539話 だいぶ前とちょっと前の海外旅行の話  その3

 
 『海外旅行ABC』といっしょにネット古書店に注文したのは本も届いた。『恥ずかしい海外旅行』(小出英昭、高山港、青年書館、1979)は、まだバブル以前だが、ジャンボジェット機が就航して団体航空運賃が安くなり、プラザ合意でドルが安くなった(日本円が高くなった)1970年代の日本人旅行者は、どーにも恥ずかしい存在だという内容の本だ。
 著者はふたりとも、ジャルパックの添乗員。出版界には「添乗員モノ」に分類される本は数多いが、そのほとんどが小出版社から出しているのはなにか理由があるのだろうか。
 日本人客といえば、下着のままホテルの廊下を歩くとか、風呂の湯をあふれさせて高額の修繕費を請求されたとか、パリのブランド店で買い占めるなど、とくに目新しい話題はない。1970年代と比べれば、今では日本人も海外旅行に慣れてきて、多少のマナー理解するようになった。団体旅行客が減り、個人旅行者が増えてきたから、日本人の大集団を外国で見かける機会は少なくなった。海外旅行は一生に一度の大事業ではなく、「ちょっと京都に」という気分と大差なくなったから、大量に買い物をする人は減った。日本円が高くなったから、わざわざ外国でブランド品を買う必要もなくなった。ブランド品で身を固めるのが、「ステキ」ではなく「ダサイ」と受け取られる風潮になってきた。
 だから、この『恥ずかしい海外旅行』の内容は、だいぶ「今は昔」の話になってきたのだが、この本を読みながら、現在進行形の人々のことを思い描いていた。悪名高き中国人観光客のことだ。
 騒がしい。あわただしい。傍若無人。現地のマナーをわきまえない。英語を話さない。レストランに食べ物を持ちこむ。大量の買い物をする。やたら落書きをする。こうした批判や批難は、ちょっと前まで日本人観光客が浴びていたものと同じで、現在でも批判が消えたわけではない。そういう歴史を知らない人が、日本人旅行者の行ないを棚に上げて、インターネットなどで中国人旅行者を批判している。日本人観光客と中国人観光客の行動に違いもあるのではと、ちょっと考えてみる。「やたらに、タン・ツバを吐く」というのは、ああ、日本でもいるなあ。鉄道のホームから線路に、ツバやタンを飛ばす。突然止まった車の窓があき、運転している男が路上にツバを吐く。こういうシーンを日本でも見ている。頻度が違うだろうが、「日本人はやらない」とは言えない。「値切る」というのは、日本には大阪人がいるから、これも程度の差ということになる。「騒がしい」というのは、日本人は日本語の会話をあまり「騒がしい」とは感じないのだが、同じ音量の外国語は「騒がしい」と感じるのだ。イタリア人もインド人もアメリカ人も、団体客はうるさいものだ。
 中国人と日本人では文化が違うから、外国での行動にも当然違いはあるだろうが、おおむね大差ないと考えたほうがいい。それなのに、「中国人観光客は」と批難したくなるのは、日本は有史以来初めて、大量のアジア人観光客を迎える立場になったからだ。いままでは、日本人はいつも客であり、他のアジア人は接客員だった。日本人はいつも威張っていればよかった相手に、いまは頭を下げて、かつての日本人客のような無理無茶な要求に対処してカネをもらわないといけない事態になった。札びらを切っていた者が、切られる側になったのだが、かつての「わが身」や「われら日本人」を想像できる人はそれほど多くない。
 西洋人から見れば、サル同然に思っている日本人が、「我が地」である欧米にやって来て、小娘が数十万円のバッグを買い、英語がまったくしゃべれないおっさんが、素材もデザインも見ずにネクタイを50本ほどまとめ買いするようすに、「この成金め!」と思いつつ、「でも、飯のタネだ。ガマン、ガマン」と思っていたに違いないのだが、今は日本人の商人が同じような感情を抱いているだろう。
 台湾の小説『さよなら再見』(黄春明著、田中宏・福田桂二訳、めこん、1979)は、台湾における日本人客の売春をテーマにしていて、斡旋する側の「台湾人の苦渋」を描いているのだが、その台湾人が自由に海外旅行をできるようになると、「あの日本人観光客」と同じように旅先で女を買うようになったという現実を知り、著者が頭を抱えたという話を出版関係者から聞いた。他人のふりは、なかなか見えないのである。