549話 台湾・餃の国紀行 10

 台湾人とコーヒー その3


 台湾人とコーヒーの話をもう少し続けたい。
 私がこのコラムで言おうとしているのは、「台湾人はコーヒーの味がわからない」とか、「台湾にコーヒーの文化がない」などと批判しているのではない。台湾のコーヒー事情がどんなものか、ごく短期間に見た私の感想を書いているのであって、批判する気などまったくない。確かに、私には「まずい」と感じるコーヒーを何度も飲んだが、それを台湾人が「うまい」と思って飲んでいるなら、それでいいのだ。私は台湾人とコーヒーの関係を知りたいだけなのだから。
 台南で朝晩通っていた店は、華語では多那之咖啡蛋糕烘焙といい、英語表記はDonutes&cake,bakingらしいのだが、Donutesと綴る英語はない。「Donutes コーヒー&パン」という表記もあり、やたらに日本語の表示が多い店である。「多那之」は、doughnutsの音訳であって、ドーナッツを華語では「甜甜圏」(甘い輪)などと表記する。
 この店をネットで調べれば、1989年に高雄で開業し、全国展開をしているケーキ店でありパン屋でありコーヒー店でもあるチェーン店だ。ネットでは台北店の紹介が出ているが、現在は撤退したらしい。
 台南のこの店は、出店場所から考えて、日本人を相手にしているわけでもなさそうなのに、店内に日本語表示が多く、それは飾りだろうが、この店のパンもケーキもコーヒーも、日本の味なのだ。日本の製菓学校で学び、日本で働いたことがある台湾人が深く関係していると確信する。うまいコーヒーとパンがあるなら文句はないかというと、そうではないというあたりが複雑なのだ。私は台湾の食文化を探りたい。「ああ、これが台湾風か」とわかるような体験をしたいのだ。だから、日本そのままの味だとおもしろくないのだ。ネットではこの店の画像が多くあり、その商品は日本ではあまり扱わないような派手なケーキが多いのだが、そういう商品を2013年の台南の店ではまったく見ていないのだ。この店のコピー店らしいのが、金鑛咖啡(Crown Fancy)というチェーン店で、ここも高雄で創業したらしい。私が通った高雄の支店では、台南のDonutesと内装や商品のラインアップなどほとんど同じで、だから日本風の店なのだ。ケーキは、甘く大きいものではなく、小さめであまり甘くない。うまいコーヒーを飲みたいし、うまいパンを食べたいという欲望があり、その欲望はここで満たされる。しかし、日本と同じ味だとおもしろくないし、まずいと正直、腹が立つが、我慢するしかない。この複雑な感情は、私が旅行者と研究者を兼業しているからだ。『ファーストフードマニア 中国・台湾・香港編』(黒川真吾・田村まどか・武田信晃、社会評論社、2008)では、台北のファーストフード事情はわかるが、私が通った上記の2店舗は南部中心なので、解説はない。
 次の話はコンビニだ。台湾では、コーヒーの注文は「冰か熱」が重要だ。ピン(ice)かズー(hot)をはっきり言わないといけないのは、日本の夏の喫茶店のようだ。
ある街で散歩中にコーヒーを飲みたくなって、コンビニに入った。中国語での注文がちゃんと通じたのがうれしくて、「砂糖とミルクは要りますか?」という質問もわかったのがまたうれしくて、いつもな砂糖もミルクも入れないのに、反射的に「対」(はい)と返事をしてしまった。すると、コンビニのお姉さんは、私のコーヒーに砂糖とミルクを入れ、アイスキャンディーの棒のようなもので、懸命にかき混ぜ続けた。そして、「ほら」とにっこりして差し出したのは、手作りのカプチーノであった。台湾人にとってもコーヒーとは、カプチーノなのだとわかった。コーヒーは甘いものなのだ。
 私好みのコーヒーが飲める場所は、台北なら台湾大学周辺の喫茶店だろう。もしも台北に長期滞在するなら、やはりあのあたりだな。古本屋も多いし。
 奇妙な組み合わせのコーヒーの例を見つけた。食文化の変容に興味があるので、日本の食べ物が台湾でどう変容しているのかというテーマには大いに興味があるのだが、そういう調査を実行すると、台湾で日本の料理ばかり食べるようになるので、必死でこらえた。店に入るのをこらえながら、店頭に張り出したメニューを読んでいた店のひとつが、牛丼の吉野家だ。「いかにも台湾」という料理がないかと探していたら、客が少ない14〜17時には、丼物にコーヒーが付くというサービスがあった。牛丼の後にコーヒーを飲みたいかなあ。
 物事は調べてみるものだ。『アジア・カルチャーガイド 台湾 それいけ探偵団』(河添恵子、トラベルジャーナル、1994)を読むと、当時の吉野家(牛丼65元)は、「女同士で、あるいは恋人、家族で」行くおしゃれなファミリーレストランだったそうで、メニューを見ると、カプチーノやプリンまである。1987年に台湾に進出した吉野家は、94年当時でもまだ高級感がある店だったのだ。再度このメニューに注目すると、メニューの紅茶は「熱・冷」の両方があるが、コーヒーは「カプチーノとアイスコーヒー」のみ。「台湾人にとってのコーヒーとは、カプチーノである」という我が仮説を補強するものだ。また、『ワールドカルチャーガイド 台湾』(トラベルジャーナル、2000)のなかで、やはり河添恵子氏が、台湾人に人気のコーヒーは「ミルクたっぷり+シュガーたっぷりの」カプチーノやカフェラテだと解説しているのを、たった今、見つけた。やはり。現在の吉野家には、カプチーノは、多分ない。この2冊の本は、出版当時に読んでいるのだが、内容はもちろん覚えていない。「知りたい」という欲求がないと、読んでも内容が頭に入っていかないのだ。
 おまけの情報を加えておくと、吉野家の牛丼の値段(95元から)と、スターバックスカプチーノ(105元)、飲食店で働く店員の時給は100元ちょっとからだから、ほぼ同じといっていい。日本円にすると、350円くらいである。もっと忙しそうで、肉体的にきつそうな仕事だと、時給130元くらいだ。こういうアルバイト相場もわかると、物価と収入の関係も少しはわかる。求人広告の張り紙も、重要な情報源だ。諸事雑多研究者にとっては、街に読むものも多くて、けっこう忙しいのだ。
 *1元は約3.3円。タイ・バーツとほぼ同価値。