556話 台湾・餃の国紀行 17

 台湾における「へ」の研究

 香港で奇妙な中国語を見かけるようになったのは、もう30年以上前だろうか。香港人は、日本語の「の」の使い方がおもしろいと感じたようで、まず、「の」の代わりに的と之を使うようになった。中国語でももちろん「的」という字は使うが、使い方が日本式なのだ。そのあと、ひらがなの「の」を使うようになった。ただし、看板屋がひらがなを知らないから、変な形の「の」が多かった。
 その当時の台湾ではどうだったか知らないが。現在では「の」はすっかり定着している。「の」を使うと日本風で格好いいというイメージなのだ。日本でも、「パンチDEデート」とか、「ストップ The ・・・」と書くようなものだ。
 今回台湾を歩いていて気になったのは、「へ」である。初めは、日本語の「へ」なのかと思ったが、字がちょっと違う。右側、下にさがる線が長いのだ。多分、これは漢字の発音を表記するいわばふりがなである注音記号、いわゆるボポモフォだろうと推測した。
 記号をコピーしても、このブログでは消えてしまうので、表を見てください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A8%E9%9F%B3%E7%AC%A6%E5%8F%B7
 上の資料の、「注音記号の文字」の項の、母音字のなかの「へ」に似たeiという発音記号だ。この記号が、店の宣伝文句や本のタイトルに使われている。表記の都合で、「へ」で置き換えると、「台湾人へ小吃」のように使う。このように。
http://www.sanmin.com.tw/page-product.asp?pid=13075&pf_id=99E155q6K101i39F104p68L108g122jHXqQLc1126SxV
 英語や日本語ができる人に会うたびにこの語のことをたずねてわかったのは、この記号は私の推測どおり注音記号で、発音は「ei」だ。その意味は、英語ができる人の回答は、所有を意味する「‘s」だという。“Tom’s father”というときの、アポストロフィーSだという。つまり、「の」なのだ。
 台湾で「国語」と呼んでいる華語では、「私の・・・」は、「我的・・・」になる。これを台湾語では字はそのままで「ゴワエイ・・・」と発音することが多いのだが、「的」の部分には漢字を入れずに、注音記号を入れて、はっきり「えい」と発音させようということで、「我へ・・・」というような表記になったのだという。これは、つまり台湾ナショナリズムである。日本では、アイヌ語の表記に独特の記号があるのを同じようなものかもしれない。
 そこまではなんとか理解できたのだが、次の難題を見つけてしまった。MRT(地下鉄)の車内に痴漢撲滅ポスターがあった。被害にあったら、警察か駅員に報告しましょうというような文面のポスターのイラストが気になった。男が背後から女のお尻を触っているイラストで、女の口から「へ!!」という記号が書かれた吹き出しがついている。お尻を触られて、「私の」はないよなあと思いつつ、再び先生を探して尋ねたら、これは「えーっ!」というような、驚きの声を表したもので、意味はないという。この場合は音を表すだけの記号なのだが、日本人に難しいのは、漢字にはすべて意味があると思ってしまうのだが、ため息とか驚きの声とか、擬声語など、音だけが重要な漢字も、つい意味を考えてしまい、混乱することがある。そういう勉強は、中国語のマンガを読むのがいいようだ。
 台湾の言語事情を簡単に触れておく。公用語を台湾では「国語」と呼ぶ。実態は、中国で「普通語」と呼び、日本では「中国語」とか「北京語」などと呼ぶ言語に近い。ただし、発音は大陸の中国語とはだいぶ違う。使う漢字も書体も違う。私はここでは華語とした。多くの人が日常的に使っているのが、台湾語だ。この呼び方以外に、ホーロー語、閩南語、台語とも呼ばれることもある言語だ。言語学や政治的立場などで呼び名がかわるが、私はわかりやすさをとって、台湾語と書いている。客家語を話す人もいる。少数民族(台湾では、原住民という)の言語も数多くある。MRTの車内放送では、華語、台湾語客家語、英語のアナウンスがある路線もある。