522話 地域研究と東南アジア  その2

 
 前回、地域研究とは、スーパーマンの研究者を養成する全体理解の学問だという話を書いた。京都大学における地域研究の歴史の話を読んでいて頭に浮かんだ事がふたつあり、ひとつ目は前回書いた。今回は、思いついたふたつ目のことを書く。
 私がタイでやってきたことは、もしかして地域研究に近いものだったような気がしてきたのだ。1980年代はじめ、私は世界のどこかの街を深く調べてみたくなった。通り過ぎるだけの旅行者の目で見ているだけでなく、住みついて、その街を眺め、資料を読み、歩き、考えて、1冊の本を書いてみたいと思った。その街をケニアのナイロビにして住んでみたのだが、1冊分の観察記を描けそうになく、断念した。そこで、改めて考えて、バンコクに決めた。その時は、バンコクを描いたら、次はジャカルタ。その次はマニラかカルカッタにするかなどと考えていた。それは構想で終わり、タイに長居してしまったのは、タイで地域研究を始めてしまったからだ。もちろん、「地域研究」というものを知っていての行動ではない。自然のなりゆきだったにすぎない。
 バンコクを調べていれば、当然ながら、タイ全体に関する勉強をしないといけないので、自然に「タイの全部」が研究対象になった。バンコクとそれ以外の地域の差があまりにも大きいので、「その他の地域」のこともじっくり調べてみないと、「タイでは・・・」という話ができない。だから、とりあえずは研究地域をタイ国に限定して、研究テーマは「何でも」とした。いきなりテーマも調査地域も制限なしにしてしまうと収拾がつかなくなるので、とりあえず地域を限定したのである。そうしておいて、興味深いテーマが浮かび上がってくるのをじっくりと待った。
 私にはどんなこともおもしろかった。知っていることなどほとんどないので、基礎知識も偏見もない。タイが関係する本は出来る限り読んだ。『タイ国 ひとつの稲作社会』(石井米雄)、『ドンデーン村 東北タイの農業生態』(福井捷朗)、『東南アジアの華僑社会』(スキナー)といった高価な学術書も手に入れて読んだ。読みながら書き込みをする習慣なので、図書館の本は落ち着いて読めない。そういう性分なので、読みたい本は無理して買った。英語の本も読んだ。戦前の本も、何冊も買った。タイ語の本は読めない。タイ語の本を読めるだけのタイ語力をつけることは考えていなかった。タイの本を書いたら、すぐにインドネシアの本の準備にかかる予定だったからだ。タイと長くかかわる予定ではなかったのだ。だから、まずはどんな分野であれ、タイのことが書いてあれば何でも読んだ。前回ちょっと触れた高谷好一さんの本も、その時代に読んだ。そういう読書生活をしていたから、自然に研究者の名前はあらかた覚えた。1980年代は、「よし、全部読んでやれ!」と決めて、ほとんどのタイ関係書が読めるほど、出版点数が少なかったのだ。英語の定期刊行物を含めても、せいぜい数百冊くらいしかなかった。
 どんなこともおもしろかったが、次第に深い興味を持つ分野が浮かび上がってきた。食文化や建築や音楽といったテーマが見えてくると、今度は地域の枠を取り外して、ほかの地域との比較をしていく。タイの音楽を調べる上でもっとも参考になったのは、日本の音楽史だった。タイの近代文化のなかで、音楽や建築などは西洋の影響を強く受けた。そういう視点でみれば、同じように西洋の影響を同じ時代に受けたタイは、日本と共通する部分が多い。西洋音楽が日本に入って来た時の反応や対応は、タイの場合でも同じことがあった。西洋音楽のメロディーに、言葉のアクセントやイントネーション(タイの場合は声調)をどう対応させるかという問題は、日本でもタイでも同じように音楽学者の頭を悩ませた。
 私の興味範囲を超えるが、法律でも行政制度でも、軍事でも、西洋文明とどう対応して自分のものにするかという葛藤と工夫は、日本でもタイでも同じような事が起こったと考えれば、調べるテーマが違っても、興味深い研究ができるはずだ。
 東南アジア研究センターに限らず、京都大学関係者の著作は、NHKブックスなどでかなり楽しませてくれた(詳しくは、アジア雑語林 343&344話参照)のだが、それは、今は昔の物語となってしまった。若き研究者が、文部科学省が望む小粒サイズに縮小された結果なのか、ネットなどで論文を読んでも、小者感(コモノカン)しかしない。博士論文などを読んでも、印象に残るものはない。研究者がダメでも、ライターの世界には、なんでもおもしろがって調べる人は、いるか? いないなあ。世界各地に出かける行動力のライターはいくらでもいるが、調べて、考えて書くライターは・・・・。