうまいかどうかということは、じつはそれほど大きな問題ではない。多くの日本人は、そもそもフィリピンに興味がないし、好意も持っていない。だから、「食べてみたら、おいしくない。だから、フィリピンの食べ物は記事にしない」とライターや編集者が決めたわけではなく、そもそも興味がないのだ。
 しかしながら、「それはけしからん」とはなかなか言えない実情がある。フィリピンは、日本のヤクザ組織と濃厚な友好関係にあり、日本人がからむ殺人事件もよく耳にする。マニラの空港や空港からのタクシーなど、悪い噂はいつまでたっても消えないし、観光当局が積極的にイメージアップをはかろうという動きも見えない。
 「女に好かれない土地は、観光客が来ない」という法則がある。学者が言いだしたのではなく、私が思いついたことだ。タイをはじめ東南アジアや韓国に日本人観光客が多く訪れるようになったのは、「食べ物と買い物」を楽しみたい女性旅行者が増えたせいだ。女が行けば、マスコミが動き、ガイドブックが出て、テレビの旅番組で放送され、そのあとに男もついてくる。40年前のタイや30年前の韓国は、売春目的の男がぞろそろ出かける場所というイメージがあったものの、そういうイメージの転換があって、観光客が急増した。
 フィリピンには、イメージ転換の動きがないのだ。事件を起こしたり、借金を踏み倒したりという悪行の果てに逃げ出す先がフィリピンだから、日本人が迷惑をかけているのは事実で、その結果フィリピンのイメージを悪化させているのだから、気の毒だ。まあ、それと同時に、ヤクザ組織と仲良くすることで多額の収入を得ているフィリピン人もいるわけだから、「おあいこ」とも言える。
 そういえば、思い出した。アジア文庫の大野さんは、かつてこんなことを言っていた。
 「店に客が入って来て、その姿でフィリピンの棚に行くだろうなとわかり、そのとおり当たるんです。外国語の学習書を買いに来る客も、フィリピンの場合は女性同伴が多いんですよ。だから、すぐわかる。アジア本の読者の中で、フィリピン本の読者だけはファッションなども特異なんです。ほかの地域の本を買う人とは全く違うんですね」
 マニラの空港に到着した日本人客の風体が、そのままアジア文庫のフィリピン本の顧客だった。サングラス、ポロシャツ、胸ポケットにタバコと金のライター、白いスラックスにブランド物のベルト・・・・という人たち。