558話 台湾・餃の国紀行 19

 台湾人のお弁当

 市立動物園に行った。動物に興味はほとんどないから、動物園を見に行ったというのが事実である。地図を見ると驚くのだが、台北は山の間にできた街だ。東京を知らない人には申し訳ないのだが、台北駅が東京駅だとすれば、山のふもと、深い森のなかにある動物園は、中野か池袋くらいの位置になる。つまり、中野あたりが高尾山のふもとという感じなのである。だから、台北郊外の森を見に行きたかったのであり、高架電車の文湖線で高い位置から台北観光をしたかったという理由もあった。ちなみに、あの線はほかの線と違い、鉄道ではなくゴムタイヤで走る電車だ。
 森のなかの動物園観光をしているうちに昼時になり、「ああ、そうだ、台湾人の弁当事情を調べてみよう」と、観光対象を動物園から台湾人の昼食に変更した。
 動物園内に、まともな食堂はない。数軒だけのフードコートがあり、麺類などを買ったら休憩所で食べることはできるが、入場者の空腹を賄うにはとうてい数が足りない。園内に大きなフードコートを作れば大儲けができると思うのだが、それは祝祭日のこと、冬の平日はそれほどの需要はないだろう。食堂はあまりないという事情があらかじめわかっていれば、弁当を用意するはずだ。そう思って園内を歩くと、あちこちで食事中の家族の姿が見える。近寄って見ると、市販の「便當」を食べているのがわかる。
 便當は、日本語で書けば、弁当である。『台湾、今と昔』(沙姑媽、芸林書房、1979)によると、中国語を使う者にとって「弁当」という字は意味がわかりにくいので、便利な食べ物ということで、台湾では「便當」という字にしたようだという。
 台湾には弁当を意味する語がふたつある。飯盒(ファンホ)というのか華語だ、台湾語では便當(ベンタン)といい、日本時代の弁当がその元なのは明らかなのだ。「便當」という語は、中国では古くから「便利、好都合」といった意味で使われる語で、現在でも中国語辞典を調べると、そう解説されている。一説には、この語が日本に入り、今日の「べんとう」の意味で使われるようになり、その後「弁当」と書かれるようになったともいう。上に引用した『台湾、今と昔』では、日本人は食べ物に「便」という字を使うのを嫌ったから、「弁当」にしたのではないかと推察している。
 台湾で便當といえば、ほぼ排骨飯(パイクウファン)である。下味をつけた豚肉を揚げて、ご飯にのせたもので、醤油煮タマゴがつくことが多い。全体的に濃い茶色の弁当で、盛りつけの美しさなど無視した弁当だ。動物園に来る途中、どこかで買ってきたのかと思ったが、同じ弁当箱(紙の弁当箱)の人が多いので、どこかに弁当屋があるのかと思って探したら、販売地はコンビニだとわかった。つまり、動物園に来た人の多くは、園内にいくつもあるコンビニで買った弁当を食べていると分かった。のり巻き弁当を食べている家族がいて、「もしかして韓国人か」と思って近づいた。韓国人の弁当といえば、のり巻きに決まっているからだ。その家族に近寄って会話に耳を澄ますと、中国語だった。のり巻きも、コンビニで売っている。弁当の次に多いのは、カップ麺である。これも、もちろんコンビニで買って、お湯を入れてもらったものだ。園外から持ち込んだことが明らかなのは、ビニール袋に入れた焼きそばとビーフンに、箸を突っ込んで食べている家族だ。
 フタつきホーロー容器をいくつかテーブルに置いて、食事をしている家族がいた。明らかに家から持って来たものだ。菜食主義者か、食物アレルギーがあるのか、なにか訳があるのだろう。
 私もコンビニに行き、わずかに残っていた冷凍の炒飯弁当を買った。65元とペットボトルのお茶20元、合計85元(280円)。電子レンジで解凍してもらう順番を待つのに10分ほどかかり、コンビニ近くの道路脇に腰かけて食べた。炒飯は、米粒がくっつき、炒飯と言うよりは肉粽(バーツァン、ちまき)のようだったが、味は悪くない。65元という値段も、屋台の安い食事と同程度だから、決して高くない。
 さて、ここからは、本腰を入れて研究しなければいけないテーマなので、これは将来やるかどうかわからない研究の予告編である。
 台湾人は日本人ほどには弁当を持っていく習慣がないのだが、私の記憶では、1970年代あたりから、自助餐などで弁当を詰めてもらい持ち帰るようになったようだ。持っていく弁当ではなく、持って帰る弁当だ。コンビニが誕生する以前に、ワゴン車の弁当屋があったと私のメモにある。
 駅弁というより汽車便とでも言った方がいいのだろうが、車内販売の鉄道弁当は、昔は排骨飯しかないという印象だったが、日本の影響を受けて昨今は駅弁花盛りの時代を迎えたのだろうかと予想していたのだが、見事に外れた。厳密に言えば駅弁は何種類かあるが、基本的には肉やタマゴを醤油で煮た黒っぽい質実剛健弁当で、盛りつけは「これで文句あるか!」と飯の上にドカーンと肉をのせた弁当だ。華麗な盛りつけの幕の内は、多分ないようだ。駅にはすし弁当も売っているが、駅弁に関しては日本を模倣しようという気はないらしい。なお、台湾の駅弁事情は、『駅弁ひとり旅 ザ・ワールド 台湾+沖縄編』(櫻井寛:監修、はやせ淳:作画、双葉社、2013)で少しはわかる。白黒の絵なので、弁当の中身はよくわからないが、基本的に白飯に醤油色の料理をのせたものだから、白黒の絵でもいいのかもしれない。
 売っている弁当は単調だが、本屋に行くと、日本の本の翻訳で、手作り弁当のテキストが多く出版されている。幼稚園や小学校の子供に「かわいいお弁当」を作ってあげるテキストだ。それが流行なのかもしれない。
 こうした事実も踏まえて、「台湾人と弁当」というテーマを、研究者のタマゴに伝えたい。調べれば、おもしろいよ。若き研究者よ、ここからでも手をつけてみればどうだろうか。