前回までの地域研究に関する文章を書いていて、ある人物の顔が浮かんだ。地域研究とは対極にありながら、しかし「広く、かつ深く」と考えている点ではあまり変わらないという研究者がいる。傑出した偉人であり、尊敬していて、私が書くものに大いに影響を与えた人物なのだが、私は一度も「先生」と呼んだことがない。いつも「さん」付けで呼んでいる。そう呼び合う関係が好きな人だ。権威や学閥とか「こけおどし」的なことが嫌いな人だ。
食文化研究者の石毛直道さんは、食文化というテーマを限りなく広げて考えているが、地域を限定して深く研究しようとはしなかった。あるとき、私は石毛さんにこういう質問をしたことがある。
「どこかに住みついて、じっくりその国や地域や民族の食文化を研究してみようと思ったことはないんですか?」
「ないですね。どこか研究地を決めて住みつけば、その地の言葉も覚えて、研究が進むことは確かですが、そうなると、そこにばかり通うようになります。それじゃあ、おもしろくない。私はね、いろんな場所に行きたいんですよ。行きたい場所は、いくらでもありますから」
例えば、石毛さんよりもフランスの食文化に詳しいという人は何人もいる。しかし、そういう人が、石毛さんと同じくらいに韓国や日本の食文化に詳しいわけではない。韓国の食文化について石毛さんよりも詳しい人が、太平洋地域の食文化について、石毛さんと同じくらいに詳しいわけではない。栄養学や調理学や考古学や民俗学などを専攻している人は、食文化を研究しても、自分の研究分野からはなかなか出られないものだ。だから、さまざまな研究分野を食文化という領域に結び付ける石毛さんのような存在が重要になってくるのだ。だから、石毛さんは研究者であると同時にプロデューサーでもある。
現在でも傑作の名に恥じない「週刊朝日百科 世界の食べもの」全140巻(1980〜83)の総指揮者を、実質上石毛さんが務めた。40歳をちょっと超えたばかりの国立民族学博物館の助教授が、うるさい長老たちも操り、世界の食文化を眺めるパノラマを生みだした。そんな大事業ができる人は、今に至るも、石毛さんしかいない。そういう役回りが石毛さんの望むところなのか、余人をもって代え難しということで押しつけられたからなのか、石毛さんに尋ねたことがないからわからない。想像で言うのだが、石毛さんは「監修者」という役回りで、自分が知らない世界を幅広く見せてもらえることを楽しんでいるのではないだろうか。
石毛さんと、「食文化研究というもの」について話をしたことがある。
ある教授が、研究会で「日本の大学には、まだ食文化学科というものがない。こんな重要な研究なのに、専門の学科がないのはゆゆしきことだ」といった。いまでは「食文化学部」も「食文化学科」もあるが、当時はそういうものはまだなかった。研究会の後で、石毛さんに直接きいてみた。
「食文化学科は必要だと思います?」
石毛さんは、すぐさまはっきりと言った。
「そういうのは、ない方がいいと思っているんです。学部レベルから食文化に手をつけると、研究範囲が狭くなります。学部は何でもいいんです。何をやってもいい。そして、そのあとに大学院レベルで、食文化に研究を絞っていけばいいんです。自分の専門分野というものを持ち、そこから食文化研究の世界に足を踏み入れればいいと思います。そうすると、食文化研究に幅や深さができます。小さくまとまることを防げます」
石毛さん自身、学部では考古学を学んでいて、大学院で民族学に転じた。